「梅沢富美男のズバッと聞きます!」で、美川憲一さんが特集されます!(*´ω`*)
美川憲一さんに逮捕歴があったことをご存知でしょうか?
美川憲一さんと言えば、テレビでの最盛期は2000年前後の約20年間だったでしょうか。
オネエ言葉でねっとりした口調がこれまた似合う「芸能界のご意見番」として、ワイドショーやバラエティ番組にあちこちに登場、タレントとしての地位を確保していました。
自身の経験に基づく物事に対する独特の解釈や、毒舌トークで、中高年女性を中心に大人気でしたね。
コロッケさんや神田うのさんと親交が深く、「おだまり」は流行語になりました。
最近はあまりテレビに出ることは少なくなりましたが、各地でコンサートを開催し、現在も精力的に活動中です。
美川さんのブレイクは今では誰でも知るところですが、その前に、ある犯罪をおかして逮捕されており、完全に干されていた時代があったのです。
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美川憲一さんの逮捕歴について
美川憲一さん逮捕歴が2回あり。1977年と1984年です。
理由は、どちらも大麻がらみでの逮捕です。
逮捕前後の様子を追ってみましょう。
まず美川さんは、21歳のデビュー後すぐに人気歌手になっています。
超若いころの 御本家‼︎美川憲一さんよ〜(#^.^#) pic.twitter.com/LGd4Mz8zVH
— 美川憲二(ヒデコ・フランセスカ) (@10061116) February 2, 2015
22歳の時に「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げるヒット
23歳の時に「新潟ブルース」でリクエストランキング1位、
24歳の時に「釧路の夜」が23万枚、この歌で紅白歌合戦に初出場しました。
26歳の時に「みれん町」「大阪の夜」「おんなの朝」と立て続けにヒット曲をとばし、
27歳の時に、第4回日本有線放送大賞スター賞・第4回日本作詞大賞大賞を受賞。
そして1972年、28歳の時に「さそり座の女」です!
【梅田マルビル店】
美川憲一『さそり座の女』を検盤チェックしていたら中からスーパーゼウスが出てきました。
そのまま中に入れておきます…。 pic.twitter.com/AwvtC3AwdQ
— キングコング アメリカ村本店 (@kingkong_music) 2016年11月3日
9.7万枚を売り上げるヒット曲となり当時の星占いブームのきっかけにまでなりました。
しかしこれ以降、美川さんの人気はしばらく低迷期に入ります。
1977年に「駅」が発売され、久々のヒット曲にると思われましたが……。
同じ年の33歳の時に大麻取締法違反で逮捕され、その後起訴猶予となりました。(1回目)
大麻をはじめたきっかけは、知り合いからたまたまもらっただけ。
最初は眠るために使いましたが体に合わず、友人に渡そうとしたところを密告されたというもの。
この事件のためイメージが悪くなり、「駅」はヒットに結びつきませんでした。
そしてこの事件が忘れられたと思われた頃、2回目の逮捕がありました。
1984年、40歳の時、自宅マンションで大麻取締法違反現行犯での逮捕されています。
その後、懲役1年6カ月、執行猶予3年の刑が科せられています。(2回目)
この時の心境を美川さんは「ホッとした」と表現しています。
もう、自分ひとりではやめるにやめられなくなってしまっていたのでしょう。
すっかり大麻中毒になってしまっていたのです。
10年くらいは続けていたんでしょうね。
このため、仕事面ではすっかり悪いイメージが定着してしまいました。
2回も大麻で逮捕された美川さんに仕事のオファーは途絶えてしまい、場末のスナックや地方の温泉地のドサ回りなど、落ちぶれた営業を行うしかなくなってしまいます。
美川憲一さんの経歴について
美川憲一さんの基本的なプロフィールを確認しましょう。
本 名:百瀬 由一(ももせ よしかず)
生年月日:1944年5月15日(2018年で74歳!)
出 身 地 :長野県諏訪市(諏訪大神のお膝元!)
血 液 型 :A型
ジャンル:演歌・歌謡曲・シャンソン
事 務 所 :株式会社オフィス・ミカワ
美川さんはお母さんが不倫して生まれた子供でした。
妻子がいることを隠し、結婚を前提に付き合って欲しいと言い寄ってきたナンパ男だったのです。
母親はとても美しい人だったそうです。
実母が肺結核になって美川さんを育てることができなかったため、東京に住んでいた実母の姉、つまり叔母さんに引き取られることになります。
最初は青春歌手路線で売り出し、21歳の時に「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。当時は男装・美少年キャラクターでした!
先ほど説明したように、出だしから数多くのヒット作に恵まれ、順調に実績を積み重ねていき、たくさんの賞を受賞していました。
栄光から一転してドブ底の10年間。
人生ダメになる寸前までいってしまったといいます。
しかし、それを押しとどめていたのは2人の母親のおかげ。
背負うものがあったために頑張り続けることができたという。
大麻事件ですっかりオチぶれてしまった美川さんを救ったのは、モノマネ芸人のコロッケさん!
1980年代後半、コロッケさんが美川憲一さんのモノマネをしたことにより、ふたたび美川さんの人気に火がつきました。
実はこの時のコロッケさんのものまねは、私的に親しくしていた美川さんが依頼したものです。策士ですね!
その裏には、恥も外聞もプライドも捨てた美川憲一さんが、自ら「仕掛けて」いたのです。
さらに1990年の46歳の時、にちあきなおみさんと共演した金鳥・タンスにゴンのCM「もっとはじっこ歩きなさいよ」が話題となり、その後の美川ブームへと続き、『奇跡のカムバック』を果たしたのです。
美川さんの逮捕歴については「3回?」と一部で言われていますが、事務所独立時に、前事務所から起訴されたことがありますので、このことで誤解があるのではないでしょうか。
東京地方裁判所は、前事務所の起訴を棄却しています。
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当時、大麻吸引で逮捕された芸能人
この時期、大麻で逮捕された芸能人についてまとめてみました。
・井上陽水…1977年、大麻取締法違反で逮捕、その後起訴猶予処分。
・内田裕也…1977年、大麻取締法違反で逮捕、その後起訴猶予処分。
・錦野 旦…1977年、大麻取締法違反で逮捕。
・研ナオコ…1977年、 大麻取締法違反で逮捕、その後起訴猶予処分。
実は この時期、芸能界では大麻逮捕者が続出しています。
その発端となったのが井上陽水さんで、おそらく同じルートから大麻を仕入れていたのでしょう、芋づる式に何人もの逮捕者が出ています。
大麻と覚醒剤は違います。
覚せい剤の方が中毒性が高く、罰則も厳しいですが、大麻も心身の健康を損なう危険な薬物であることには代わりありません。
美川さんのエピソードがいい例で、トップスターから転落し、表舞台に復帰するまでには33歳から45歳頃までの、実に10年以上の歳月が流れています。
美川さんは大麻の汚点を取り戻すために、歌手として脂がのる時期をすべて失ってしまうという大きすぎる代償を払っているのです。
あの華やかで贅沢好きの美川さんが、10年以上も世間から見放されくすぶり続け、地方をドサ回りしていたなんて、信じられませんね……。
大麻を吸引して社会的信用を失い、「死んだ」とまで言われ、誰からも忘れ去られていた時期があったのです。
まとめ:薬の代償は大きすぎる
2回逮捕されたといっても、美川さんの人生を振り返ってみれば、全盛期の年収25億円、生涯年収250億円以上とのことで、くさらず才能を鍛え努力し続けていれば、人生はどうにか盛り返しがきくのかもしれません。
ただし、努力の量は他人の10倍は必要で、その前に諦めて犯罪に走る人のほうが多いでしょう。
そして、チャンスは自分の頭で考えてつくるもの、なのかもしれませんね。
なお、実母は美川さんが52歳の時に、叔母さんは62歳の時に亡くなっています。
美川さんが生活の面倒を手厚く見ていたのでしょう、実のお母さんは肺結核だったのに長生きされています。
美川さんは2人の母親から綺麗な服を与えられて「きれいだきれいだ」と言われ続けていました。
そして叔母には歌舞伎や宝塚に連れて行ってもらったため、男性が女装をすること、女性が男装をすることに抵抗がありませんでした。
「さそり座の女」からオネエキャラを前面に出すようになると、その芸風を2人の母親は大絶賛。
ちなみにそんなオネエキャラな美川憲一ですが、実は25歳の頃、母親も気に入っていて、結婚も考えていた女性がいたそうです。
しかし結婚をしたら美川憲一でいられなくなると思い、最終的には美川憲一というキャラクターを守るために結婚はせず、歌ひとすじで生きてきました。
見事な人生ですね。
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