大竹しのぶさんは、日本が誇る大女優です。
気鋭の舞台演出家・映画監督の作品には欠かせない女優として、その圧倒的な存在感は常に注目を集め、ジャンルの垣根を越えて才能を発揮し、話題作に相次いで出演しています。
作品ごとに未知を楽しむ豊かな表現力は、主要な演劇賞を数々受賞して評価されると共に、世代を超えて支持され続けています。
明石家さんまさんの元妻であったことはよく知られているところですが、実は大竹しのぶさんはこの時再婚で、以前にもある男性と結婚していました。
今回は、大竹しのぶさんの家族について調べてみました。
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大竹しのぶさんのプロフィール
まずは、基本的なプロフィールを確認。
本 名 | 大竹 しのぶ |
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生年月日 | 1957年7月17日(2018年で61歳) |
出生地 | 東京都 |
血液型 | A型 |
職 業 | 女優、タレント、歌手 |
高 校 | 東京都立小岩高等学校卒業 |
大 学 | 桐朋学園大学短期大学部演劇科 (中退) |
大竹しのぶさん16歳の1973年、フォーリーブスの北公次主演のテレビドラマ『ボクは女学生』にて、北公次の相手役が一般公募されました。しのぶさんはこれに応募し、見事合格、芸能界デビュー。
その後、1975年の映画「青春の門 -筑豊編-」ヒロイン役で本格的に芸能活動を開始します。
その鮮烈さは天性の演技力と称賛され、同年、朝の連続ドラマ小説「水色の時」に出演し、すでに国民的ヒロインとなりました。
それ以降、仕事が途絶えた時期がないと言われている人で、デビューから現在まで、テレビに映画に舞台にCMに……出演作品は数え切れません。
撮影時、いざとなれば瞬時に涙を流すことができたと言われている、いわゆる憑依型女優。
私は再放送で1987年の「男女7人夏物語」「男女7人秋物語」を見た記憶があるのですが、あああのトレンディドラマに出ていた人かあ、という印象しかしばらくなかったのです。
しかし実は大竹しのぶさんは「女の深い闇を演じさせれば天下一品」と評されており、その理由が1999年の映画『黒い家』を見たときに理解することができました。
2011年、紫綬褒章(学術芸術上の発明改良創作に関し事績著明なる者に授与される)を受章しています。
TBSプロデューサー服部清治さんと結婚⇒死別
大竹しのぶさんは、1982年の25歳の時に最初の結婚をしています。
服部清治さんは1940年生まれで、大竹さんより17歳も年上(結婚当時42歳)の、TBSの敏腕プロデューサー。
服部さんは売れっ子で、しかも既にバツ2のモテ男ときたもんです。
実は服部さんは、最初は中村晃子さんという歌手・女優と交際し、同棲までしていましたが、これを大竹しのぶさんが略奪した形の結婚でした。
TBSドラマ「恋人たち」がきっかけで大竹さんと服部さんは出会い、一時期三角関係になったものの、大竹さんのアプローチが最終的に勝り、服部晴治さんとの交際がスタート、のちに結婚しています。
中村さんは大竹さんを「泥棒猫」と罵り、一部の先輩女優からは「枕営業」で役を得る大竹とは共演できないとの声が上がり、当時は週刊誌やワイドショーでも連日騒がれるほどの事件でした。
しかし、結婚後まもなく服部さんに胃ガンが発見され、結婚生活は5年で終わってしまいます。
※中村晃子さんは現在も結婚されていないようで、2015年頃まではテレビに出ていましたが、現在は豪邸にお住まいとのことです。現在の年齢は71歳です。
子供は二千翔(にちか)さん
服部さんの口臭の異常さに気づき、診断したところ、すでに手遅れだったそうです……。
夫にがん宣告がされでも、大竹さんはそのことを伝えませんでした(当時はがん宣告がまだ一般的ではなかったからだと思います)。
大竹さんは1985年に、二千翔(にちか)という男の子を出産しています。現在は33歳くらいでしょうか。
二千翔さんは生まれてまもなく実父を亡くしてしまいますが、慶應大学卒業後、アメリカで就労。一年半で飽きて帰国(すごく頭良かったんだろうな……)。
帰国後は、芸能事務所で母親の大竹しのぶさんと、異父妹のIMALUさんのマネージメントを担当しています。
現在は、芸能情報総合サイト「narrow(ナロー)」を運営しています。
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明石家さんまさんと結婚⇒離婚
大竹しのぶさんと明石家さんまさんは、1986年の大人気トレンディドラマ「男女7人夏物語」で共演したことがきっかけで知り合いました。
まだ2歳にもならない二千翔さんを抱えて、いろいろ不安で夜も眠れず、友人や知り合いに片っ端から電話して寂しさを紛らわせていたそうです。
この時、ドラマで共演していたさんまさんだけは、同じ仕事で疲れていたであろうにも関わらず、夜中の2時3時まで電話に付き合ってくれました。
さんまさんには当時付き合っている女性がいたようですが、「自分には他に付き合っている女性がいるのに、こんな夜中に君からの電話を待っている自分が居る……」と、告白したとか。
ということは、さんまさんもまた「略奪婚」をしたということになります、まさに魔性の女優……!
さんまさんの優しさに癒されたしのぶさんは、1年後にさんまさんと結婚しました。
実は、前夫の服部さんは、先に述べたようにかなりモテたみたいで、大竹さんと結婚した後も銀座のクラブに通って不倫していたようなんですね^^;。
もともと服部さんとさんまさんは友人どうしという間柄で、大竹さんは服部さんの看病を続けながらも、この時からさんまさんとは内緒で会ったりしていたようです。
げ、芸能界ってすごい^^;。
そして服部さんは、亡くなる前に「テニスをしたい」とさんまさん呼び出して、二人で一緒にテニスをしたそうです。
この時、服部さんがさんまさんに「大竹さんを託す」という内容の手紙を渡したという美談が伝えられています。
しかし、この結婚も長くは続かず、4年後の1992年に2人は離婚。
理由は大竹さんは、やはり女優を続けたかったから。
家庭的に恵まれなかったさんまさんは、結婚したら大竹さんに家庭に入ってもらって「普通の家族」を作りたかったんだそうです。
結婚したら家庭に入る、というさんまさんとの約束を大竹さんは結局は守れず、日常生活ではすれ違いが続き、破局に至ってしまいました。
離婚会見は、マスコミが200人も集まる大騒ぎになりました。
このお2人が、もう一度元の鞘に戻らないのかな、と、期待する声もいまだ多いのですが、さんまさんは「それはない」ときっぱり否定しています……。
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子供はIMALUさん
大竹さんはさんまさんとの間に、1989年に女の子を出産しています。
タレントの「IMALU(いまる)」さんで、大竹さんに引き取られました。
父親のさんまさんと同居していた頃の記憶はほとんどないのですが、両親とは離婚後も良好な関係を続けることができたため、IMALUさんはさんまさんと映画やディズニーに行ったり食事をするなど、仲は良かったようです。
名前の由来は両親それぞれで、さんまさん的には座右の銘「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」からで、一方大竹さんは「いまをいきる(今を生きる)」から命名したとそれぞれ主張しています。
現在のほうん妙は「大竹いまる」で、カナダに語学留学を経験したこともあります。
IMALUさんは
・オリコン2009年度「活躍が期待される2世有名人ランキング」1位
・goo「今後活躍しそうだと思う、2010年に成人式を迎える有名人ランキング」6位
に選ばれていますが、
・2018年の週刊文春の「嫌いな2世」部門では1位
に選ばれています。
両親がビッグネームすぎて、周囲が期待するような活躍ではなかったということでしょうか。
最近は、準レギュラーや不定期出演ですが、しだいにフェイドアウトしている状況です、頑張って欲しいです。
野田秀樹さんとも事実婚?
大竹さんは、1992年に出演した舞台『真夏の夜の夢』で知り合った、演出家であり多摩美術大学教授である野田秀樹さんと5年にわたる同棲生活を送っています。
どうやら、さんまさんと結婚している時から交際を始めており、この不倫関係がさんまさんとの離婚につながったようですね。
大竹さんの連れ子であるIMALUさんとは幼稚園から小学生ぐらいまで、ずっと一緒に住んでおり、父親的存在でした。
大竹さんと野田さんの間には、子供はおりません。
5年後、やはり破局してしまい、野田さんはその後、別の女優さんと結婚しました。
まとめ:男性経験「30人くらい」Σ(゚∀゚ノ)ノ
さんまさんと暮らしていた頃の大竹さんは、主婦を一生懸命やっていました。
しかし、女優に比べたら喜びが少なかく、次第に「お芝居がしたい」と、むずむずしてきたと話しています。
やはり、天性の女優なのですね。演技がしたくて仕方なかったのでしょう。
さんまさんも、自分の結婚生活をネタとしてテレビでいろいろ話していますので、離婚後といっても、友人として良好な関係を保っているようです。
それにしても芸能界って、みなさんかなり遊んでいるんですねえ(笑)。
大竹しのぶさん、何かのインタビューで、今までお付き合いした男性の人数を聞かれて、「んー……30人くらいかな?」ってさらっと回答しています(汗)。
大女優ともなれば、いろんなお付き合いも「芸の肥やし」にしてしまうのですね。
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