オウム真理教の青山吉伸弁護士の今現在は?オウム随一の強運の持ち主!

オウム真理教事件を覚えていますか?教団に対する強制捜査から23年も経ちました。

2018年7月に、死刑囚13人全員の死刑執行が終わりました。

麻原彰晃(松本智津夫)も故人となったものの、その遺骨をめぐる家族の骨肉の争いがヒートアップしていたたり、上祐史浩がアレフ代表を経てひかりの輪の代表となって後継者争いのいざこざが耐えなかったりと、関係者は相も変わらずです。

なかには、麻原の長女や四女のように、このオウム事件から一切関わりを断ち、できるだけ静かに暮らしたいと願っている関係者もいます。

彼女たちは「子は親を選べない」のですから、親に壊されてしまった人生の後半は、穏やかに生活して欲しいと思います。

オウム事件の主要人物は、これでだいたい死亡したり、相変わらず元気な人たちと様々ですが、そういえば当時、よくテレビに出ていて有名な信者がひとりいたのを覚えていますか?

オウム真理教の顧問弁護士にして「法務大臣」、青山吉伸です。

彼は今、どうしているのでしょう?

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青山の現在は?

生年月日:1960年3月9日(2018年で58歳)

出  身:大阪府柏原市

出身大学:京都大学法学部 ※在学中21歳時に最年少で司法試験に合格

ホーリーネーム:アパーヤージャハ

ステージ:正悟師

教団での役職:顧問弁護士・法務省大臣

入  信:1988年~

関係した事件:滝本太郎弁護士サリン襲撃事件、宮崎県資産家拉致事件、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

判  決:懲役12年(控訴棄却)

いやーなつかしいですね、このネズミ顔。

顔を見るだけで小心者でこずるそうな印象を人に与えるので、「ああオウムの顧問弁護士ってこの程度か」って思ってました。優秀は優秀なんでしょうけどね。

上祐史浩とよく一緒にテレビに出ていて、だいたい引き立て役になっていましたっけ。
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オウム真理教の元幹部・青山吉伸は、2002年に懲役12年の実刑判決が確定しましたが2009年に仮出所。

2014年、刑期満了。公安のマークはゆるくついているでしょうが、いちおう自由の身に。

現在青山は大阪府柏原市に戻り、父親の残した資産で細々と生活しているようです。両親はすでに死亡。

マンションの不動産の家賃収入があると聞きます。

また、お見合いで学生時代の同級生と結婚し(子供の年齢的に、オウム入信前?)、現在は子供もいるとか。近所の人はスーパーで普通に姿を見かけるようです。

オウムとは縁を切りたいようで、連絡をとってないようです。

なお、日弁連の弁護士検索機能で検索してもヒットしませんので、現在、弁護士業はやっていません。

※前科が実刑の場合、刑法第34条の2により、10年経過しないと言い渡しの効力はなくなりません。つまり、刑の執行終了後10年経過しないと欠格事由となります。

青山の場合、2024年にならなければ弁護士登録はできないことになるので、当然といえば当然ですが^^;。

しかし、これほど悪名を全国に轟かせてしまった青山を、10年経過したとしても、弁護士会が登録を認めるかどうかは疑問です。

最新の情報では、三重県伊賀市が主催している

2012年青山高原つつじクォーターマラソン



に出場し、

273位 59分19秒

という成績を残しています。

ゼッケンには

青山吉伸 柏原市  No.1040 

と書かれていたようですので、間違いないでしょう。

※公式HPの記録はもう削除されてしまいました。

仮釈放中のマラソン大会出場です。せめて刑期満了まで大人しくしていられなかったのでしょうか。

それにしても、あれだけの事件を残して、まだ生まれ故郷の柏原市に住んでいるんですね……。

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青山吉伸のプロフィール

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青山吉伸の父親は「トミヤアパレル」という、大正時代から続く老舗の服屋さんでした。

最初は子供服メインでしたがのちに紳士用ドレスシャツの製造業会社として1991年に大証2部に上場、同年、東京に本社を移転しています。

業績が良かったのですね。ちなみにこの絶頂期はサリン事件の4年前です。

すんげーボンボンだったんですねこの人。

青山吉伸は京都大学卒業後、「なにわ共同法律事務所」に1984年の24歳の時に就職しています。

通勤途中の満員電車で腰を痛め、ヨガを始めたのがオウム主催のヨガ教室。ここで麻原彰晃(松本智津夫)の著作した本を読むようになりました。

その影響を受けてしまったのでしょう、1988年の28歳の時にオウムに入信するとともになにわ共同法律事務所から独立、「青山吉伸法律事務所」を開業、翌年の1989年の29歳の時に「出家」し、オウムの顧問弁護士になります。

実家のトミヤアパレルは、オウム事件後に青山の叔父の木田克也氏が代表になりますが、2009年に東京地裁に会社更生手続開始し、倒産しています。

ちなみにこの時の手続きをした弁護士は、青山吉伸が最初に就職した「なにわ共同法律事務所」に所属している弁護士です。

海川直樹弁護士という方で、現在も同事務所に所属しています。父親の会社絡みで、以前から青山家とつながりがあったのでしょう。

青山の父親は、以前の マスコミの「息子が出所してきたらどうするか?」という質問に対し、
「息子を社長にした会社を新設してあげる。 自分の敷地に家を建てて、そこで離れ離れになっていた妻子と一緒に暮らして欲しい」みたいなあっぽーぺんなこと言ってました。

青山吉伸には1988年頃生まれた娘がいて、現在30歳くらいです。

妻がどんな女性かはよくわかりませんが、青山の出所をずっと待っていたらしいです。

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青山吉伸の教団での暗躍

教団の幹部になった青山吉伸は、教団のスポークスマンになると同時に、犯罪にも手を染めるようになります。

関係した事件は次のとおり。

・滝本太郎弁護士サリン襲撃事件

麻原彰晃は滝本氏殺害を示唆する時に「魔法を使う」という言葉を使ったが、青山はこの魔法はLSDだと思っていたとして殺意を否認した。同じ弁護士という立場を利用して滝本氏を呼び出す役割を担いました。この事件の殺人未遂罪によって2002年に懲役12年の実刑判決が確定し、弁護士資格も初脱されました。

↑↑↑

青山をまともに罪に問うことができたのは、実質この1件のみ。

しかし、教団の幹部である青山が、ほかの事件には完全ノータッチだなんて考えられますかJK!!!

青山が関わっていることは確実だけれど、微罪だったり証拠不十分で立件できなかったのが次の3つの事件です。

↓↓↓

・宮崎県資産家拉致事件(仮谷清志さん拉致事件)

虚偽告訴罪

・公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

犯人蔵匿・隠避罪

・坂本弁護士一家殺人事件

関連性が認められず

知らなかった関わりがなかったなんてぜったい嘘だろクソが。

というのが、当時リアルタイムで報道を見ていた私の本音です。

特に最後の坂本弁護士事件は、青山や上祐が事務所に訪ねてくるようになったって言ってたんだぞ。実行犯ではなくても、下調べなど情報収集をしていた可能性は十分にあります。

しかも滝本弁護士事件の時のように、同じ弁護士という立場を利用して接触していたんです。

龍彦ちゃんも生きていれば今は、青山の娘と同じ30歳だったのですよ。

地下鉄サリン事件だってリムジン謀議に参加してたにも関わらず、共犯として起訴されなかったため、死刑を免れました。

青山は法律の専門家であるだけに、その抜け道を熟知しており、法律知識を巧みに使って罪を免れました。

これだけやって7年しか刑務所に服役してなかったんですよ、専門知識があるってやっぱり強みなのですね。

もともと秀才だった青山吉伸は、今となっては恥ずかしすぎるタイトルの著作の数々を出版して私を笑わせてくれます。

『真理の弁護士』シリーズ(オウム出版)

『真理の弁護士がんばるぞ!! オウム真理教顧問弁護士の手記』

『なぜわたしは逮捕されなくてはならなかったのか』

『ファッショは始まっている』

『理想社会』シリーズ(オウム出版)

『共産党宣言から真理へ』

『空想から科学へ、そして真理の世界へ 上下巻』

『つくられた冤罪 弾圧の真相』

この才能、ほかで使えばよかったのに。

最初の就職先の法律事務所では、熱心に仕事をしていたそうです。真面目だったんですね。

性格は真面目で優れた才能を持っていても、お脳が中二病を患っていると末代までの笑い者に早変わりする具体例です。

まとめ

くやしいですが、やはり青山の強運は、


・専門知識は身を助ける


・持つべきは金持ちの親


・出所を待っていてくれる嫁がいた

これらの点なんでしょうかねえ……。

当時のオウム関係者の中で、その後の生活がいちばん安定しているのが青山吉伸です。

出所した後の為に父親が一軒家を建ててくれたようで、悠々自適の生活を送っているようです。

せめてもう少しつましい暮らしをしてくれていれば、遺族の溜飲も下がるというものなのですが……。

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