麻原彰晃の性的修行の内容は?石井久子など愛人や子供たちの現在

若い人はあまり知らないでしょうが、7月7日に処刑された麻原彰晃には、妻の松本知子以外にも女性信者の中にたくさんの愛人がいて、教団内でハーレムを作っていました。

「修行」の名目で麻原と関係を持った女性信者はそれこそ100人をくだらないと言われましたが、その中で、特に有名になった女性信者を紹介します。

昨日の記事では麻原の家族について書きましたが、妻の松本知子のほかに複数の愛人がいたので、そちらの方について書きたいと思います。

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石井久子(子供3人)

生年月日:1960年9月26日(2018年で58歳)

ホーリーネーム:マザー・シャクティー・ケイマ  →  マハー・ケイマ

階級:正悟師

担当:大蔵大臣

出身:神奈川県横浜市出身

学歴:産業能率短大・秘書コース

麻原彰晃の寵愛が特に厚かった愛人です。

もともと文武両道の才女で大学進学を希望していましたが、女性であることを理由に両親に反対され大学に行けず、短大に進学しました。

卒業後は保険会社で働いて結婚もしていましたが、1984年に入信、1986年の26歳の時に娘一人を連れて出家、その後離婚しました。

教団内では熱心に活動し、早い段階で正悟師の位につきました。

写真のとおり、ロングヘアの綺麗な人で、麻原の「化粧っけのないロングヘアの美人」という好みにビンゴ。

妻の松本知子は郵政大臣(出版物・ビデオ編集担当)で、愛人が大蔵大臣ですよ。組織のお金を全部愛人にまかせてるんですよ。

妻より権力握らせたってことです

そりゃー険悪になりますよね。麻原最低だ。

もちろん松本知子はふたりの仲を知っていました。

※補足

オウム教団は活動後期には、組織体制を国になぞらえた「省庁制」に変更しており、各種活動の担当者を「大臣」と呼んでいました。国家転覆を企てているのではないかと危険視された原因の一つです。

麻原から組織のカネに関する全権を委任されたことで、麻原の寵愛を後ろ盾に、実質教団のNo.2の地位に就き、「女帝」として君臨しました。

坂本堤弁護士一家殺害事件で遺体の処理に参加、そのほかにも逆さ吊り死亡事件、サリン事件実行犯の犯人隠避容疑で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けた後は教団を離脱するも、出所後は一時、精神を病んでしまった時期もありました。

2007年、元幹部の上祐史浩らがアレフから独立して『ひかりの輪』を立ち上げた際、一緒に来ないかと声を掛けたがあっさり断ったそう。もう完全に教団とは無関係のようです。

石井久子は麻原の子供を93年(双子)と95年に産んでますので、2018年にはそれぞれ25歳と23歳。オウム脱退後、石井久子の私生児として届けられました。

公安関係者によると、石井久子は訪問介護の仕事をしながら、マンションで父親と2人暮らしをしており、麻原の子とは一緒には住んでおりません。

石井久子は、教団との縁はきっぱり切っています。

木田裕貴子(子供1人)

生年月日:不明

ホーリーネーム:スメーダ

階級:正悟師

麻原彰晃の子供を18歳の時1人(女の子)出産しています。

実母と麻原の子(娘・高校生)と3人で群馬県に住み、娘は乗馬クラブに通っているという証言があります。

うーん、このお金の出処……教団とはほんとにもう関わりがないのかなあ。

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その他、母親のわからない子供が少なくとも2人

麻原の血を引く子供は、俗説では「12~15人」と言われてますので、まだ他にも麻原の子供がいると思います。

親はどうあれ、子供には何の罪もありませんので、願わくはオウムに関係のないところで、健やかに育っていて欲しいと願います。

蛇足ですが、オウム教団には「ダーキニー」と呼ばれる女性たちがいました。

本来は「天女」という意味ですが、麻原と側近の幹部たちにとっては「麻原の愛人」を意味したのです。

このダーキニーはホーリーネームの一部にもなっていて、ダーキニーの名がつく女性信者が、なんと25人もいたというのです。

教団の施設内には麻原の愛人たちが暮らす専用住居もあり、この「大奥」で暮らさずとも、時折、ここに呼び出される女性信者もいました。

麻原による「性のイニシエーション」に指名された女性です。

指名された女性は麻原の居室がある建物の最上階の、40畳はあるだだっ広い部屋に連れて行かれ、その片隅に敷かれているマットレスで麻原の相手をするというのです。

なんつー味気のない行為でしょうか。

そうした人数を含めれば、麻原の愛人は、私が知る範囲でも30人以上いたといいます。

夕食は、麻原を中心に、その愛人たち全員の数十人がずらーーーーっとテーブルを囲んで食事をしていました。

麻原の好みの「ロングヘア」にしていれば、「私は愛人志望です」という女性信者側からの合図です。

逆に、麻原の愛人になりたくない信者は、髪を短くしていました。

施設内で妊娠した女性信者達は皆、出産してます。その子たちは「オウムの子」と呼ばれていました。

薄暗いサティアンの中でヘッドギアを付け、素っ裸で動物のように、垂れ流しの犬食い状態で放し飼い状態にされていました。

もちろん教育らしい教育など受けられず、ほったらかしでダンボールの上で寝起きしていたそうな。

1995年の警察の一斉捜査により発見・保護された子供の数は60人くらいいたと思います。全員が麻原の子供ではなく、信者が施設内で産んだ子や、連れてきた子もいるのでしょう。

児童施設に収用されたものの、親だと言う信者達が施設周辺に押し掛けて、子供を返せ~!などと抗議してましたっけおとといきやがれって感じですよね。

子供はトイレで排泄出来ない、食器を使ってものを食べられないという悲惨な状態だったっ子供たちも今はもう成人しています。名前を替えて戸籍を作り、日常生活を送っているのでしょう。

まとめ

ここには麻原の子供を生んだ女性たちのみを挙げましたが、他にも数人の愛人がいました。

中にはすでに死亡したり、末期ガンに侵されていたり、行方知れずになっている人もいるのでもうここでは挙げませんが、

…………

てゆーかほんと男見る目ないよねこの人たち。←これが言いたかった

顔見りゃわかるじゃないですか

イケメンに騙されるパターンはわからないでもありませんが、顔以前に、どうしてよりによってあんな不潔な男を選んだんだ。

オウム事件の時代のモテ男の条件は顔、金、学歴の三高でしたが、それ以前の問題だと思いませんか、基本的な人としての最低限のマナーだと考えなかったのでしょうか清潔感というのは。

妻の松本知子はまあ仕方ありませんよ、まだちゃんと散髪していた時代の麻原と結婚しましたからね。

↓↓↓画面では「1990年頃」って書かれてますけど、もっと前だと思う。
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宗教に入るのは、不安だったり不満があったり、心が弱っていたと思いますし、教団の中でしか「居場所」を見つけられなかった人たちなのでしょう。

その前にやっぱり人を見る目がなかっただけなのでしょう、抜本的に。

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