宮中祭祀スケジュール(後編・6~12月)

まずはメモ書き程度に。

新天皇皇后両陛下が執り行う儀式をおっていきたいと思います。

【参考】

宮中祭祀スケジュール(前編・1~5月)




香淳皇后霊祭(こうじゅんこうごうれいさい・6月16日)

香淳皇后の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

節折(よおり・6月30日)

天皇陛下のために行われるお祓いの行事。別名、御贖 (みあが) の儀ともいう。

毎年6月と 12月のみそかの大祓の日の夜に、宮中で天皇、皇后、東宮 (→春宮 ) のために行われる祓式の一種。

神祇官のすすめる小竹9本を使って身長および両肩より足まで、胸から左右の手先まで、左右の腰から足まで、左右の膝から足までをそれぞれ測り、その個所を折るところからこの名が出来た。測ったあとは神祇官の宮主 (みやじ) が祓をした。

大祓(おおはらい・6月30日)

大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の1つ。

祓は浄化の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という。

1年のうち、毎年6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われるものを恒例とする。

しかし天皇即位の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曾有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。

別名で中臣(なかとみ)の祓とも言われる。大祓の初見は『古事記』仲哀天皇の段にある「更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、生剝(いきはぎ)、逆剝(さかはぎ)、阿離(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚(うまたはけ)、牛婚(うしたはけ)、鶏婚(とりたはけ)、犬婚(いぬたはけ)の罪の類を種種求(ま)ぎて、国の大祓して」を指すとされる。

これら祓うべきものたちを「天つ罪」「国つ罪」といい、世俗的な罪とは異なり、祓い清めるには普通の祓式で用いる短文の祓詞(はらえことば、のりと)ではなく、長文の大祓詞を奏上、あるいは宣(の)り下して浄化する。

大祓詞には地上で国の人間が犯す罪が主体の「国つ罪」よりも農耕に関する慣行を破ることが主体の「天つ罪」のほうを先に列挙しており、古代ではこちらのほうが共同体秩序を乱す大罪と考えていたことが伺える。

大祓詞の内容は、もともとは6月と12月で内容が異なっていたが、延喜式に「六月晦大祓、十二月此准」とあり、6月のものが残ったとされる。

現在は神職が神へ奏上する形をとっているが、延喜式に残された内容からは、本来は参集者に向かって「祝詞をよく聞け」と呼びかけこれに「おう」と称唯(いしょう)して答えるのに始まり、天孫降臨からの日本神話、罪穢の種類の列挙、そしてその祓い方と、その後祓戸大神によりどのように罪穢が消えていくかを言い聞かせる内容となっていた。

このように、大祓は、これらすでに起きてしまった災厄をリセットして今後の国体の鎮守を図る意味の他、共同体の構成員に全員の参加を義務付けて宣下する本来の形式が推定されることから、上位の政権による“禁忌を犯してはならない”という法を広く知らしめて遵守させる側面があったと考えられる。

それまで慣例として、皇室での大祓では参列する皇室の範囲を成年男子の親王に限っていた。平成26年(2014年)6月10日、宮内庁より、男性皇族が実質少なくなったことを理由に、以降の大祓への参加を成年女性の皇族にまで範囲を広げる、と発表された。

明治天皇霊祭(めいじてんのうれいさい・7月30日)

明治天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

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神嘗祭(かんなめさい・10月17日)

大祭。五穀豊穣の感謝祭にあたり、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が行われる。

また、祝祭日の一つで、秋の季語でもある。 賢所に新穀をお供えになる神恩感謝の祭典。

この朝天皇陛下は神嘉殿において伊勢の神宮をご遙拝になる。

かつては9月11日(旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、9月17日(旧暦)に奉納した。

1873年(明治6年)の太陽暦採用以降は新暦の9月17日に実施となったが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、1879年(明治12年)以降は月遅れとして10月17日に実施されている。「神嘗」は「神の饗(あえ)」が変化したと言われる。

「饗え」は食べ物でもてなす意味である。また、饗は新殻を意味する贄(にえ)が転じたとする説もある。神宮では、神嘗祭のときに御装束・祭器具を一新する。

神宮の正月ともいわれる。神宮の式年遷宮は、大規模な神嘗祭とも言われる。

神宮では、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」とも呼ぶ。伊勢の民衆は、この祭りを「おおまつり」と呼び、奉祝の行事を行う。神宮の神職や伊勢の神領民はこの祭りが終わるまで新穀を口にしないとされる。

また、「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、1874年(明治7年)から1947年(昭和22年)まで同名の祝祭日(休日)であった。

上述の稲穂の生育が不十分であることによる変更に伴い、1878年(明治11年)までは9月17日、1879年(明治12年)からは10月17日となる。

秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい・秋分の日)

旧制の大祭の1つ。

毎年秋分の日に、天皇が皇霊殿で歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式。秋分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭。

秋季神殿祭(しゅうきしんでんさい・秋分の日)

秋分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典。

新嘗祭(にいなめさい・11月23日)

収穫祭にあたるもので11月23日に天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食べ、その年の収穫に感謝する。

宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。

また、天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭を大嘗祭といい、宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。

天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。

『日本書紀』仁徳天皇四十年条に新嘗祭の記述があり、これが記録に見える最初のものである。

新嘗祭の儀式の中に弥生時代に起源を持つと考えられるものがあるため、その原型は弥生時代に遡るという説もある。

伊勢神宮の神事の形式を取り入れていき、また皇位継承儀礼に組み込まれながら宮中祭祀として続いてきた。

賢所御神楽(かしこどころみかぐら・12月中旬)

夕刻から賢所に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典。

天長祭(てんちょうさい・12月23日)

天皇陛下のお誕生日を祝して三殿で行われる祭典。

天皇誕生日(てんのうたんじょうび)となっており、日本の国民の祝日の一つである。

慣例上、日本の国家の日(ナショナル・デー)にあたる。

天皇誕生日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「天皇の誕生日を祝う。」ことを趣旨としている。

天皇誕生日に際しては、「天皇の住居である皇居内の宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行われる。」「伊勢神宮を始め、各地の神道神社では天長祭が行なわれる。」

「海上自衛隊では、基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において満艦飾が行われる。」といった行事が行われる。

大正天皇礼祭(たいしょうてんのうれいさい・12月25日)

大正天皇の崩御相当日に皇霊殿で行われる祭典(陵所においても祭典がある。)

【参考】

宮中祭祀スケジュール(前編・1~5月)

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