チャンス大城の埋められた話などエピソード集!年収や家族は?

知る人ぞ知る「地下芸人」の大スター・チャンス大城さんという方をご存知ですか?

あまり表立ってテレビには出てきませんが、存在自体がオカルトとまで言われる、濃い芸風?を持つ人で、さまざまな壮絶エピソードに事欠きません。

芸歴30年、いまだ風呂なしアパート住んでいて、しかもこのアパートは霊道が通っていて、「芸歴25年以上で売れてない奴は射殺される」などおかしな夢をたくさん見るそうです。

とにかく強烈なエピソードに事欠かない人で、体を張ってネタを作っている人なので、応援しています。

はやく売れてほしいな。




チャンス大城さんのプロフィール

まずは、基本的な経歴から確認。

本  名 大城 文章(おおしろ・ふみあき)
生年月日 1975年1月22日(2019年で44歳)
出身地 兵庫県尼崎市
最終学歴 伊丹市立伊丹高等学校(定時制)
家族構成 父・ブラジャーの金型工場勤務
母・目立ちたがり
兄・抓切らない風呂に入らないピアノの天才
姉・占い師「ミステリアス」
出  身 大阪NSC8期生、13期生(再度NSCに入学)
コンビ名 ビックママ
南北朝鮮
右心臓800
昭和右心臓
大城・三宅
(※いずれも解散)
貯  金 3654円(2018年8月現在)
座右の銘 いざ地上へ

チャンス大城さんは「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」に所属するお笑い芸人です。

出身地は兵庫県尼崎市で、中流家庭に育ちます。

小学校の時はアトピー性皮膚炎の症状が重く、包帯を巻いて学校に通うほどで、同級生には『ミイラマン』と呼ばれてからかわれており成績も最悪。

小学校5年まで九九ができないくらいで、ずっといじめられていたことを公言しています。

しかし、5年生のクラスのお楽しみ会でモノマネ」をしたところ、これが非常にウケました。

そうしたらいじめられなくなったため、これが芸人になろうかな?と考えはじめたきっかけです。

チャンス大城さんといえばコンビ名の元にもなった心臓が右にある話も有名ですが、中学生になると心臓が右にあるキャラクターのあだ名をつけられていた、というエピソードもあります。

しかし中学2年生の時に『4時ですよーだ』というお笑い番組に出演し、F1グランプリのネタで優勝したことで、学校でも一目おかれるようになりました。

ちなみにこの時の優勝商品は当時人気があったゲーム機で、本人は一目おかれるようになった後にも、このゲーム機をたかられたことがあったと雑誌で語っています。

大阪NSCへは高校入学前に入ってますが(8期生)、1度お笑い界から離れ、まず高校に入学することにしたそうです。

高校は定時制に通い、文化祭で野良犬を捕まえてドッグレースを開催しようと試みたり、心霊スポットに埋められて知らない人に助けられた「埋められた話(後述)」の元になった出来事など、数々の経験を積むことになりました。

そして高校を卒業するとお笑い業界に舞い戻り、地下芸人として活躍するようになります。

お笑いの道へ

その後、大阪NSCに13期生として入りなおしています。

この時の大阪NSCの同期には、千原兄弟やバッファロー吾郎などがいます。

吉本興業でデビューした後は、和田英雄さんとコンビを組みましたがなかなか売れず、大川興業に入って舞台にでたり、南北朝鮮というコンビを組んでみましたが、こちらも短い期間で解散。

その後も右心臓800というコンビや、昭和右心臓、城・三宅というコンビを組みましたが全て解散し、現在はピン芸人として活動しています。

所属事務所については2009年の6月10日に大川興業を退社しており、しばらくフリーランスで活動した後、2018年からよしもとクリエイティブ・エージェンシーに再び所属しています。

チャンス大城さんは、芸人以外のバイトでも変わった経験を積んでいます。

例えば映画館のバイトでは、深夜に館内から出て行く常連のお客さんに挨拶した後、清掃するために客席に戻ると、今しがた挨拶したはずのお客さんが亡くなっているのを見つけた、といったことがあったそうです。

こういったエキセントリックなエピソードが、現在のチャンス大城さんのお笑いスタイルに繋がっているのかもしれません。

心臓が右

これはけっこう知られていますが、チャンス大城さんは、心臓を含めた内蔵が、すべて右側にあります。

日常生活にまったく支障はありませんが、高校の時に、創立60周年記念で生徒全員が風船に願いごとを書いて飛ばすイベントがありました。

チャンスさんは「僕は内臓がすべて逆についています。お友達になってください」と手紙に書き、実家の電話番号を書いて飛ばします。

すると3日後、8歳の女の子から実家に連絡がありました。

その女の子がチャンスさんの手紙を読んで実家に電話してきて、電車に乗って会うことになりました。

その子が指定した駅で待っていたら、麦わら帽子をかぶったミッキーマウスのシャツを着た女の子が歩いてきます。

チャンスさんに気づいた女の子は「お兄ちゃん、心臓触らせて」とお願いしてきたので、もちろん「いいよ、ほら、ここだよ」って触らせます。

そしたら女の子の方から「私のも触って」と言うので触ろうとしたら、張り込んでいた警察官に逮捕されました。

実は、その女の子の親が、黙って知らない人と電話で話して会う様子だったので、警察に通報していたのです。

もちろんきちんと説明し、誤解はとけましたが、やはりチャンスさんらしくネタになるエピソードになってしまうんですね^^;。

年収8万円とすべらないあだ名

チャンス大城さんですが、年収はお笑い関連のみだと8万円と語っています。

あまりに少ない収入を補うため、土木関係の日雇い仕事をやっています。

2018年に『すべらない話』に出た後のこと、朝礼の時に100人くらいの作業員の前で現場監督に『あれお前、昨日すべらない話に出ていたよな? 』って言われ、それ以降のチャンスさんの現場でのあだ名が「すべらない」に変更。

「おい、すべらない、そのスコップ取ってくれ」「おい、すべらない、そこすべるなよ、すべらない! 」と、なんとも現場になじむあだ名がつきました(笑)。

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埋められた話とは

チャンス大城さんの実家は、大阪の西成の近い場所にあります。

チャンスさんは若い頃、地元の友達と2人でつるんで、ちょっとしたいたずらを繰り返していました。

しかし、数が重なったのか度が過ぎたのか、いつしか地元の怖い先輩に目をつけられてしまって、文字通り山に埋められてしまいました。

しかもその先輩たち、妙に手が込んでいて、孤独感を味合わせようとしたのか、ふたりとも別々の山に埋められてしまいました。

2人は心細さと恐怖心をまぎらわせるために、あっちの山とこっちの山で、「大城、大城」「大丈夫かー」と、夜中にやまびこで会話をしました。

やはりというか何というか、間の悪いことにその山は心霊スポット。

夜中に若者が肝だめし気分でやって来ることがありますが、チャンスさんたちが埋められていた時も、若いカップルがすぐ近くまで車で来て、「助けてもらえる」と思ったチャンスさんが「おーい」と助けを呼んだところ「生首だ!」とたいへん驚かれ、そのまま逃げ帰ってしまったとか。

結局は次の日のお昼に、たまたま通りかかったトラックの運転手のおじさんに掘り起こしてもらって無事救出。

本当に誰も来なかったら死んでいたところです。

チャンスさんは、隣の山に埋められていた友達も掘り起こしてもらって、そのまま街まで一緒に運んでもらい、運ちゃんにお昼をご馳走になったそうです。

しかしここでチャンチャンときれいに終わらないのがチャンスさんのエピソード。

お昼は鉄板焼きのハンバーグ屋さんでしたが、一緒に埋められた友達が急に「痛い痛い」と叫び出したと思ったら、胸元の襟のすき間からサソリが出てきて、鉄板の上にぼとりと落ちて、ジュワーと焼けてしまうといったという……。

どこまでもシュールなオチがつきました。

チャンス大城の壮絶エピソード集

やばい芸人エピソードを多数持つチャンスさんは、家賃3万円の風呂なし共同トイレのボロアパートに住んでいます。

アパートには部屋は3つあるのですが、なぜかチャンスさんしか住んでません。

そんな彼にまつわるエピソードには、霊媒師など霊感に関する話も存在します。

いつも霊がとりついている

ある日、チャンス大城さんはなべやかんさんに連れられて、とあるキャバレーに行きました。

彼の隣の席には霊媒師の方が座っており、特別に見てもらえることになったのですが、その霊媒師はチャンス大城さんを見始めて、すぐになにかに驚いたような様子を示しました。

そしてチャンス大城さんには、室町時代の河原乞食の霊が憑いていると話したそうです。

河原乞食とは、河原で芸を見せてお金や食べ物をもらっていた人々のことで、芸人や役者の原点ともいわれています。

これはこれで、芸人としてはありがたいお守りになるんじゃないかな?と、チャンス大城さんはそんなに悪い気はしませんでした。

また、彼の自宅の壁にはお札が貼られており、霊媒師から、ここは霊の行列ができる部屋だと教えられたともインタビューで話しています。

松本人志さんの実家の表札を盗む

さらに芸人になる前のエピソードとして、大ファンだったダウンタウンの松本人志さんの実家でやったエピソードも、その特異性を象徴するものとなっています。

当時中学生だったチャンス大城さんは、ある日思い立って大好きだった松本人志さんの実家を探しにいくことにしました。

そして無事に憧れの人の実家にたどりつき、玄関にかけられていた表札を見上げた時、そこに「人志」という名前が刻まれているのを発見したのでした。

チャンス大城さんはその瞬間とても感動し、気付くと表札を盗んでしまっていたそうです。

それから表札をお守りがわりにして所持していましたが、その後に3人しか落ちない高校に落ちてしまったりと、ご利益はあまりなかったようです。

後にこの件について松本人志さんに話す機会もあったそうですが、チャンス大城さんは「松本さんはただ笑って流してくれた」と語っています。

ゲイの極道に気に入られる

先に挙げた、映画館でアルバイトをしていた時の話。

そこで何がきっかけかオカマの極道に気に入られ、拳銃をつきつけられつつ、バイクでデートに誘われます(これ、脅迫?)。

これはヤラれてしまうと思ったら、相手の方ががお尻を突き出し、こっちが挿れるのかと驚いたとか……もにょもにょ。

その後、どうしたんでしょう。

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イスラム教に改宗

ほかの強烈エピソードには、宗教関連のものも多数あります。

もともとチャンス大城さんの家族はキリスト教徒で、クリスチャンネームとして「大城アントニウス文章」という洗礼名を持っていました。

文章という名前は、落語家の桂文珍さんが由来だそうです。

しかし2007年になると、テレビ番組の企画のためにと母親を説き伏せ、イスラム教へ改宗しています。

な、なぜあまり仲が良いとは言えない方向の宗教に……^^;。

ほかにも、就寝中の父に向かって野良犬をけしかけたことを教会で懺悔した、といったエピソードなども。

お笑いネタのために某宗教団体に入信

さらにチャンス大城さんは、一時期、笑いのネタのために、某宗教団体に入信したことがあります。

期間はわかりませんが、オ◯ムに近い団体だそうです(公の場では絶対言えないところ)。

この理由が「ちょっとネタになるかなと思って」で、まさにお笑いと芸に人生捧げた、芸人の鏡です。

プチブレイクは深夜番組で57歳

あとは、占い師であるお姉さんに「いつごろ売れるか」を占ってもらった時の回答が「57歳」

「いつ売れるか」は、松本人志さんなみに売れることを想定した質問だったと思われますが、「プチ」という形容詞つきで、しかもゴールデンタイムではない深夜帯だったという……。

そして「東京に出ても売れない」とまで言われたそうで…うーんと、地味に当たってる?…こんなに面白いんだから、もうちょっと早く売れてほしいな……。

まとめ:体験談が一番面白い

随所にカルトちっくな面白みがあふれていて、目が離せないチャンス大城さん。

このように面白い実体験エピソードをたんまり持つチャンス大城さんは、これからの活躍が期待できるお笑い芸人といえそうです。

昔は、テレビに出られる芸人さんは、大手の事務所に所属していて、そのコネが使える人たちに限られていましたが、近年のバラエティ番組の傾向は完全に実力主義。

「おもしろい人なら積極採用」の流れになっているので、もっとチャンスさんをテレビで見たいなあと思います。

これほどカラダを張っている人、江頭さんくらいなのでは??

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