津野青嵐の奇妙な世界!精神科ナースが世界のデザイナーに大変身!

津野青嵐さんという女性をご存知ですか?

プロフィール的にはファッションデザイナーとしての正式なキャリアがないのに、イタリアの新人デザイナーのファッションコンテスト「ITS2018」にいきなりファイナリストに残ってしまった、まだ20代の女性です。

毒々しくも華麗なデザインは、私たちを奇妙で非現実的な世界へ連れて行ってくれます。

3Dペンで3Dプリンタードレスを作ってしまう津野さんは、いま世界中から注目されているファッションデザイナーです。

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津野青嵐のプロフィール

何はともあれ、プロフィールを。

生年月日:1990年(2019年で29歳)

出 身 地:長野県茅野市 ⇒ 東京

学  歴:看護学校

ファッションスクール・ここ

職  業:看護師(精神科)⇒アーティスト

血 液 型:AB型

津野青嵐さんは6歳まで長野県の小さな町で祖父母と一緒に育ち、おばあちゃん子で小さい頃からデザイナーに憧れていました。

お気に入りのアイテムが、「祖母の皮膚(の写真)のスクラップ」というのですから、尋常ではないおばあちゃん愛です。

もう「祖母マニア」と形容できるくらいのおばあちゃん好きで、現在は青嵐さんのセンスでお化粧してあげたり髪を巻いてあげたり、それが似合うと「たまらない」と悶える毎日。

小1、2の頃はしゃべらない大人しい子供で友だちはできず、東京で働く父が送ってくれた怖めの日本人形と、祖父が与えてくれた油粘土だけが遊び道具で、ドールハウスを持ってる周りの子供たちに負い目を感じてました(何かちょっと変わってますね^^;)。

小3のときに、新宿から渋谷の学校するとクラスメイトが家に遊びに来てくれて、すぐに仲間に入れてくれたことで明るい子供になることができました。

しかし受験して入った中学校時代は同じ小学校の子はいなかったし、その頃から太っていたためいじめにあい、居場所のない辛さを味わっていたそうです。

本当は美術系大学が希望でしたが、一人っ子で親を養わなきゃいけない立場だったので、食いっぱぐれのない医療系の学校を選択しました。

もともと津野さんの中には「変わりたい」という強い願望がありました。

「人はメイクやファッションで別人になれる」

と話していて、この言葉は自分の体験に基づくものです。

原宿の「白塗り集団」の中心・津野氏

津野さんのファッションのキャリアのスタートは原宿から。

ファッションに目覚めたきっかけが「アレクサンダー・マックィーン 2009秋 Ready-to-Wear Collection」で、まず彼のデザインの影響を強く受けました。

看護師の勉強のかたわら原宿カルチャーにどっぷりと浸かり、自身に施した独創的なアメイクや奇怪?なファッションが注目を集めていました。

原宿には実にさまざまなファッションの人たちがいましたが、「原宿の津野氏」といえば、当時はかなり有名で、思い当たる人も多いのではないでしょうか。

↓↓↓一番右側が2012年の津野さんです。

<公益財団法人国際文化フォーラムより>

この頃は、白塗りだけでなく独自のファッションとのトータルで自分の世界をつくりたいと思っていましたが、注目されたのは「白塗り」の部分だけ。

このことに気づいてからは白塗りはきっぱりやめ、看護師の仕事をしながら、家で絵を描いたりしていました。

ヘッドピース作家へ移行

2014年、24歳頃に転機が訪れます。

この年のハロウィン前に、ある女優さんからウィッグをつくってほしいという依頼があったのです。

睡眠時間を削って短期間で3つのウィッグを作ったらとても評判がよく、他の人からも注文がくるようになりました。

この経験から、ウィッグを作ったり、絵を描いたりするのが好きなんだということを再認識。

そうなると、自分の好きなウィッグをつくって、白塗りとはまた別の、自分独自を演出したいと気持ちが強くなりました。クリスマス頃から、また独特のファッションをするようになった。

徐々にヘッドピース制作の依頼も受ける様になり、作品として制作をスタート。

人に変化をもたらし、人を感動させたい……変わらず持ち続けているその強い気持ちを、ヘッドピースという作品に昇華させました。

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津野青嵐のファッションは?

看護師として働きながら、山縣良和氏が主宰するファッションスクール「ここのがっこう」で学んでいますが、2018年3月の大きな転換点は「3Dペン」と出会ったこと。

3Dペンとは「空中に絵を描けるペン」で、ペン先からプラスチックフィラメントを押し出して、空中に自由な形を描ける機能を持った、ふつうにお絵描きをする感じで作品を立体的に作ることができるペンです。

津野さんは服作りのノウハウを持っていないのですが、「布を使った服作りではない技法を考えて、まずは“素材”を考え直すのが良い」というアドバイスを受け、本来は洋服のファブリックに使われない素材探しを始めてたどり着いたのが、「縫製を必要としない」3Dペンの発見でした。

東急ハンズで3Dペンを見つけ、ピンと来て即購入、学校に通いつつ、もちろん仕事を続けながら、寝ずに作品を作り続けるハードな日々が始まります。

津野さんの作品は蛍光カラーがベースで、「地味な作業が苦痛でなければ誰でもできます」とのこと。

↓↓↓で、3Dペンで作成したファッションがこちら。

大 快 挙 。

日本人でただひとり、ファイナリストに残りました。
日本ではなく、海外で着火するタイプですね。

残念ながら賞は取れませんでしたが、この「異界と更新しているような奇妙なデザイン」は世界中のデザイナーの注目を集め、世界中の人々の記憶に深く刻まれることとなりました。

津野さんは、自分の作品を「身体から幽体離脱したネックレス」と形容していますが、まるで人体を誇張的に模した彫刻のようです。

音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」のボーカル・コムアイさんも絶賛していて、PVの撮影のために津野さんのドレスを発注したとのことです。

この後、津野さんは看護師をやめ、デザイナー一本で勝負していくことを決意しました。

津野さんが使っている3Dペンは?

3Dペンは、ペン先から熱くなったプラスチックを押し出し、急速に冷やすことでしっかりとした立体を作り出し、空中に描けるようになる魔法のペン。

津野さんの動画を見ると、実際に使用しているのはこちらのメーカーのようです。

↓↓↓

アマゾンレヴューを見ると、30代の男性でも「童心にかえったよう」と評判です。

もちろん子供の遊び道具にも最適、子供のおもちゃのプレゼントとしては最適です。

意外な才能が発掘されるかもしれません。

まとめ:

現在は5年間勤めた看護師を辞め、活動の場をファッション一本に絞っています。

ファッションや美術作品、、未解決事件などの不気味な殺人事件、祖母と祖母の肉体と皮膚、若者文化、ディープスポット、70年代の国内外のカルチャー、精神科の患者さんの人間性と生活スタイル、精神科に関わるスタッフの考え方などなど、あらゆる方向から刺激を受けるという津野さん。

ヘッドピース、ヘアメイク、ファッションはもちろん絵画まで描く彼女の多岐にわたるマルチに広がりには制限がありません。

もともと「津野青嵐をブランド化して世界を舞台にぶちかましていく」という野望を抱いていましたが、その足がかりの第一歩を踏み出しました。

津野さんはとにかく『負けたくない』『勝ちたい』という、泥臭い意識がものすごく強いのです。

同時に、人が全くやったことのない、思いつかないことを自分がやってやるんだという気概・パワーに満ちあふれています。

その発信力の強さが最高にかっこいいと思います。

まだ20代の津野さんは新たな可能性を秘めていて、今後も何を見せてくれるのか、期待が膨らみます。

このおどろおどろしさがクセになります、どんどんメジャーになって欲しいです。

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コメント

  1. 広瀬正挙 より:

    俺も精神科に通っています。相談にのって