藤村俊二の再婚相手はどんな人?息子の名前や職業は?

テレビ番組で、昨年2017年1月25日に82歳で心不全で亡くなった、俳優の藤村俊二さんが特集されました。

紳士でおしゃれでダンディで、ひょいひょいとしたつかみどころがない雰囲気が、とても魅力的でしたね。

ここでは、いちど藤村さんの経歴をおさらいして、藤村家の家族のことに迫ってみたいと思います。

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藤村俊二さんの経歴

おしゃれでダンディで日本人離れした英国貴族風のジェントルマン。テレビドラマや映画でも、独特の異彩を放つ存在感で画面を引き締めていました。

どのようにしてあのような魅力的な俳優が生まれたのでしょう?

どのような家庭で、藤村さんは育ったのでしょう?

藤村俊二さんは1934年12月8日の神奈川県鎌倉市生まれの6人兄弟。

藤村さんのお父さんは、スバル興業株式会社の社長さんでした。御曹司です。

兄弟にひとりずつお手伝いさんがついていたそうです。家は200坪の豪邸、庭には滝まであったとか。

今はレジャー・外食事業、不動産事業など幅広い業務を手がけている会社ですが、当初は映画事業を主にしていました。幼い頃から芸能文化に接する機会があったのですね。

藤村さんはは元気がよすぎて幼稚園をクビにまでなっているのですが、「よかったわね、おうちでゆっくり遊びなさい」と言うようなお母さんだったとのこと。ただ躾はとても厳しかったそうです。

小学校から高校まで暁星学園という、フランス系カトリックの男子校で、小中高一貫教育を受けました。

この高校は「上流階級のステータス」であるフランス語を公用語として授業が行われており、歌舞伎界・芸能界御用達だそうです。

卒業生には

歌舞伎役者の中村勘三郎、松本幸四郎、香川照之、

俳優では北大路欣也、賀来賢人、

元国連大使松井明(吉田茂元首相秘書官)、

ホリプロ社長の堀義貴、

キングジム 代表取締役社長の宮本彰

などなどなど、そうそうたる顔ぶれです。

いやー上流階級ってこういうところでもう繋がりを持っているんですね~。

高校からの募集はなく、偏差値は71というものすごさ。

学業だけではなく、サッカーも強いところです。

ちなみに2018年現在、この学校の中学入試に合格すると、最初の1年の学費は約83万円。

この学校は、開口当初から「外交官の養成機関」といわれるほど、国際人として海外で活躍する優れた人材・異才を政財界から芸能の世界に至るまで、数多く世に送り出してきた超名門学校です。帰国子女も積極的に受け入れています。

しかし藤村さんは高校時代は芸者遊びに没頭していたそうです。やっぱり他の人とは違いますね。

こういう環境で芸能の香りや異文化の雰囲気になじんだ藤村さんは、ダンサーを目指し、早稲田大学第一文学部演劇学科に進学しましたが合わずに中退し、東宝芸能学校舞踊科に編入し、卒業しました。

26歳の時に日劇ダンシングチームの一員として渡欧するも、ヨーロッパのダンスの水準の高さに叶わないと考えて、ダンサーを断念し、帰国して振付家になりました。


すごいですね、藤村さんのあの日本人離れした外見や立ち居振る舞い、考え方の源がわかる気がします。とっても素敵。

これだけのバックグランドや教養が豊かな方だったので、帰国後にテレビ番組の制作にたずさわるときもあちこちからお呼びがかかり、なんでも器用にこなせる方でした。

しかし藤村さん自身は「自分は裏方だから」と言って、画面に映るのが好きではなかったよう。なので、撮影途中によくひょいひょいと雲隠れしたそうです。シャイだったんですね。

このことからも、若いスタッフから「おひょいさん」と呼ばれたそうです。

藤村俊二さんの最初の嫁

藤村さんは結婚を2回しており、最初の結婚は1961年9月。ヨーロッパから日本に戻ってきた直後、27歳の時。お相手は、同じ日劇ダンシングチームに所属していた女性。

優しく人の良い朗らかな女性で、ダンスが好きで好きで、北海道から上京してきたそう。なんとまあ、藤村さんより奥さんの方がダンスが上手だったそうです。

この女性とは1995年に熟年離婚していますが(なんと61歳で!)、二人の子供に恵まれました。

男の子と女の子で、女の子の方は完全な一般人です。お姉さんと弟、という関係。

60歳になったのを機に身辺整理して事務所を独立したとのことで、還暦になったら自分の思うとおりにやってみたかったのかもしれません。すでに愛人の方が別にいて、その女性とごく近くの家に住むようになりました。

家族に伝えるときは、もはやきっぱりとした「宣言」だったそうです。

自分の生き方について妥協しない、どこかきっぱりとした潔さを感じます。

藤村俊二さんの長男

長男の名前は「藤村亜実」といい、男性です。1966年7月に、俊二さんと最初の奥様との間に、東京都で生まれた方です。


藤村俊二さんは大変な子煩悩だったらしく、亜実さんも「父は僕にとって特別な人」と言っています。テレビや舞台の仕事で忙しいさなかも、俊二さんは家族のことを第一に考え、子供達をいろいろな場所に連れて行ってくれました。

試験の最中でも家族で外食に行ったり、日本人がいない場所がいいと言ってフィリピンで過ごしたりと、なかなか普通の父親像とは違っていました。

父親として大好きなのに掴み所がなくて、自分勝手だけどどうしようもなく魅力的、そんなふうに亜実さんの目には俊二さんが写っていたようです。

自由に気楽に力を抜いて好き勝手に生きる俊二さんを亜実さんは大好きで、とにかく「父と一緒にいたい」「父のそばで仕事をしたい」という願いはとても強かったそう。

しかし真面目な亜実さんはどうしても俊二さんのようになれず、追いかけても追いかけてもひょいひょいと身をかわされるばかり。父親との関係性・距離感に非常に悩む時期が続きます。

どうやっても俊二さんのようになれない、俊二さんのそばにいられるだけの才能が自分にはない。亜実さんは自分の才能のなさに絶望します。

亜実さんの本当の望みは、別にダンサーになることでも俳優になることでもなく、ただ「父親のそばにいたい」ということだけだったのです。

しかし1986年、52歳の時に突然俊二さんが家族と別居することを宣言。

それは亜実さんが20歳の時でした。いきなりの事態にとまどいながらも、それを受け入れるしかありません。

その後、亜実さんは成城大学卒業後にアメリカ・カリフォルニア州に留学、ロサンゼルスをベースにCMコーディネーター業に従事という、これまたお父さんと同じ超エリートさんになりました。

アメリカの永住権まで取得しています。

2005年に帰国後は、父・俊二さんの所属事務所である「O’hyoi & Sons(オヒョイズアドサンス)」の代表取締役に就任し、晩年のマネジメントに携わり、家族として支えていました。亜実さんはずっと独身を貫きました。

2015年12月、俊二さんはナレーターを務めていた日本テレビ系『ぶらり途中下車の旅』を降板し、藤村さんはこれ以降、療養生活に入ります。

亜実さんは俊二さんの最期をひとりで看取っています。母親(前妻)の面倒をみていた長女の娘さんはそばにいなかったのですね。女性はいろいろ思うところがあったのかもしれません。

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藤村俊二さんの再婚相手

俊二さんは1996年4月に再婚しています。

相手は、なんと28歳年下の長尾美香代さん。

1962年4月22日生まれで、早稲田大学大学院・公共経営研究科卒業。美人で才女ですね!

やっぱり学歴がいい人たち同士、惹かれあうものがあるのでしょうか^^;。

モデル、MC、キャスター、レポーターなどの経歴があるとのこと。「世界ふしぎ発見」のレポーターをしていたことを覚えています。

俊二さんと美香代さんは、出演番組を通じて知り合ったそうです。

長男の亜実さんとは実に4歳差です。お父さん大好きの息子さんとしては、かなり複雑な心境だったのでは^^;。

テレビではいつもとぼけてて優しそうな俊二さんが、ひとたび家に帰ると、亭主関白だったそうです。

それを美香代さんが、なんでもはいはいと聞いてあげてるような、まさに「年の差婚」。何よりも、美香代さんが俊二さんをリスペクトしていたのでしょうね。

芸能人として尊敬し、男性として憧れ、俊二さんをだんだん好きになっていき、「旦那様」として丁寧に扱ってあげる美香代さんの心遣いと、そんな彼女が可愛くて仕方ない藤村さんの光景が、家の中にあふれていたそうです。

原因はわかりませんが、おふたりは2013年12月に離婚しています。

この頃には俊二さんの体調も悪化してきていたでしょうし、美香代さんに負担をかけたくないという心遣いだったのかもしれませんね。

藤村家の確執?

俊二さんが体調を崩し、2015年に『ぶらり途中下車の旅』を81歳の時に降板した時、ちょっとした騒動が起こります。

元妻美香代さんは「引退」と発表したのに対し、長男の亜実さんはそれを否定し「病気療養のための小休止」と訂正しているのです。

俊二さんももう高齢だし、美香代さんは2013年の離婚時に体調の具合を把握していたと思いますので、元夫にはもう休んで欲しかったというのが本当のところだったのではないでしょうか。

長男の亜実さんは、父親の気持ちを慮って「休むだけだ」と発表しただけなのかも。もしくはただ単に、子供としてそれを認めたくなかったのかもしれませんね。

こういう行き違いは一時取り沙汰されたものの、美香代さんと亜実さんの仲が特に険悪になった、という続報はありませんでした。

2013年にはすでに離婚していましたし、財産分与の面についても双方納得した上のことだったのでしょう。

だとしたら、俊二さんやっぱりさすがです。

まとめ

藤村さんの家族について明らかになっていることをまとめてみました。

藤村俊二さんは、究極の刹那主義者だったのかもしれません。その瞬間瞬間を精一杯生きた。

『この世でいちばん愉快なことは何かを持っていることではなく何かを体験できる瞬間である』

という俊二さんの言葉は、彼の生き方をそのまま語っているのかもしれません。

今回の番組で、藤村さんが「ヒョイ」と帰ってきてくれた感じがします。

あのようなタレントさんは、なかなかいないですね。

ダンスの突出した才能は確かになかったかもしれませんが、マルチな才能と暖かい人柄、そして子供のような遊び心で、高齢になってもテレビに出演されていました。

もう一度、イギリス紳士のような藤村俊二さんとテレビ画面の中で会えることを楽しみにしています。

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