樋田淳也は市橋達也の逃亡生活を参考に?10年前の市橋プランとは?

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2007年、千葉県市川市で、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカー(当時22歳)が市橋 達也という男性によって殺害されました。

この事件は「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」と名付けられてます。

リンゼイさん殺害後に市橋達也は逃亡、一度警察に拘束されかけるも、それを振り切り、逃走。

驚くべきはここからで、すぐに捕まると思われていたものの市橋達也はこの後、2年7ヶ月、実に1000日近くにわたって国内を転々とし、逃亡生活を継続しました。

現在逃亡を続けている、強制性交や強盗傷害などの疑いで計4回逮捕されている樋田淳也容疑者は、この市橋達也の逃亡生活を参考に行動しているのではないかと考えられています。

10年前の市橋達也の足取りをたどってみました。

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まずは移動手段と逃亡資金を手に入れる


↑↑↑8月12日に大阪府富田林市の富田林警察署から接見中に脱走した樋田淳也容疑者ですが、逃走後7日がたつものの、一向に逮捕される気配がありません。

樋田淳也容疑者は富田林警察署(青○)から逃走して近くで自転車を盗む、羽曳野市(赤□)で自転車を捨てています。

実家が松原市にあり(紫○)、自転車を捨てた羽曳野市から直接実家に向かったのではないかと考えられます。松原市と羽曳野市は隣同士であり、歩いて90分くらいの距離なのです。

ここでどういうやりとりがあったかわかりませんが、その後、大阪市内で数件のひったくり事件が発生していることから(赤✩)、全件とはいわないものの樋田容疑者が関与している可能性があります。

実家(地主の家で裕福)に立ち寄って逃亡の手助けを依頼したものの、その後ひったくりを重ねているのならば、援助を断られたのかもしれません。

というか、これだけ近くにいて、実家に寄らないというのも考えにくいです。

市橋達也の場合、逮捕まで実質的には警察に拘束されていないため当初から現金5万円を持っていましたが、樋田淳也はひったくりで当面の交通費や宿泊費などの逃亡資金を工面した可能性が高いです。

10年前の市橋達也は、まず千葉市から当時交際中の女性に電話をかけて、逃亡の手助けを依頼しています(通話できず断念)。


そして逃走初日のうちに放置自転車や電車を利用して、市川市の自宅(←いちど実家に寄って逃亡資金をゲットしている)から東京に入り、上野経由で秋葉原まで移動しています。

自首ではなく逃亡すると決めたならお金が必要です。この場合お金を工面するなら、もらうか拾うか、盗むかしかありません。

しかも、樋田淳也容疑者の実家は、自転車を捨てた羽曳野市から徒歩で1時間強です。

まだ逃亡が始まって1週間ですが、

・自転車など当面の移動手段をまず確保した点、

・実家を頼った(樋田容疑者の場合は「かもしれない」ですが)点、

・逃亡資金をなんとか調達しようとしている点

が、とても似ています。

季節的に寒くはないので野宿しているかもしれませんが、ネットが使えるマンガ喫茶に出入りし、情報収集をしている可能性も高いのです。

犯罪者に逃亡資金を渡さないよう、マンガ喫茶を利用する方、及び近隣の方は十分に注意してください。

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市橋達也は親から援助を受けていたため全国を逃げ回ることができた


↑↑↑市橋達也が無人島でサバイバルをしたオーハ島。市川達也滞在時は住民が1人いたが、現在は無人。

市橋達也は東京に入ってすぐ、自分の顔をハサミで切り、糸で縫って自分で自分の顔に整形手術を施します。

ハサミで自分の唇を切ったのです、すごい執念です。

この後、1年半ほど、市橋達也は青森県からそれこそ沖縄県まで、全国津々浦々の逃亡生活を継続します。

樋田淳也容疑者と同様、市橋達也の実家も整形医者で裕福で、彼の場合は逃亡後しばらくは実家の資金提供を受けていたと思われます。

ここが樋田容疑者と違う点です。市橋達也はお金があったので国内の広範囲を逃げ回ることができました。

最初は青森県まで北上し、このあたりで仕事口を探すつもりだったのでしょうが、不景気で仕事がなかったため、いちど大阪のハローワークに立ち寄ってます(就職せず)。

その後は岡山県を経て四国に入り、お遍路巡りをしています。

贖罪の意味があったと言われていますが、市橋達也は育ちが良く苦労を知らない人物だったので、逃亡生活の辛さを知ってそういう気持ちが芽生えたのかもしれません(お遍路に変装していただけだとは思いますが^^;)。

しかし結局は「指名手配されてしまったら自首しても減刑されないから」という理由で、途中でやめています。

市橋達也はそのまま沖縄県まで南下し、一人で無人島生活まで始めました。

沖縄本島の建設会社で偽名を使って労働者として働く

市橋達也はやがて実家からの資金提供が打ち切られ、逃亡生活を続けられなくなり、働かざるを得なくなります。

無人島生活が続けられなくなり、仕方なく沖縄本島の建設会社の労働者として働かざるをえませんでした。このとき、「イノウエコウスケ」という偽名を使っています。

「なんでもやりますから使ってください」と言って、ふらりと現れたそうです。

建設会社の寮で生活は、

・人付き合いをほとんどせず、メガネを掛け帽子姿にひげをはやし、素顔を出したがらない


・風呂には一人でしか入らない


・パトカー・覆面と思われる車が近くに来たら持ち物を置いて逃げる


・写真に写りたがらない

といった感じで、人付き合いをしたがらなかった様子です。

勤務態度は良好でしたが、このように時々挙動不審なことがありました。

建設会社で働いてお金が貯まると、オーハ島に行って一人サバイバル生活を繰り返すという、デュアルライフをしばらく送っていました。

市橋達也は医者の家のボンボンで、犯罪を犯す28歳までいちども働いたことがありません。

よっぽど捕まりたくなかったのでしょう、人間、追い詰められると信じられない根性を発揮するのですね。

これは、樋田淳也容疑者にも言えることです。

市橋達也は整形手術後、大阪市西成区で働いていた

市橋達也は逃避行をあきらめていないことは、沖縄の建設会社で働いてお金を貯めた後、名古屋で整形手術をしていることからもわかります。

この手術で手持ちのお金をあらかた使ってしまったのか、手術後に立ち寄ったのが大阪市西成区の「飯場」なのです。

ここ西成にはワケありでも何でも受けれてくれるところです。

健康でさえあれば、身元が怪しくても誰でも受け入れOKなのです。

そもそも、ワケありでない人間はこの界隈で働こうとは考えません。

指名手配犯も普通に潜伏して暮らしている場所。

こういう街にに自分から足を運ぶのは、何か表に出せない理由がある人たちです。

逃亡者からすれば、何よりも有難い場所。これこそが西成に潜伏するいちばんのメリット。

ここはそういう場所なのです。

あいりん労働福祉センターの前では、毎朝、仕事の手配師が日雇い労働者やホームレスの人たちを集めて仕事を斡旋しています。

ここでは多くの人たちが仕事を得ようと集まっていますが、市橋容疑者はその集団には入らず、目立たない路地の仕事手配師に声をかけたそうです。

手配師の方も、市橋達也とは気づきませんでしたが、「こいつはワケアリの男だな」とは思いながら、差し障りのない仕事を紹介したといいます。

市橋達也は大阪市西成区でしばらく働いたあと、整形を受けた名古屋の病院による通報を受けた警察により、沖縄に向かうフェリー乗り場で捕まりました。

まとめ

いちど逃亡を決めた人間の底力は、ものすごいものがあります。

初期の逃亡時にお金があるかないかの違いで、行動範囲には差がでてきます。

もし市橋達也に親からの援助が無く切羽詰まった状態だったら、(東北方面を回ったあとに一度は寄っていることですし)やはり大阪市の西成区にしばらく居続ける可能性は高かったのではないでしょうか。

樋田淳也容疑者は、この市橋達也の足取りを参考にしているのではないかと言われているのです。

上の方の地図では、大阪市浪速区の事件の後、ひったくりは起きていません(緑○)。

そして、最後にひったくり事件のあった浪速区から1キロ南に歩けば、素性を問わず健康であればお金を稼げる西成区に至るのです。

今の段階では、

・帽子を深くかぶって髭を生やすなど、人相を隠し、

・逃亡資金を調達しやすい大阪市西城区に潜伏する

可能性は、極めて高いと言えます。

宿も定めないままスリやひったくりで逃亡資金を工面するにも限度があります。

手っ取り早く資金を得るため、樋田淳也容疑者が西成区に潜伏している可能性は十分あります。

おそらく、警察のローラー捜索がひと段落着いた頃あいを見計らって、西成区に入るのではないでしょうか。

他人に関心を払わない大都市圏ですし、最近はスマホを見てばかりで周囲の人の顔をきちんと見ることも少ないかもしれません。

しかし、決め手となるのは実際に接した人の印象によることが多いので、「あれ?」と感じた人には、十分注意しましょう。

【参考リンク】

樋田淳也の刺青の意味は?うさぎと米俵と打出の小槌が合わさると? 

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