千賀ノ浦親方のプロフはドラえもんな男前!やさしい直筆が大評判!

た、貴ノ岩が引退を表明しました……orz(←まだ立ち直れない)。

ど、どうしてどうして……こんなことになったのか……(´;ω;`)。

千賀ノ浦親方は、貴ノ岩の引退会見で目を潤ませ、弟子が会見場を退室してからもう一度、深々と報道陣に向かって頭を下げました。

しかも来年2月には、問題を起こした貴ノ岩に国技館で断髪式を行うという、力士として最高の花道も用意してあげました。

複雑な経緯で、2カ月前に移籍してきたばかりの力士が問題を起こしたのですよ、「俺カンケーないだろ。どーして俺まで頭下げなくちゃならないんだよ」と考えたって誰も非難しません。

不祥が理由で引退した場合、部屋の師匠からは断髪式の開催及び出席を断られることが大半です。

すると師匠以外の相撲関係者や家族、タニマチや学校の恩師に断髪式を開催してもらうケースが多いのですが、ホテルや転向後のプロレス会場で断髪式が行われるのはまだいい方で、ひどい話になると、「誰が大銀杏を切り落としたのかわからない」なんて人もいるのです。自分で切り落としたのでしょうか(´;ω;`)。

千賀ノ浦親方は、以前から稽古をつけていた教え子の貴ノ岩が、ちゃんとけじめがつけられるよう、いろいろ奔走したのだと思います。

現役時代から「顔も体も性格も丸い」と言われた千賀ノ浦親方に、注目が集まっています。

【参考】
モンゴル互助会とは何?メンバーは誰?貴ノ岩がんばれ超がんばれ!!
貴景勝の実家はお金持ち!芦屋の父母の職業は?名前の由来も!

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千賀ノ浦親方のプロフィール

なにはともあれ、まずプロフィールを。

本  名:金尾隆(かなお・たかし)

四 股 名:隆三杉 太一(たかみすぎ たかかつ)

芸  名:隆三杉 貴士(たかみすぎ たかし)

現  職:千賀ノ浦親方(2代目)

最 高 位:西小結

出身部屋:旧二子山部屋

生年月日:1961年3月1日

出 身 地:神奈川県川崎市(出生地は兵庫県姫路市)

愛  称:ドラえもん

胃  袋:鋼鉄製

千賀ノ浦親方は、小さい頃から空手や柔道を習い、ときどき相撲大会にも誘われていました。

おじさんの知人(高麗山)が二子山部屋にいたため、誘われて見学に行った時にスカウトされ、入門を決意。「気がついたら二子山部屋で寝ていた」といいます。

この時の二子山部屋の師匠は初代・若乃花、つまり現在の若貴兄弟のおじさんで、千賀ノ浦親方は、2代目貴乃花の「兄弟子」です。

↓↓↓親しみやすい、愛嬌のある容貌から、昔から「ドラえもん」と呼ばれていました。本人もこの愛称を気に入っているようで、色々なドラえもんTシャツを愛用しています。

力士の世界ですから言わないだけでいろいろあったのでしょうが、千賀ノ浦親方は先輩力士にそうとう恵まれた方らしく、押し相撲向きの貴重な大きな身体を持っていたので、兄弟子たちの稽古相手として繰り返し土俵へ引っ張り出されました。

師匠も素質を見抜き、ちゃんこ番もあまりさせずに鍛えたといいます。

第59代横綱の隆の里に目をかけられ、稽古の方法やトレーニング法を教えてもらい、化粧回しも隆の里のものを締めて出世披露。

四股名の「隆三杉」は、「俺たちの四股名で強くなれ」との理由で隆の里と元関脇・若三杉から貰ったもので、昔からかなりの愛されキャラだったことがうかがえます。

入幕スピードは非常に早かったですが、三役昇進は入幕から58場所目というスロー出世。のんびりさんですねえ。

おっとりした隆三杉は、当時の二子山部屋でも末っ子のような存在だったらしいです(笑)。

ご覧のとおり愛嬌のある風貌で、ファンからは「ドラえもん」のニックネームで親しまれており、ご本人もドラえもんのTシャツを装着、愛用のバッグを装備した姿も「まるで四次元ポケットのよう」と、ファンの好感度高しっ。

現役時代は鉄の胃袋の持ち主で、ある時、焼肉75人前を平らげたというのですからおどろきです。しかも75人前で辞めた理由が「満腹になったから」ではなく「肉をかみすぎて顎が疲れたから」というものだったのですから、本当は100人前まで食べられたのではないでしょうか。




五木ひろしの大ファン

また、千賀ノ浦親方は美声の持ち主でも有名で、レコードも出しています。

いやー面影がありますね(笑)。

隆三杉『貴士』というのは、アーティスト名、つまり芸名とのことで、お茶目すぎてたまりません。

千賀ノ浦親方は五木ひろしのファンで、序二段の頃に横綱・輪島にマッサージを頼まれ、「歌がうまいらしいな。五木ひろしの歌を歌いながらもめ。強くなったら本人に会わせてやる」と言われました。

4、5曲歌いながらマッサージをして、その後十両に昇進したら、約束通り輪島に五木ひろしのディナーショーに連れて行ってくれたとか。

引退後

引退後はいろいろ複雑なのですが、

・初代若乃花が親方をつとめる旧二子山部屋の部屋付き親方

・初代若乃花が親方をつとめる旧藤島部屋(旧二子山部屋と吸収合併)の部屋付き親方

・藤島部屋を継承した2代目貴乃花親方が親方をつとめる旧貴乃花部屋の部屋付き親方

として、引退から25年以上ずっと、花田家の系統で後進の指導に当たっていた人です。

転機は2016年4月、後継者がなかなか決まらず、定年まで2週間を切った元関脇・舛田山から千賀ノ浦部屋の引き継ぎを要請され、家族の同意も得て異例の一門外からの部屋継承に至りました。

千賀ノ浦親方ってこういう時に、声がかかる人なんですねえ……。

※こういう時はいろいろ計算が働くものですが、能力は大前提として最後の決め手はだいたい「人柄」です。

ですので、現・千賀ノ浦親方は、部屋を持ってまだ2年半とちょっとなんですよね。

最初は戸惑ったことも多かったらしいですが、師匠になってからたった1年半で、17歳で幕下に上がってなかなか芽の出なかった隆の勝を鍛え上げ、無事関取まで育て上げました。

また、旧貴乃花部屋を出て千賀ノ浦親方になってからも、どんどん孤立していく貴乃花親方を心配して、様子をみがてら弟子たちを貴乃花部屋に出稽古に連れて行っていたというエピソードもあります。

なんとも、人間としてふつうの、暖かい思いやりを持っている人ではありませんか。

柔軟な思考の持ち主

千賀ノ浦親方は2012年に名古屋場所で担当部長をつとめたとき、ファン動員策として「序盤の5日目までに横綱大関との対戦を組む」という画期的な取組の実現しています。

それまでは、千秋楽には判を押したように横綱と大関が対戦するなど、幕内の取組は完全にマニュアル化していましたが、これを見直そうと提案をしたのです。

また、十両以上の力士の正面入り口からの場所入りの義務付けて、ファンとの接触を増やすことも提案し、これらの発想が功を奏して大入りを記録しました。

ちなみに2007年から禁止されていたザブトン投げを復活させたのも千賀ノ浦親方。あれ盛り上がりますものね!!

この間、十ウン年ぶりに大相撲を見たのですが、やっぱり座布団の舞は良いものです(←昔の人間)。

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千賀ノ浦親方の直筆

元貴乃花部屋の力士たちを受け入れた経緯も、長く花田家の系統の部屋で親方として働いていたという理由があったからです。

2018年9月27日、貴乃花親方が一番気遣った弟子たちの移籍先に、千賀ノ浦部屋が決定しました。

千賀ノ浦親方は長く貴乃花部屋の部屋づき親方だったので、少なくとも「指導方針の違い」で部屋が分裂・衰退していく可能性は少ないのではないかと思います。

受け入れ先が千賀ノ浦部屋に決まったのも、貴乃花親が弟子たちに「どうしても親方にお願いしたい。弟子たちの意向なんで」と言われたとかで、つまり旧貴乃花部屋の力士たちが「千賀ノ浦親方がいい」と意思表示したことも大きな理由の一つです。

指導を受ける側の力士からは、非常に慕われる人柄であり、指導の技量を持った人であることがわかります。

千賀ノ浦部屋は、小結・貴景勝を含む力士8人と床山、世話人各1人を含む10人を、年10月2日に千賀ノ浦部屋に引き受けました。

↓↓↓旧貴乃花部屋の力士を受け入れた時に千賀ノ浦部屋HPに掲載された親方の直筆。

なんとも粋な一筆ではありませんか。

達筆ではないのですが、なんなんでしょうね、こう、胸の奥からふつふつと湧いてくる応援したくなる気持ちは。

他にも、折に触れて千賀ノ浦親方は、このように直筆のメッセージを出しています。

実は3年くらい前から、貴乃花親方は酒の席で『辞めたい』と愚痴っていたということです。

最後の方は『部屋運営にも疲れた、どこかの部屋付き親方になろうかな』とも話していたようで、千賀ノ浦親方はこうなることをどこかで予感していた様子。

だから、貴乃花親方からの「弟子たちよろしくお願いしますFAX通知」⇒千賀ノ浦親方の即了承、というスピード移籍につながったのでしょう。

千賀ノ浦親方は当然、幼い頃からの貴乃花をよく知っていて、頑固でプライドの高い性格を誰よりもよく分かっていた人です。

弟子の受け入れ要請に「やっぱり」と思ったことでしょう。

受け入れでばたばたしていた前後も、力士の保護者たちともきちんと連絡を取り、一生懸命育てる決意を伝えたということです。

千賀ノ浦親方の男気に応えた貴景勝

貴景勝に「大関」という名前の日本酒を注いでいる、祝い酒を飲んで顔が赤くなっている人が千賀ノ浦親方です

千賀ノ浦親方は、貴乃花部屋から来た力士たちを、暖かく迎え入れてくれました。

貴景勝も「非常に温かく迎えていただき、もともと前の部屋でお世話になっていた師匠。すぐに環境に慣れることができました」と感謝の意を表しています。

ちょっと正直なところ、下手をすれば千賀ノ浦部屋の居候になりそうだった元貴乃花部屋勢の食い扶持を稼ぎ、今回の優勝のおかげで部屋の運営資金にしばらく困らないでしょうし、いくつもの意味で貴景勝グッジョブです。

貴乃花部屋も雰囲気があまり良くなかったようですし、千賀ノ浦部屋に移籍したことで貴景勝は実力を発揮出来たのかもしれません。

千賀ノ浦親方も、周囲の盛り上がりにうれしい悲鳴をあげています。

千秋楽恒例の打ち上げは80人ほどを見込んでいたのに、倍以上の参加の申込みがあったといい、「旧貴乃花部屋の弟子を預かってすぐ優勝争いというようなことは考えてもいませんでした」とコメント。

まあ貴乃花も大変でしたが、千賀ノ浦親方だって怒涛の数ヶ月でした。

突然大所帯になったので大変だったと思いますが、このまま若い力士さんを引っ張っていっていただきたいです。

この千賀ノ浦部屋に移ってから貴景勝は、

小結⇒関脇⇒大関

と、あっというまに番付を駆け上がり、ついに横綱を射程内にとらえました。




ツイッター上の評判

2018年後半の千賀ノ浦部屋は、10月の弟子受け入れ、11月の貴景勝優勝、12月の貴ノ岩引退と、アップダウンの激しい怒涛の流れでした。

暴行事件を起こした貴ノ岩に対しても、引退会見は常に貴ノ岩に寄り添い、2019年2月には貴ノ岩の断髪式を行うことを決め、そこに彼の「日本の父」である貴乃花親方を呼ぶなど、千賀ノ浦親方の株が爆上がりです。

若い力士たちの気持ちを一番に思いやり、立てる千賀ノ浦親方の姿に、ツイッターでは称賛の嵐が鳴り止みません。

まとめ:人としての基本ができている人

いやー……今時珍しい、人としての基本ができている人です。

貴ノ岩の引退に際しても「驚きで残念。申し訳ない」と騒動を謝罪するとともに、貴ノ岩に対して「自覚が足りない」と憤りをあらわにしているところに、ただ優しいだけの人ではないこともわかります。

そして貴ノ岩の断髪式に貴乃花を招待した、千賀ノ浦親方の人間性には今更ながら頭が下がります。

こういった、最近の角界ではとんと見かけなくなった千賀ノ浦親方の人間味あふれた措置に、相撲ファンの方が救われているっていったいどういうことなんでしょうかね。

貴ノ岩ほんとにこれからどうするんだろう、日本語とモンゴル語ができるのなら、通訳とか旅行業とか何かできないのでしょうか。

「元おすもうさん」という存在は、どこへ行っても人気です。まして貴ノ岩です。

現在の相撲界は、政界の安倍首相一強のように、八角一強の時代になっています。

相撲界は現役時代の番付に準じて発言力が付与される世界なので、元小結の千賀ノ浦親方は、正直言って発言力はそんなに大きいとは言えません。

八角体制のもとでは元花田家に縁のある元力士は目をつけられやすいと思うので、しばらくは柳に風と受け流し、モノ申せば封じられるという事態は避けていただきたいと思います。

今の相撲界を観察していると、男の嫉妬は女のそれよりずっと見苦しい、ということがよくわかりますねえ。

まだ難しい問題は続くようなので、今目立てば相撲協会のクソどもに足をすくわれるかもしれないことから、せめて女将さんとかテレビで語って欲しいです。

当ブログは千賀ノ浦部屋を熱烈に応援しています。

【参考】
モンゴル互助会とは何?メンバーは誰?貴ノ岩がんばれ超がんばれ!!
貴景勝の実家はお金持ち!芦屋の父母の職業は?名前の由来も!

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