happyさんや壱岐市の縄文祭関係のことは、いったんこの記事を一区切りとさせていただきます。
happyさんのことについてもちょっとメールでタレコミもあり、あとはしばらく過去の記事について少し加筆訂正のみにします。
だって神様関係、本っ当に怖いもん^^;。
さて今回は、引き寄せ系スピリチュアルイベンター・happyさんが長崎県壱岐市の歴史ある神社・月読神社の御神体を交換した件です。
神社側のPR用かと思ってましたが、なんかホントに入れ替えちゃったみたい。
今回は、オウムのような新興宗教が壱岐市にできるぞおおおおお公安警察カモーン!!という呪いを念じつつこの記事を書きます。
【参考】
happyちゃんとは何者か?年齢や旦那は?はるとはどんな関係?
happyちゃんの縄文祭!壱岐島のオカルト侵略!同調圧力が呼ぶ幻想
happyちゃんの月の器(tukinoutuwa)の場所はどこ?白川市長との利権構造
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happyさんが奉納した鏡が壱岐市月読神社の御神体になる
happyさんによると、伊勢神宮や出雲大社の遷宮の時に奉納された鏡を作成した技術者たちが、47枚の鏡を作成したらしいです。
そのうちの鏡の一枚を、陶彩芸術家・草場一壽氏が譲り受け、それをhappyさんが壱岐月読神社に「御神体として」奉納したとのこと。
happyさんの2017年6月29日のブログにこのような記載があります。
↓↓↓
「お神さんに報告ののち神殿に御神体として祀らせて頂きます」
って言ってるのを聞いて
え!?御神体になるの!?
そう….
奉納した鏡が、月読神社の御神体として祀られるんです。
えーと、月読神社の宮司さんから言い出したような書き方になってますが、本当ですか?
壱岐の月読神社…
月の神様を祀る日本の大元神社の御神体となってたのは
現在、木の鏡、「木鏡」になってるようで
木だからもちろん、なにかを映し出すことはありません。月の時代、月の時代と言われてきて
月読さんが真の鏡を御神体とすることで
いよいよ月の力、復活の時ではないかと。
happyさんはこういうことを書いてますけど、今までの御神体である「木鏡」はまがい物で、自分たちが納めた鏡が「真の御神体」であるかのように、ブログを読んだ方が受け止められる書き方をしていますが、月読神社さん、これ本当に本当なのですか?
↓↓↓平成29年6月28日付けで奉納された壱岐月読神社の御神体です。
<出典:いつでもPICOといっしょ>
ウィキペディアには壱岐月島神社のことについて以下のように記載されているのですが、
以下のように修正していいということですか?
(略)
平成29年(2017年)6月28日、草場一壽、旺季志ずか、松林政文、Happy、tommy、Picoらの有志により鏡1面が奉納され、以降壱岐月読神社の神体となる。
そもそもの鏡の由来をもう少し詳しく説明していただければ、wikiにも詳しい情報を載せられますので、そのあたりについても併せて詳細をお願いします。
一人だけ本物の芸術家の名前が入っていて、それに隠れるように、その他の名前は平等に有象無象という図式が、ほんと巧妙というか狡猾というか……
具体的にどのような権限と根拠があって、壱岐市と特に関係のない人たちが神社に「御神体を奉納」できるのか、無学な一般人に教えてほしいです。
最低限、氏子の了解は得ているということなんですよね?
月読宮司「もっといい鏡が奥にある」
こちらのHPに2018年6月の様子が出てきます。
<出典:嬉野温泉きららカフェ>
happyさんが奉納した鏡とは台座が違うので、この写真はレプリカのようです。
「奥にあるもっと素晴らしい鏡」とやらがhappyさんたちが奉納した鏡ということだとしたら、木鏡はどうしたんでしょうか。処分したんでしょうか。
やっぱり木より鏡のほうがいいんだろうなー。ハイハイ。
神社にも商売は必要ですが、見栄えがするものとカネの前には伝統なんてどうでもいいんだろうな。
※月読宮司は、まず2016年9月に往路でhappyさんに100万円で右頬を叩かれ、2018年2月にお友達の子宮委員長はるさんに復路1000万円で左頬をぶっ叩かれています。
※happyさんと子宮委員長はる(八木さや)さんはスッピスピのお友達で、2人とも壱岐市に不動産を購入しています。
御神体が剣や鏡というと、今風の鋼のものなどを想像してしまいますが、伊勢神宮や熱田神社などの大きな神社の御神体だって銅鏡や銅剣らしいです。
実際に見た人は希少ですが、御神体が作成された時代的に、そういうものの方が適当だと思います。
現代風でいう「鏡」こそが違和感あるんじゃないかなーって個人の感想では思うわけですよ。
伊勢の「心の御柱」も木柱だし、諏訪大社に至っては山と木が御神体です。出雲大社は本当によくわからないですが大つぶの真珠?じゃないかと推測していた本があったかな。
こういう部分に強く「古代」を感じます。
古い神社であるほどそういった木石や銅がかえって似合うんじゃないかと考えます、月読神社の「木鏡」って日本らしい古い神社の御神体だなーって思ってたんですが、そんなに光り物がいいのかなあ……。カラスかよ。
カラスで思い出しましたが熊野大社の御神体は那智の滝です。原価ゼロ円。
それより前にそもそも論として、「鏡」って太陽神ぽいんですけど、月神にふさわしいの??
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長崎の神社庁は「宮司さんの考え次第」
御神体の交換には正式な儀式が必要かと思われますが、検索しても壱岐月読神社の「御神体交換」に係る報道は特にありませんでした。
ごく内々に交換を済ませたということでしょうか。
今まで壱岐月読神社の御神体だった木鏡は、約340年前、平戸藩という、今で言う「県」による行政調査をきっかけに、今の県知事にあたる藩主・松浦鎮信さんという人が奉納したものです。
藩の財政難とか宗教施設に下手に権威を持たせたくないとか理由は他にあったかもしれませんが、銅や鉄や鋼ではなく、「木」の鏡を納めたところに、昔の人なりに、古代という時代への理解が含まれていたのではないでしょうか。
こういった歴史背景に変更を加えるには、それなりの理由が必要になりますが、具体的にどのようなことなのでしょう。
現代ではけっこう簡単に「御神体」を変更することができるのですね。もちろんそこらの鏡ではダメなのでしょうが。
宮司さんはこの旨、神社庁にもう連絡されたのでしょうか。
うーん、一般的な日本人の感覚として、「御神体が入れ替わる」ということは、その神社の歴史そのものが変わることになると思うのですが、こういうことって普通にあるものなのですかね?
私も正確な知識があるわけではないので一応、長崎県神社庁にも電話してかるく聞いてみました。
「パソコンである人のブログを見ただけなんですけれど、一般の人が納めた鏡が、そのまま神社の御神体になることって、地域によっては時々はあることなんですか? 壱岐市の月読神社のことらしいんですけど」
と聞いてみると、
「お人形とか古い神棚などを納めて、魂を抜くことは考えられますが、あとはブログ主、神社さんのそれぞれの考えだと思いますので、そちらに直接聞いていただいたほうがいいと思います」
とのこと。
特に雑誌などの取材でもないし、一般常識として、こちらも特に名乗らず一般論としてちょろっと聞いただけで、対応してくれた方も一般の事務員さんです。
(神社庁側もうかつなことを言えないことはわかりますので、迷惑かけられません^^;。どなたたか然るべき筋の方から問い合わせていただけないでしょうか。)
しかし少なくとも、あんまり一般的なことではないようで、神社さんそれぞれの判断というか責任になるのではないかという感じの回答でした。
ちょっと珍しい例ですので今回の記事で取り上げてみました。
努力はしてみる
以下、あくまで「私なら」というたとえですが。
そこそこのお金を持っていて、権力者(市長)と宗教(月読神社)を味方につけて、地元の有力者(平山旅館)と渡りをつけ、ビジネスができる不動産物件まで手に入れ、10年の間警戒心を解く努力と世代交代の時間を待てるなら、こういった小さな島ひとつ、掌握しようとする出来心くらいは芽生えると思いますよ。
だって壱岐市って人口28000人の、環境的に閉ざされた離島です。
やれる「見込み」や「実現可能性」が見えてきたら、やれるだけはやってみると思います((笑))。
だって、自分の行動を制限されない世界というのは、とても心地よくて魅力的だから。
そういった「万能感」を感じられる環境を作ることが出来るなら、努力してみますよ私だったら、ですが。
同じ島内には、依存心の強い人間を転がす人心掌握術に長けた、心強いお友達もいたらなおさらです。
夢がひろがりんぐです。
まとめ:麻原もダライラマ14世との接見を宣伝した
自分でもすっごく重箱の隅をつつくよーなこと書いてるなーとは思うんですが、「大げさすぎ」とみんなが膝を叩いて笑うよーな部分を突いて、何かが潜り込んでくるんですよ、時間が経ったら取り返しがつきません。
大げさかもしれませんがあの麻原彰晃だって、ダライラマ14世と何回か接見し、2人が写っている写真をオウム真理教のPRに最大限使いまくったのですよ。
とにかく「神社に御神体を奉納した」という事実があることが大事で、その解釈はあとでいかようにも修正することが可能なんですよいくらもらったのでしょうか月読神社の情弱ジジイ。
こういった小さな既成事実を針小棒大で大きく宣伝され、だんだん「実績」がついていって、宗教的権威がついたと錯覚させていくと、いつしかカリスマになっちゃってるんです。
こういう「瑣末なこと」の積み重ねで、10年後の壱岐はどーしよーもないことになっているんじゃないかと思うんですが、本当に大丈夫ですか?
……いやあのー、しつこいようですがこういうこと、神社業界では本当にあることなんですか??
【参考】
happyちゃんとは何者か?年齢や旦那は?はるとはどんな関係?
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コメント
ご朱印めぐりが好きである程度神仏に対する畏敬の念をもっております。
ご神体というのは、神様の姿を現すものではなく依代でありますのでご神体そのものを入れ替えるというのはあり得ない、というわけではありません。
(毎年ご神体を入れ替える神社もあるようです)
しかし、今回の場合は結果的に「あり得ない」ことになっています。
340年神様が依代とされ、地域の方々から信仰されてきたものが「一般の人」(恐らく神仏に対する敬意がない方)が持ってきたものと入れ替えられる。
しかも、あろうことかそのご神体を正面から写真をとる。そして覗き込む。ネットにUPする。
あり得ません。
言ってみれば
「お前の家、みすぼらしいから変えてやるわ。ちょっと見せてみろよ、ええ感じやないか、写真に撮ってネットにあげといたるわ」
というような行為であります。
なぜ宮司さんがこれらの行為を見過ごしたのか理解に苦しみます。
このように雑に扱われた器に神様が宿るでしょうか。
行き場を失った神様はどうされるのでしょうか。
縄文祭で芝の修復を命じられたのは終わりの始まりのように思えます。
ただ単なるご朱印好きからの見解ですので、神職を専門とされている方のそれとは異なる部分があるかと思います。
しかしながら神仏に畏敬の念を抱いているものとしては「なんて物知らずな……」というため息しかでない事案ですね。