内田裕也さんが亡くなりました。
闘病生活は長く、ここ1年は自宅で療養生活を送っていましたが、本人は延命治療は拒んでいました。
息を引き取った時は眠っている状態で、フッと呼吸を止めたとのことで、裕也さん自身は、自分が亡くなったことが分からずに、寝ているままと思っているのではないか、と思うほど穏やかだったそうです。
春彼岸の時期の3月17日のことで、やっぱり樹木希林さんが心配して呼びに来たのかなあ、と思います。
扱いづらい人ではありましたが、愛してくれた人もたくさんいた内田裕也さん。
彼の伝説エピソードをまとめました。
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内田裕也の逮捕歴
内田裕也さんは実は過去に逮捕3回という、ロッケンロールな経歴の持ち主です。
3回も逮捕されたとは勇ましいですね、一体何をやらかしてしまったのでしょうか。
1回目:大麻取締法違反
彼の前科について見ていくと、まず1977年に薬の取引法違反の罪で逮捕されています。
佐世保警察にて捕まり、「10年前からやっていた」と自供。いつかは捕まるだろうと覚悟していたようです。
事情聴取後に起訴猶予処分となり、この時点ではまだ前科はついていません。
2回目:銃刀法違反
そして2回目の逮捕内容は、銃刀法違反。
1983年6月、泥酔した状態で刃物持参でウドー音楽事務所に押し入りました。
刃物は持っていただけで誰も傷つけはしませんでしたが、警察に通報されて現行犯逮捕。
ウドー音楽事務所はビリー・ジョエルなど海外アーティストの活動を行う音楽事務所として知られています。
内田裕也が刃物持参で押し入った理由は、海外アーティストばかり使って日本人を使わないことへの不満だったそうです。
ますます日本人アーティストが使われなくなるじゃないか、とは考えないのでしょうか。
不満があったからと言って、刃物を持って押し入るというのは、普通の人ではなかなか有り得ない行動ですよね。
3回目:脅迫未遂と住居侵入罪
このようにかなりのヤンチャぶりを爆裂させていた内田裕也ですが、彼の3回目の逮捕は2011年5月。
次に彼が起こしたのは、交際相手(つーか浮気相手)に対する脅迫未遂と住居侵入罪です。
当時内田裕也が付き合っていた女性(スチュワーデスだったそうで)と別れ話でもめて、彼女に対して脅迫文を出しました。
脅迫文の内容は、
「暴力団と交際し、アブリ(ようするに麻薬ですね)をやっていることを会社に連絡した。まだ実名は言っていない。内緒にして欲しければ、1週間以内に電話をしてこい」
というような話だったそうです。
女性は怯え、家の鍵を交換したのですが、ネバーギブアップスピリッツの内田さんは鍵業者に鍵を作らせ(どう説明したんだろう)、やすやすと女性宅に侵入。
仕事から帰宅した女性と、女性宅から出てきた内田さんが玄関で鉢合わせするというホラー展開になり、警察沙汰に。
内田さんは彼女との復縁を迫る手紙を何度も送りつけて、ストーカーまがいな行動は警察から注意も受けていました。
その後に、住居侵入までやってしまったというわけです(起訴猶予になりましたが)。
3回目の逮捕のときは、実は既に内田裕也は樹木希林と結婚していました。つまり不倫をしていたことになります。
内田さんの逮捕後、交際相手への脅迫罪と住居侵入の罪について、浮気をされた樹木希林さんがなぜか謝罪会見を行っています。
樹木希林さんも被害者とも言えるのに、夫の不祥事を妻が謝るというのは、また不思議な話ですよね。
穏やかな気持ちで夫のことでの謝罪会見を行った樹木希林さんは、それほどまでに内田裕也のことを愛していたとも言えます。
逮捕3回というヤンチャな夫でありながらも、その純粋さに惚れていたのですね。
ストーカーの前科があるのに、78歳になっても女性にモテ続け、女性を欠かしたことがありません。
亡くなる前も、住んでいる家の近くのコンビニやTSUTAYAでよく目撃されてましたが、内田さんより若い女性が必ず付き添っています。
何か、女の母性本能をくすぐるフェロモンがあるのでしょう。
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内田裕也のDVに一家総出でおしおき
さて、3回目の逮捕には後日談があります。
被害者の浮気相手の女性は、内田裕也さんらDVを受けていたことを打ち明けていて、希林さんの謝罪会見の中で、自分もまたDVを受けていたことを告白。
樹木希林さんは毎晩のように夫に暴力を振るわれており、どこか不倫相手の女性に対して共感さえ覚えていたようなのです。
浮気相手に腹を立てるよりも、むしろ「DVのことを話してくれてありがとう」と感謝していたほどで、この点からも、樹木希林が夫を愛していたことが伺えます。
そして、この感謝の矛先がやがて内田さんに向いていきます。
当時、樹木希林さん一家のメンバーは、希林さにんと、娘の也哉子さん、その夫の本木雅弘さんに、まだ小さな孫2人。
一等地に豪華な二世帯住宅を建てて暮らしていました。
しかしさんざん浮気しまくっていたのに、自分がのけもの扱いされたことに腹を立てた内田さんは、真夜中にやって来ては家の外で「ファックユー、おれを忘れるな!」などと大声で叫び続けました。
近所迷惑はもちろん、実の祖父が襲来するなど情操教育にも良くなく、孫たちは寝られなくなってしまったのです。
この状況を憂えた父親・モックンと希林さんは作戦会議を開き、「応戦」することを決意。
ある夜、内田さんが再び新居に「襲来」すると、希林さんの「やっちまえ」の合図のもと、本木さんが義理の父にタックル。
自分の子供を守るための本木アニキの本気タックルで動けなくなった内田さんに、希林さんは鉄パイプで殴りかかって、ボコボコにしたのです。
なぜ家に鉄パイプがあったかどうかはさておき、この一家の日常を映画化して欲しかったですね。
この時から落武者みたいな容貌になったのでしょうか?
【ピックアップ】「あとは、じぶんで考えてよ。」宝島社が樹木希林さんを起用した新企業広告が話題に。内田裕也さんを含む集合写真を使った作品も。(2018年10月掲載)https://t.co/dRYbJLMcpW pic.twitter.com/W1eU8N30GJ
— FASHIONSNAP.COM (@fashionsnap) March 18, 2019
まあ、結婚当初から毎晩暴力だったらしく、希林さんが黒電話の受話器で頭をカチ割り、内田さんが血だらけになったという話もありますので、デフォなんでしょうね。
内田さんが家を出てしまったのも、希林さんが強すぎたからなんじゃ^^;。
島田陽子さんとの不倫
内田裕也の浮気はほかにも(たくさん)あります。
その中でよく知られているのが、島田陽子さんとの不倫です。
島田陽子は清純派女優でしたが、そんな人がヤンチャな内田裕也と不倫していたのですね。意外です。
内田裕也さんは女性への依存性が強く、島田陽子が別れ話を切り出したときにも彼は怒り刃物を振り回したそうです。
その時の現場は伊豆の別荘にて起こりましたが、大声で逃げ回る島田陽子に近所の人が気付き、大事にならずに済みました。
怪我もなかったので「ただの内輪喧嘩」で片付き、逮捕には至りませんでした。
そんな島田陽子との縁も、なかなか切ることができなかったようですね。
内田裕也さん、都知事選に立候補
追悼
東京都知事選挙の政見放送#内田裕也 pic.twitter.com/oyQaAD1H2e— kaku0818🌕 (@Kaku0818Y) 2019年3月18日
さてそんな内田裕也さんも日本国民、被選挙権を有しており、1991年に東京都知事選立候補したことがあります。
ただただひたすらスイングアソングする政見放送。
やっぱり上手ですよ、歌!!!
最後に「ヨロシク★」と囁き、公約などに一切言及しないまま時間切れという、放送事故かと思ってしまうような内容でした。
にもかかわらず、落選したものの16人の候補者中5位という結果を残しており、健闘したと言えるでしょう。
島田陽子さんは出馬した内田裕也さんに金銭的な援助をしていましたが、その後に島田陽子は借金地獄に陥ってそこでようやく二人の関係は終了。
しかし懲りない内田さんの次なる愛人は、航空会社の幹部の女性。
ハワイのお寿司屋さんでその女性といる所を目撃されるのです。
一人去っては、また次に誰かが現われる内田裕也。
そしてこの知的な女性もまた、彼を金銭面で支えており、間違いなくはヒモ男になる素質は高かったのでしょう。
まとめ:それぞれの愛の形
このように、内田裕也さんは浮気性であり暴力的でもありストーカー行為も後を絶たず、人生において女性関係も非常にヤンチャだったと言えます。
それでも樹木希林さんは離婚せず、その理由は「夫のことが好きだから」という非常にシンプルなもの。
これだけ浮気されて、さらにはDVまで受けていたにも関わらず、周りから見ると理解しがたいことです。
そこにはやはり、内田裕也と樹木希林というビッグに個性的な夫婦にしか分からない、愛のカタチがあったと言えそうです。
希林さんは昔、内田さんと離婚しない理由を聞かれたとき、「暴力振るうし、どうしようもない男だけど志の高さだけは純粋で尊敬できるから縁を切りたくない」と答えていたそうです。
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