最近、テレビではほとんど見ない日がない梅沢富美男さん。
冠番組の『ズバッと聞きます』を中心に、『プレバト!』『ぴったんこカンカン』『ミヤネ屋』『たけしのテレビタックル』『まんぷく農家メシ』など数々の番組に出演し、ジャニーズタレントの番組にもよくゲスト共演されています。
少し前にはライザップのCMにも出ていて、あちこちからひっぱりだこ。
以前は「いかにも不良な中年オヤジ」というとがった感じが、あまり好きではなかったのですが、最近はすこし性格も身体も丸くなり、「愛されちょい悪オヤジ」に印象が変わってきました。
よくよく見ると、こだわりが強いため「性格が悪い」と思われることがありますが、基本的に人情家かつ激情家で、とても人間味にあふれた人です。
言ってることは常識的で、そんなにおかしなこと喋ってません。
梅沢富美男さんの本業は、「大衆演劇」と呼ばれる芸能の役者で、ばつぐんに知名度の高い、天才的な女形(芝居で女の役をする男の役者)です。
ゆるやかに衰退しつつある大衆演劇界において全国的に名を知られた、奇跡的なトップスター。
梅沢富美男さんに注目しました。
【参考】
梅沢富美男の嫁は再婚、最初の結婚と子供たちについて。仲いいの?
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梅沢富美男のプロフィール
なにはともあれ、まずは経歴を。
出生名 | 池田 富美男 |
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別 名 | 下町の玉三郎 |
生 誕 | 1950年11月9日(2019年で69歳) |
出身地 | 福島県福島市 |
家 族 | 父:剣劇出身の梅沢清 母:少女歌舞伎出身の竹澤龍千代 兄:梅沢武生(2012年に後見役になる) 妻:池田明子(植物療法士) 子供:娘2人(智香、名津美) |
職 業 | 歌手、俳優、タレント、コメンテーター、司会者 |
役 職 | 大衆演劇「梅沢劇団」第3代座長 株式会社富美男企画代表取締役 |
梅沢さんは、大衆演劇隆盛期の花形役者の父・梅沢清と、娘歌舞伎スターの母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として生まれました。
芝居の世界が生活の場。
2歳にならないうちから初舞台を踏み、小学校まで毎日舞台に立っていてこれが大人気。
すぐに『子役スター』になり、おひねりも雪のように降る毎日、この頃からすでに「役者の血が騒ぐ」という感覚を覚えました。
お父さんはもと軍人で、中卒で劇団にふたたび戻った梅沢さんが女の子と夜遊びをしようものなら、嫌というほどひっぱたくタイプ。
梅沢さんを除く兄弟全員が、陸軍の学校を出ていたので、きわめて厳格な家庭だったのです。
このお父さんの方針で、公演場所をひんぱんに移動する劇団について行かせず、義務教育を1か所で受けるため、梅沢さんは家族と離れて福島で育ちます。
しかしこの時期(昭和30年代)は、映画やテレビに押されて、経営危機を梅沢劇団を襲い、ちやほやされていた頃とは真っ逆さまの貧乏生活がスタート。
仕送りがなくなり、小学校の梅沢さんがお店から物を盗もうとするまで追い込まれるものの(未遂)、母親のお弟子さんや学校の先生に助けられ、人の情けを知り、まっとうに生きていくことを決意しました。
その後、ふたたび人気が出てきた梅沢劇団が福島に興業にやって来て、すっかり見るも無残な『乞食スター』になってしまった幼い梅沢さんを見て驚いた兄とお母さんが、お父さんを説得し、東京に一緒に連れて行ったのでした。
義務教育が終わるとお兄さんから舞台に出ることを勧められ、忘れかけていた役者魂に熱い炎が再点火。
25歳の時に、やはりお兄さんから「おまえはスケベなんだから、付き合っている女の表情やしぐさを研究しろ。女形をやれ」とアドバイスされました。
それから一生懸命女性の振る舞いを見て仕草を学んだそうです。
あるときなど、あまりにかたわらの女性の表情を見つめ続けるので「いい加減に電気を消してちょうだい」と女性に叱られるほど。
こういった努力の甲斐あって、梅沢さんの女形姿はあまりに美しく出来上がり、お客さんは大喜びの大絶賛。
ここから雑誌に騒がれ、梅沢さんの名前が全国区に鳴り響きはじめるのです。
お父さんとお兄さんは、梅沢さんの素質を幼い頃から見抜いていました。
大衆演劇とは?
大衆演劇とは、全国にある大衆演劇専用の劇場や、健康ランドや温泉ホテルの宴会場などでよく見る、時代劇の公演のことです。
この劇を上演する劇団の数は、全国で130以上もあります。
演じる役者と観客との距離がたいへん近く、観客が分かりやすい構成にまとめられていて、役者と観客の一体感が醍醐味です。
特に女性役者のチャンバラシーンでは、激しい動きで着物のすそがまくれ、足がちらちら見えるさまがエロティックで、昔の観客にとってはすごい人気の娯楽だったのです(笑)。
梅沢さんの全盛期は、おひねりの数が現在とは比較にならないほど多く、まさに「降るように」舞台に投げ込まれた時代でした。
得意の女形姿で舞台に登場するやいなや、1回の舞台で300万円ものおひねりが投げられたこともあったそうです。
ところで大衆演劇と歌舞伎はまったくの別モノ。
歌舞伎は決まりきった「型」がありますが、大衆演劇にはそれがありません。
しかし大衆演劇こそ「芝居の元祖」と、梅沢さんは考えています。
以前、梅沢富美男さんと市川猿之助(亀治郎)さんがテレビ番組で対談された時も、お互いを認め合い、敬意を払う関係でした。
家柄がとにかくモノをいう歌舞伎世界では、実力はあるけれど名門出身でなく、うしろ盾のない歌舞伎役者が、歌舞伎界に見きりをつけ、大衆演劇に転向することもたびたびありました。
こういったことから、大衆演劇と歌舞伎は、そんなに遠くない間柄です。
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梅沢富美男の女形の修行内容は?
梅沢富美男さんはいちど女形に扮すると、そりゃもう妖艶華麗で、これぞまさに「芸の力」とうなりたくなるほどの美しさ。
私もDVDで観たことがありましたが、素顔の梅沢さんと、フル装備した女形の演技との差異に、唖然としたものでした。
若い色気のある女形で有名だった歌舞伎役者の坂東玉三郎と対比して、「下町の玉三郎」というあだ名をつけられ、テレビドラマでも評判になり、歌もヒットして全国区に。
化粧について色々試してみたけど梅沢富美男の女形を参考にしてた時が一番しっくりきてた pic.twitter.com/06aaBwKmJQ
— 高田 (@34tkd1) 2019年1月12日
そんなに細面というわけでもないのに、一度化けると細面の女性に見えてしまします。
いたって普通のおじさまなのに……やはりその秘訣は、動きというか魅せ方のようです。
梅沢さんは女形として、「役者なら女遊びするのが当然、じゃなきゃ大成しない」という信念を持っており、その仕草を身につけるために、女遊びに興じました。
当時はまだまだ花柳界が華やかで、東京下町のこいきな芸者さんや置屋のおかみさんも多く、役づくりのための研究には苦労しなかったといいます。
「飲む・打つ・買うは役者の基本」と教えてくれたのは、なんと女歌舞伎出身のお母さんで、できるだけのお金を持たせてくれました。ちょっとうらやましい…。
梅沢富美男さんの女形も
素晴らしいですね〜 手の仕草など
凄く勉強になります‼︎ pic.twitter.com/9FchgUONmz— 浅藤光之龍(みつのりゅう) (@MitsunoRyuu0218) 2016年6月16日
しかしあくまで当時の座長(お兄さん)の方針で、テレビより劇団を優先し、実際に劇場に来てくれる人を大事にしました。
あまりテレビに出すぎてしまうと、そのうち「テレビで見られるからいいや」になってしまい、飽きられてしまうと考えたため。
今でも、梅沢劇団のグッズは、基本的に公演に出向かないと購入できず、足を運んで直接観劇してくれるお客さんを大事にする方針に変更はありません。
↓↓梅沢富美男さん35歳くらいの時の女形。
「必殺仕事人V 激闘編」俳優・梅沢富美男さん演じる、はぐれ仕事人弐は女形、役者崩れ、この妖艶さ、仕事人にピッタリなシチュエーション!武器も扇に仕込んだ刃で華麗に仕置…演じた、梅沢さんの妖艶さは流石である!殺しの前に微笑むのが妖艶… pic.twitter.com/m2cMJPQDBE
— 必殺仕事人おじさんチーム (@NrmscqO) 2016年7月13日
梅沢さんは、若い頃から目が細くていかり肩でガニマタ。
「目が細い」と言われて、映画のオーディションで落とされたこともあったくらい。
女形をはじめたころのエピソードですが、舞台が終わって女形を解き、劇場の外までお客さんを見送っていると、「あのすごく美しい女形の役者さんはどこ?」と、梅沢さん本人に聞いてくるファンがいました。
あまりのイメージのギャップに、そのお客さんは目の前の役者さんと同一人物であることに気付くことができないのです、このことに梅沢さんはかるくショックを受けます。
しかし「お客さんの夢を壊しちゃ悪い」とすぐに考えなおした梅沢さんは、「今呼んできますね」と一度劇場の中に引っ込み、ぱぱっと着替えてメイクをして、ふたたび外に出て行って「お待たせしました~」と挨拶をしたとか。
こういうところ、気配りと機転ですね。
下町の玉三郎。
大衆演劇の女形の方はこのほつれ髪が印象的。
十代位の女形は怖いほど美しいけど、色気は年増の方が感じられる。豊満感にも色気があるってことか。#梅沢富美男 pic.twitter.com/xLdhmrusgh— Cataray (@Cataray_S14) 2015年6月17日
殺人的なスケジュールを縫って女性とのデートをかかさず、時には旅行に連れて行き、奥さんにナイショでお小遣いを渡してまで、趣味と仕事を両立させ?、女性そのものを研究し尽くして獲得した女形の「芸」。
今も洋装でテレビ番組に出演していても、動作がやっぱりどこかやわらかいんですよねー。口は悪いけど^^;。
メイクのしかたは、「歌舞伎風」ではなく「ゲイバー風」だそうです(本人談)。
今でもそうですか、昔はお客さんともねんごろになることに、とてもおおらか。
昔は、お小遣いのある有閑マダムが、気に入った役者さんと一緒に時間をすごす喜びを求める遊びに、今より寛容でした。
まして役者と観客の距離が近い大衆演劇ですので、そういう役者の「ナマ」に触れられる機会は手に入りやすいもの。
こういった、一種のうさんくささや、ちょっとした毒を芸に取り込むことさえも、「伝統的な芝居の練習方法」でありました。
まあこれが行き過ぎると「ご贔屓さんに向けてする芝居」になりがちで、芸の質が落ちて堕落してしまう役者さんも多いです。
しかし梅沢さんは、「女性とのお付き合いも、あくまで女形の芸のため」という基本を守り通しました。
まとめ:
梅沢劇団の前身である「梅沢昇一座」は、梅沢さんの父親の師匠であった「梅沢昇」という、もと歌舞伎役者さん。
さきほどすこし触れましたが、名門出身ではないことから、歌舞伎の世界では上に行くことができなかったため、そういう境遇の若手役者が集まって一座を結成したのがはじまり。
しかし、巨大資本の後ろ盾がある映画やテレビなどと人気を競って大衆演劇をやっていくのは、かんたんなことではありません。
また、一番の理解者であるお兄さんの武生さんは、「信頼できて頭の上がらない人が近くにいることは、こんなに安心するものなのか」と、梅沢さんに実感させてくれる存在です。
こうした家族の支えと、梅沢富美男さんのたゆまない努力が、その女形にたまらない艶と妖しさを添えているのですね。
1980年代、梅沢劇団は頂点を目指して疾走し、90年代には大衆演劇の中でトップになりました。
やっぱり、家族のバックアップって大事ですよね。女性遊び奨励という、周囲に理解のある環境に育ったことが勝因でしょうか。
本当に美しいですね。
【参考】
梅沢富美男の嫁は再婚、最初の結婚と子供たちについて。仲いいの?
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