黒田清子さんの自宅や夫や子供など現在は?伊勢祭主はピュアな搾取子

秋篠宮さまは昔からアレでしたが、徳仁親王とその妹姫・紀宮清子(のりのみや・さやこ)さまは、昔から国民の人気が高かった宮さまですね。

秋篠宮さまも「生粋の宮様」でありましたが、紀宮さまもまた同じ。

しかし紀宮さまは、実兄の秋篠宮さまと違って真面目でコツコツ、ご自分で地道な努力をなされ、純粋無垢で清らかなお姫様として昔から国民の人気も高く、「さーや」と呼ばれて愛されてきました。

降嫁され、今では「黒田清子さん」と呼ばれるようになった、昭和のピュアなお姫様は、今どうしているのでしょう。

【参考】

秋篠宮さまの会見におけるやる気ゼロ発言は宮さまの標本として貴重




黒田清子さんの基本経歴、人となり

まずは、基本的なプロフィールを確認。

名  前・・黒田 清子(くろだ さやこ)

生年月日・・1969年〈昭和44年〉4月18日

日本の元皇族。第125代今上天皇の第1皇女。

1969年(昭和44年)4月18日、皇太子夫妻(当時)の第三子(第1女子)として誕生した紀宮さま。

現在の上皇夫妻にとって唯一の内親王で、もともと「いずれは嫁ぎ皇籍から離れる身」という想定で教育されました。

1973年(昭和48年)、柿の木坂幼稚園に入園し、翌年からは学習院幼稚園に入園。

初等科から大学まで学習院に通いました。

どこかの秋篠宮家とは違って、ちゃんと皇族してますよね。

その後、山階鳥類研究所非常勤研究助手になり、労働対価による給与を得た史上初の内親王となりました(なんかすごい^^;)。

公務のかたわら研究活動を継続し、赤坂御用地と皇居の鳥類の研究を手がけ、その成果を元に平凡社より出版された『日本動物大百科』のカワセミの項目の執筆を担当しました。


2003年(平成15年)1月ごろ、次兄の秋篠宮文仁親王の友人で幼少時から面識のあった東京都職員(現・東京都建設局第5建設事務所用地課長)の黒田慶樹さんと再会。

2004年(平成16年)1月に求婚を受け承諾し、同年2月12月30日に婚約を発表。

当初11月に予定された婚約内定は、新潟県中越地震に配慮して一度延期され、さらに大叔母に当たる宣仁親王妃喜久子の薨去に伴って再延期されました。

天皇の皇女としては、皇室典範制定後、はじめて皇族・華族出身者ではない男性と結婚。

趣味のひとつは学習院女子中等科から始めた日本舞踊で、ほかにも花柳流の名取試験に合格してますが、皇族の立場では芸名を名乗るのを控えてました。

また、言語能力の高さもよく知られるところであり、和歌の才能も高く評価されてます。

アニメなどのサブカルチャーにも関心があったとされ、結婚式で着用した白いドレスは「中学時代から憧れていた『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロインの衣装を模した」と報道された。

こういう「オタク」の素質も黒田清子さんの人気のひとつでした。

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動物好きであり、多数の鳩に囲まれて微笑む写真など動物とのスナップが伝わっています。

「紀宮さまは俺の天使」とファンの間で大人気の、天空の城ラピュタ状態スナップ。

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特に犬を愛し、学生時代には盲導犬の育成にも関心を寄せました。

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美智子さまとの関係

2人のお兄さまと異なり、内親王としてお生まれになった清子さんは、皇室典範第12条の規定により、結婚すると皇室を離れることが定められていました。

美智子さまは、小さいころから将来のことを念頭に置かれて清子さんをお育てになりました。

お子様一人ひとりに、仕事の役目を作ってしつけをされてきました。

「サーヤのお仕事は毎朝、東宮御所のご門に牛乳と新聞を取りに行き、新聞をお父さまのところに、牛乳はキッチンに届けること。」など。

小学校3年生のときには、毎週日曜日にお食事の準備とあと片づけもお手伝いなさいました。

美智子さまはいずれ降嫁される紀宮さまに、実践的なしつけをなさったのです。

「自立した女性に」は、美智子さまの娘教育の基本方針。

当時、正田家の知人は、母・正田富美子さんご伝来のお考えだとおっしゃっていました。

東宮御所の南向きの8畳ほどの洋室は清子さんのお部屋で、ベランダには洗濯機まで置いてあったという話も耳にしたことがあります。

将来、普通の暮らしになじめるよう、美智子さまは、清子さんが幼いころから手順を踏んできたのです。

昭和61年3月に、宮内庁病院に美智子さまが入院されたとき、病院に泊まり込んで看病したいと真剣に申された。

「帰ってご病気にさしさわるといけないから」という父・陛下の説得で断念されたが、美智子さまが時間があったらお読みになりたいと思われていた本を毎日テープに読み入れて、それは美智子さまの大きな慰めとなられた。

……と、建前はこれまでとして。

美智子さまのぜいたくな着物道楽の影で、紀宮さまが、いつもみすぼらしい服装だったことが思い出されます。

美智子さまのかたわらで微笑む紀宮さまは、なぜかいつも髪はぼさぼさ、厚底メガネ、安っぽい服装。

ずっと残る写真なんだから、もっと綺麗にしてあげればいいのに。

髪はきちんと梳いて、コンタクトレンズくらい作ってあげないのかな、母親なのに。

いえ、母親だからこそ、娘は自分の引き立て役に過ぎないという扱いをしていたとしか思えないのです、美智子さまは。

こんな可愛らしいピンクの着物を、どうして娘の紀宮さまに着せてあげずに、ご自分が主役とばかりに着ているのでしょう?

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せめて、紀宮さまも着物だったらまだわかるのですが。

ほんとに派手に着飾った母と地味な娘のセットで、一昔前までの「謎」でした。

美智子さまは常にド派手なファッションをお召しになっているのに、紀宮さまはお若い頃からはいつも地味な服装…紀宮さまの予算も美智子さまが使い込んでいたんですかね?

今になってみれば、 娘ですら引き立て役に使っていたのですね、美智子さま……。

この贅沢な着物一枚の費用で、紀宮さまの衣装(着物でもドレスでも)、それなりの枚数を揃えられたはず。

婚礼衣装すら、美智子さまは自分のお古を(サーヤが望んだと)与えてました。

髪型も全くいじらずに、普段のおかっぱのまま。

結婚式は帝国ホテルで行われましたが、本当に質素でシンプルで、内親王の結婚式が「お茶会形式」だったのです。

前菜、メイン、デザートの3品のみの食事。

あれは帝国ホテルも屈辱だったと思いますよ、 腕のふるいどころだったでしょうに、お食事も簡素なものでした。

皇女の結婚披露宴なのにですよ…。

確かに、本人が望んだ、 というのはあり得ると思います。

毒親である美智子さまにすっかり洗脳され、人として、特に女性として徹底的に潰されていたんだろうな、 と思います……。

そしてこれが、私が「慈愛の国母・美智子さま」の洗脳がとけた一枚。

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左から、

・プリンセス・ミチコ

・エンプレス・ミチコ

・プリンセス・サヤコ

なんかね……清子さんはもう、母親に逆らわない方がいいということをわかっていたのでしょうか……。

下界ではこういう母親のことを最近「毒親」と言いますが、黒田清子さんはその名のとおり、母親を疑うことなく望まれるまま、ずっと受身の姿勢を通していました。

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旦那の黒田慶樹さんの経歴やなれそめエピソード

名  前・・黒田 慶樹(くろだ よしき)

生年月日・・1965年(昭和40年)4月17日(2019年で54歳)

学  歴・・学習院大学法学部卒業。学位は法学士(学習院大学)。

紀宮さまの旦那さんは、東京都勤めの地方公務員(東京都都市整備局都市づくり政策部都市計画課長)です。

天皇の皇女の結婚相手としては、皇族・華族出身者でない史上初の人物。

トヨタ自動車に勤務する父・黒田慶次郎と、母・寿美子の長男として生まれた。弟が一人いる。

1972年4月に学習院初等科に入学。

礼宮文仁親王(後の秋篠宮)とは初等科時代からの学友であり、高等科時代は写真部・地理研究会、大学時代は自然文化研究会でも行動をともにした。

在学中の1986年に、父の黒田慶次郎と死別。

1988年3月に、学習院大学法学部を卒業しました。

まさにルパンとクラリス。

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大学卒業後に三井銀行に入行したが、1996年、31歳の時にさくら銀行(合併を経た現在の三井住友銀行)を退職する。

翌年より、東京都庁に勤務する。

東京都都市計画局総務部総務課の勤務を経て、結婚した2005年時点では東京都都市整備局市街地建築部建設業課建設業指導係の次席(係長級)を務めていた。

係長を経て、2010年4月に東京都建設局公園緑地部管理課課長補佐、そして2012年に建設局第五建設事務所の用地課長に昇任しました。

2013年4月、都市整備局市街地整備部担当課長(2年期限の派遣職員)。

2015年4月、都に戻ってきたら東京都港湾局総務部団体調整担当課長。

2017年4月1日、東京都建設局公園緑地部利用促進担当課長。2019年4月1日、東京都都市整備局都市づくり政策部都市計画課長……。

まあ、順調にロイヤルな影響で出世してます。

趣味はアンティークカメラで、イギリス車を愛する人です。

おふたりのご結婚は、黒田さんは40歳、清子さんが36歳のとき。

黒田慶樹さんは、残念なことに秋篠宮さまの学習院時代からの親友で、残念なことに秋篠宮派で、キューピッドは秋篠宮さまでした。

ひいては、上皇御夫婦派です。

秋篠宮邸でお会いすることが多く、連絡手段に電子メールや手紙を用い、特に手紙は秋篠宮が双方に届けたそうです。

夫・黒田慶樹さんの年収は、現在では1000万円程度のようです。

しかし現在、おふたりの間に子供はなく、このままDINKSでいるようです。

おふたりとも晩婚でしたので、仕方のないことかもしれません。

サーヤの時のボンボニエールは、サーヤのお印『未草』と、黒田さんの家紋の『柏』を絵にした物でした。

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黒田清子さんの自宅はどこ?

黒田慶樹さんは、清子さんと結婚する前は、原宿のマンションに母親の壽美子さんと二人で暮らしていました。

しかし、清子さんとの結婚を機に、目白にある億ションの最上階120㎡の部屋で暮らし始めたと言われています。

さすがに、セキュリティがしっかりしている部屋を選んだのですね。

マンションは、目白ガーデンヒルズなのではないか?と推測されています。

目白ガーデンヒルズ

〒171-0031 東京都豊島区目白1丁目3−17

黒田さんと清子さんは最上階に住んでいるのでは?と言われていて、この建物の「最上階」は、ご覧のとおりのワンフロアのみ。

ということは、他の部屋の住人と顔をあわせる心配もなさそうですね。

1室だけ売りに出されているのですが、1億円近いお部屋です。

共用部は以下のとおりで、

トリプルオートロック

24時間有人管理

グランドエントランス

コンシェルジュ機能

ポーターサービス

カフェサービス

宅配ボックス

パーティールーム

ゲストルーム

内廊下

エレベーター

24時間ゴミ置き場

グランドエントランスには2名のコンシェルジュスタッフが常駐、住戸まで荷物を運ぶポーターサービスまであります。

さらにグランドエントランスでは、カフェサービスも提供されているという、すごいマンション。

結婚して一般人になったとは言っても元皇族ですので、元皇族としてSPが付くのは変わりません。

夫妻の近所のスーパーの店員も、SPが2人なりくっついてくると言っていたようです(現在は1人に減ったのかな?)。

ただし、近場の高級スーパーではなく、庶民的なスーパーを選ぶなど豪華な生活をしているのではなさそうです。

東京都庁の職員(公務員)である夫・黒田慶樹さんの年収が600万円程度という噂もあります。

黒田さんて世帯主のはずなのに全くでしゃばる事なく、お姫様を何時までもたてていらっしゃいますよね。

黒田慶樹さんは秋篠宮さまのご学友だったということで、彼が秋篠宮派というのが少々気になるところではあります。

が、あえて言いますと、小室圭さん、私が期待しているのはあなたのこういう姿です。

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黒田清子さん、伊勢祭主に就任

2012年4月、黒田清子さんが臨時神宮祭主に就任しました。

「池田さんは高齢なので、神宮の恒例祭や式年遷宮祭の万全を期すため、池田さんを支えてもらおうと、遷宮が終わるまで黒田さんに就任していただくことになった」ことが理由のようです。

2ヶ月後の6月、昭和天皇の娘である池田厚子さんの後任として、黒田清子さんは、明治以降で11人目となる伊勢神宮の祭主に就任しました。

伊勢神宮のトップは宮司ですが、神宮は特別で、小宮司、大宮司の上に、この祭主があります。

祭主は伊勢神宮には住まず、実務上のトップはナンバー2である大宮司であるため、祭主は名誉職の意味合いが強いです。

祭主は大変な責務で「祭主は名誉職ではない」「神嘗祭をはじめ、年5回祭事を司ることになる」「前後の参拝を含め、それぞれの祭事で3~5日間は伊勢に滞在する」「伊勢滞在は合計で30日になる。」「体力と精神力が必要」「定年はない」など、情報はさまざま。

伊勢神宮では現在、年間「千数百回」ものお祭りが行われていますが、祭主が直接、神事に携わる(ご奉仕する)のは、このうち神嘗祭(10月)など、一部に限られています。

このほかに、出席するだけの「ご参列」もあります。

それにしても、本当に白が似合う方だなあ。

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昔の伊勢祭主は、天皇が即位されるとすぐに選ばれ、御位を下りられるまでは替わりません。

昔は、未婚の内親王や女王から選ばれた斎王は、伊勢神宮に赴き、天皇の御名代として皇祖天照大神をお祀りしていました。

斎宮に住まわれ、伊勢神宮の三節祭と呼ばれる重要祭祀に参加するのが最も重要な任務。

日本武尊の叔母倭姫命が祖であるといわれ、歴史上60人以上の斎王(斎内親王)が存在しています。

斎王の存在が確かな7世紀後半、天武天皇の御代から14世紀まで60人以上の斎王がおり、平均して7年程度で交替しているが、中には物心つくまえに伊勢に送られ、20年以上務めた斎王もいて、数え年5歳以下の幼女も数多くいました。

太平洋戦争以後は、皇籍を離脱した元内親王(この中でも特に天皇の皇女に限られる)を、神社本庁が年長順に祭主に任じるようになりまいた。

政教分離の問題もあり、皇族が祭主にはなりにくく、黒田清子さんの場合は、皇族を離脱したからこそ就任できたのかもしれませんね。

美智子さま的には次期祭主に眞子さま推しらしいので、眞子さまが漫画一小室圭さんと結婚し、臣籍降下したら皇室は出るといってますが、形式だけでしょう。

まとめ:こちらも生まれながらの宮さま


ときどき黒田慶樹さんが、定食屋でひとりメシしてるというネット書き込みがありますが、妻の清子さんは、ときどき皇居に里帰りすることもあるそうです。

皇籍離脱後はAT限定の免許を取得し、皇居に向かう時は、愛車のフォルクスワーゲンを自ら運転して向かっています。

最近は、退位された上皇御夫婦の皇居の手伝いに駆り出されていました……ってかまだ皇居を退去しないんですね……。

良くいえば育ちのよい、何事にも素直に従う方で、自らの意志が感じられないのでは?と思ってしまうくらい、純粋で穏やかな宮さまです。

秋篠宮さまとはまた別のベクトルで、こちらもまた「生まれながらの宮さま」。

黒田清子さんの生まれ持った品格やオーラは、やはり一般人にはないものです。

顔立ちが特別美しいわけではないですが、黒田清子さんの十二単姿を見たときには、やはり雅子さまや紀子さまとは違いがあり、「これが生まれもっての気品というものなんだ」と思い知らされました。

……うーん、「生まれながらの宮様」にもいろいろいるので「生まれながらの内親王」というのもどうかなーと思いましたが、国民は長いあいだ皇室の方々を見ているもの。

黒田清子さんは、今なお国民にたいへん人気の高い方です。

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コメント

  1. 匿名 より:

    別に 意地悪美智子の娘 好きで無いけど 美智子の娘と言うだけで 雅子様の時と違い お子様出来なくてもメディア 国民誰一人バッシング 不評 批判も無い 伊勢神宮の役が有るからって旦那さん一人にしても誰も言わない 雅子様の場合外遊優先で お子様出来ないとか好き放題言われてたのに 美智子の娘には 幾ら皇室離脱したからと言っても 未だに皇室から お金入って来るし 度々里帰りしてるとか 又これも可笑しな話し 離脱したなら 旦那さんの給料で生活すれば良いのに離脱してまで
    国民に甘えるな

    • pokopoko より:

      でも、清子さまは美智子さんが産んだわけじゃないし。
      それを考えれば、娘に質素なナリをさせるのも理解できるでしょ。
      妊娠中と言ってたときにはお腹に綿を入れて外出してたという話。

  2. より:

    誰かを持ち上げる為に誰かを叩くという姿勢に疑問を感じます。
    叩きたいなら単体でやれば良いのに。

    美智子さまは美人だからね、若い頃からその着こなしには国民の注目がいっていたのです。

    別にサーヤの子どもの頃の服装や髪がみすぼらしいとは思いません。それにあの時代はコンタクトレンズはせいぜい大学生になってからでしたよ。時代背景を勉強なさった方が良いですね。