イタリアのロシーニョはなぜ廃村になったの?廃墟には誰も住んでないの?

8月4日(土)放送の「世界!極タウンに住んでみる」では、南イタリアの廃村「ロシーニョ」という村が紹介されます。

約60年前にすべての住民が他の町へ行き、今では誰も住んでいない「廃墟」です。

町には放棄された多くの建物が雨風にさらされ、朽ちていくのを待つばかりの建造物が、今なお美しく立ち並んでいます。

写真を見る限りでは、村の一番良い時代で時間が止まったかのような、ひと気のない様子がかえって神々しく、なおいっそう訪れる人の目を引き付けます。

イタリアのゴーストタウン、ロシーニョについて見てみましょう。

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ロシーニョ村の基本情報

ロシーニョ (Roscigno) は、人口993人のイタリア共和国カンパニア州サレルノ県のコムーネ(共同体)のひとつです。

11世紀の書物に、すでに「ロシーニョ」の村の名前を見ることができます。

村の起こりは、当時「ピアノ」と呼ばれた都市の近くに建てられたベネディクト系修道院の周りに、主に羊飼いの人々が住み始めたのが始まり。

ずいぶん古い歴史を持つ村なのですね。

↓↓↓地図はこちら。旧市街のちょっと南に新市街があります。

ナポリ市から車で2時間。途中、お店やホテルはありません。この村に寄るのなら、日帰りか野宿、もしくは車中泊を覚悟しましょう。

実際、ゴーストタウンとは思えないくらい美しい町なんですよ。

標高 570 m、面積 14 km2。

小さいですが明るい丘の上にあるため日当たりはよく、住みやすい土地に見えます。どうしてこんな美しい村に人が住まなくなってしまったのでしょう?

原因は、自然災害と病気のようです。

サレルノ県は、古い地域と新しい地域の2つに分かれています。 ロシーニョは旧市街に属しています。

旧市街を「ロシーニョ・ベッキア」←廃墟はこちらのこと

新市街を「ロシーニョ・ヌーヴォ」

と呼ぶそうです。

最盛期には1600人もの住民が住んでいたロシーニョ・ベッキア。

しかし旧市街地に1902年に大きな地滑りがあり、多数の住民が避難をはじめたため、だんだん人が少なくなり始めました。1900年代初めには、すでに古い村の一部が撤去されはじめていたのです。

昔は丘のふもとのほうに集落があったのですが、長い時間の間に、住民の人たちは災害が起こるたびに山肌の上の居住地を少しずつ丘の上へ上へと移動していったため、「歩く都市」と呼ばれるようになったとか。

この丘の下には水脈が流れていて、もともと土がもろく、滑りやすい地層だったのです。
1964年には、残った住民がマラリア流行にかかりました。

さらに1980年に、マグニチュード7弱の直下型大地震(イルピニア地震)がこの地域を襲い、2,483人以上が死亡、7,700人以上が負傷、25万人が家を失うという大惨事がこの地域を襲いました。

とうとうイタリア政府から退去命令が発令され、ロシーニョの残った住民も、町から出ていかざるを得ない事態に追い込まれたのです。

倒壊のおそれのある建物はすべて壊されており、現在は30戸ほどの建物が残るのみです。
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ロシーニョ村のただ一人の住人

ロシーニョには誰一人住んでいないとされていますが、実はたった一人で今なお住み続ける人物がいいます。

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出典:https://www.leggo.it/news/italia/roscigno_vecchia_national_geographic_giuseppe_unico_abitante-2347376.html

この村の最後の居住者は「ジュゼッペ」さんという男性です。 彼はこの壮大な遺跡に、30匹の猫ちゃんと一緒に住んでいます!

村には電気はなし。当然水も流れていない。調理するために、火を起こして鍋の中に入れた水を加熱しなければなりません。

ジュゼッペさんは畑を耕していて、農産物も自分で作っています。シャワーは町の中心にある噴水を利用するなど、かなり気ままでフリーダムな毎日です。素敵ですね!

親戚がこのロシーニョ村の住人で、ジュゼッペさんが小さい頃は、よく遊びに来ていました。若い頃は着る服がないほど貧しく、肉体労働や郵便屋、俳優などの職業を転々としましたが、最後にこの村にたどり着き、この村とともに生きることを決心しました。

「俺は毎日、この村で太陽を追う生活をしているんだよ」

ジュゼッペさんには奥さんがいたのですが、奥さんは世界旅行をするために数年前に村を出たそうす。彼は、完璧で幸せな孤独のただなかにある、この幽霊の町で奥さんの帰りを待っています。

お子さんは3人、世界各国で活躍しているとか。

猫ちゃんと一緒とはいえ、たった一人でさみしくないのかなあ?と心配になるのですが、暮らしは思いのほかにぎやか。

なぜなら、この村には世界中から観光客が訪れるから。

ジュゼッペさんは別に訪れる人を拒んでいるわけではありません。ロシーニョを訪れた人には、村の太陽博物館として知られる1800年代後半から改築された家などを案内してくれます。
つまりジュゼッペさんは、ロシーニョ村の「ガイドさん」なんです。

旅行者がロシーニョの観光を終えて出発する前に、ジュゼッペさんはゲストブックに署名するように求めてきます。

そしてこの村と、村を熱心にガイドしてくれたジュゼッペさんにあてて旅行者は、世界中からポストカードをお礼として送るのです。

彼はロシーニョを訪れた観光客が送ってくれた、自慢のポートレートコレクションを披露してくれるんですよ!

なお、昔貧しかったからなのか、ジュゼッペさんはとってもおしゃれ。ネクタイを700本以上持っています。俳優の経験もあったからなのか、とにかく服のセンスがいいのです。

私室の壁のポートレートは、おしゃれをキメッキメに決めたジュゼッペさんでいっぱいです(笑)。

なお、ジュゼッペさんは不法にこの村に住んでいるわけではありません。もとの住民たちの許可をちゃんともらって居住しているんです。

政府から退去命令が出て移住せざるを得なかったもと住民も、「廃墟に住むのは大変なことだと思う。彼は私が生まれた街を守っていてくれるの」と、非常に好意的で、彼に感謝すらしています。

ジュゼッペさんの友人や、もとの住人たちが時々訪ねてきてカード遊びをするのですが、その時に差し入れとしてジュゼッペさんに食べ物や水を持ってくるそうです。

ぜんぜん寂しくなさそうで安心しました!

まとめ

イタリアの廃墟の町・ロシーニョは、その地理的条件から地滑りの被害が大きく、人々がやむなく移住し、だれも住まなくなってしまった土地でした。

「俺は、この村の過去そのものと生きているんだ」

しかしロシーニョ村の幽玄な雰囲気は、毎年何千人もの旅行者や観光客を惹きつけています。

唯一の住民がこの村を深く愛し、ユニークで自由な精神で村に残ってくれたこと、洗練された噴水、古い路地サン・ニコラ・ディ・バーリ教会、古い農家や古い中庭など、古い歴史の「遺産」が世界中の人々を魅了してやまないのです。

いつかこの美しい村を訪れてみたいものですね。

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