<出典:スタジオジブリより>
「もののけ姫」は1997年(平成9年)7月12日公開のアニメーション映画であり、放映時間は133分の超大作。アニメでこれはすごいですね。
宮崎駿監督が構想16年、制作に3年をかけており、興行収入は193億円を記録、当時の日本映画の興行記録を塗り替えました。
声優陣には石田ゆり子(逃げ恥の百合姉さん)、田中裕子(NHK大河おしん)、小林薫(超ベテラン)、美輪明宏(神武以来の美少年)、森繁久彌(昭和の名俳優)という豪華俳優陣を揃えており、メインキャラの中で本職の声優はアシタカ(松田洋治・「ナウシカ」アスベル役)のみということでも話題を呼びましたね。
公開からすでに20年経過しており、2018年10月の金曜ロードショーの放映で10回目になりましたが、視聴率はいまだ12.8%という高い数字を維持。
しかしこの「もののけ姫」、テレビで放映されるたびにある問題が必ず取り沙汰されます。
「アシタカの浮気疑惑」です(笑)。
今回は、アシタカとカヤとサンの関係を考察してみました。
カヤとアシタカの関係は?
「もののけ姫」の舞台は日本の室町時代。
アシタカの一族は、400年前の大和朝廷の戦いに破れたエミシ(日本の先住民)の一族の末裔で、次の村長になる予定の凛々しい若者でした。
しかし、村を襲ったタタリ神を退治した時に死の呪いを受けてしまい、村を去らなければならなくなります。
ケガレを受けた者の旅立ちを見送らないという禁を破って彼に駆け寄り、玉(ぎょく)の小刀を渡す少女がカヤです。
カヤはアシタカのことを「兄さま」と呼んでおり、兄妹と思った人も多いはずですが、実はこれ、村の若い娘たちは、村の年上の男性のことを全員「兄さま」と呼んでいた(同様に女性は「姉さま」)という設定らしいんですね。
ゆえに、ふたりは実の兄妹ではありません。
カヤはアシタカの嫁になるつもりであり、そのように周りが認めた娘だったという設定でした。
カヤは「次期村長の妻」になることが認められていた、美しく聡明な娘であったことが想像できます。
ということは、アシタカもそのつもりだったはずなんですよ。カヤを妻(の一人)にする心づもりだったはず。
アシタカとカヤは周囲が認めた事実上の「婚約者同士」の間柄でした。
カヤのお守りの衝撃的な意味
カヤは旅立つアシタカに手作りの小刀を渡します。黒曜石を繊細に加工した、当時としては最高級品の品物です。
これは、エミシの乙女が変わらぬ心の証しとして、異性に贈るならわしのもの。
未婚の女性が守り刀を男性に渡すと言う行為は、『粉河寺縁起』に記述があるそうですが、求婚の証であり、カヤが一生未婚のまま人生を全うすることを暗示しているとする指摘があります。
つまりこの小刀の意味は、「自分は生涯恋をしないし、別の男の妻になるつもりもない」という「貞操の印」。
要するにこれどういう意味かというと、アシタカとカヤは人目をしのんですでに男女の仲になっていました、ということなんです。
古代の結婚は、基本的に女性のもとに男性が通う形でしたが、どうなんですかね、まだ正式な間柄でなかったのなら、現場は森の中だったかもしれません。
しかし宮崎監督は、そんな直接的な場面を描きたくないので、「私はいつまでも貞操を守ります」という言葉を、小刀に置き換えることによって、メタファーとして表現したのです。
だからカヤの中にはすでにアシタカの子が宿っていて、村にはちゃんと次期村長のアシタカの血筋が残ることになるのです。
そうやって生まれたカヤとアシタカの子孫たちが、オープニングで映し出される土面の紋様として、「アシタカ王の伝説」として後世に語り継がれていくという話になっています。
宮崎駿監督は相当こっぱずかったらしく、ストレートにこういうこと描けないんですよ(まあそうですよね)。
「カヤは、ずっと、ずっと兄さまのことを想っています。ずっと、ずっと…」
「私もだ。私もいつまでもカヤの事を想おう!」
確かに、アシタカの態度がいやにさっぱりしているのに違和感を感じましたよね?
昔は血筋や子孫を残すことが何より大事でした。
もうお腹にはアシタカの子がいるので、カヤは「私も連れてって!」とつべこべ言わない。泣き言など言わない。
その理由は、2人はすでに関係を持っていて、カヤはアシタカから次の王となる子供をもらっているからです。
アシタカの血筋はカヤの中に残り、カヤがそれを受け継ぐ。
スーパー大天才・宮崎駿監督に言わせれば、「このシーンを見て、こんなこともわからない奴は、俺の映画の価値はわからないよ!」ということらしいです。
凡人にはわからないですよ!!
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アシタカはなぜお守りをサンにあげたの?
さて、もうひとつ重大なシーンがあります。
ケガを負ったアシタカがサンに看病され、何日も経ってからはじめて起き上がるシーン。
サンが暮らす岩屋の中で、アシタカが隣で眠っている彼女を見つめるシーンがあるんですけど、この時のサンは、登場時とはうってかわって非常に無防備な様子で、しかも足が見えてるんですね。
このシーンの絵コンテを見てピンときた鈴木敏夫プロデューサーは宮崎駿監督に「この2人、もう……しちゃってますよね?」と聞いたそうです。
普段の宮崎監督だったら「そう」とか「いや違う」と、はっきり答えてくれるのですが、この件に限っては、宮崎監督は一切答えようとしなかったそうです。
さらに鈴木Pが問い詰めた結果、宮崎監督は「そんなこと、わざわざ聞かなくてもわかっていることじゃないか!」と言ったそうなんです(笑)。
そんな話を、鈴木Pは、嬉しそうにラジオで語っています。
モロが「お前がうめき声をあげたら噛み殺してやろうと思ってた」ってそういうことだったのですね(岩屋の上で聞いていたということですか)。
私もはじめこのシーンを見たときは「まさかね?」と思いました、だってあのシーン以降、明らかにサンの表情が柔らかくなっているんですもの。
当時は確たる情報がなかったので「まあアニメだし」と流してました…。
アシタカがサンにお守りの小刀を渡したのも、故郷のエミシのことはここできっぱりと断ち切り、この西の土地で新しい人生を生きていくことを決めたという覚悟の表れでしょう。
そして、この土地で生きていく自分の一番の妻は、サンであるという意思表示であり、その気持ちを伝えたかったのだと思います。
サンはこういう人界のならわし的なことはわからなかったかもしれませんが、それでも意味は伝わったはずです。
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エボシ御前ももと遊女だった裏設定
確かに時代背景をかんがみれば、こういう流れの方が自然かな、と思います。
表現方法がアニメなので、健全な部分だけを切り取り、他はこういうふうにぼかすしかなかったのでしょう。
タタラ場を仕切るエボシ御前も、海外に売られて中国の倭寇の大親分の妻になったけれど、男を殺害し、財宝を奪って日本に戻ってきたという出自であることを、宮崎監督は対談の中で話しています。
「海外に売られて」というところが重要で、つまり10代の頃に、奴隷として男性に身体を売る仕事をしていたということです。
海外に売られたということは、ごく小さい頃から娼婦となるべく育てられたということで、そのエボシを人身売買で買ったのが倭寇の親分。
その親分の手下だったのがゴンザ 。
ゴンザはエボシに惚れていたからそのまま日本までついて来て、タタラ場にいる女たちはほとんどが元娼婦です。
エボシがその女たちを買い取って引き取り、倭寇の親分から奪い取った財でタタラ場を切り開き、理不尽に干渉されない理想郷を作ろうとしたのです。
弱い者を誰も守ってくれない混乱の時代を、自分が強くなることで生き抜く覚悟を決めた、凄まじい強さを秘めた女性だったのです。
カヤのその後はどうなったの?
アシタカは、二度と故郷のエミシの地を踏むことはありませんでした。
カヤは登場時は13.4歳という年齢設定ですが、当時としては結婚適齢期です。
おそらく、あのあとまもなくアシタカの子を産み、立派な次期村長として育て上げたのでしょう。
「結婚はしない」と決めているので、その後は冒頭に登場するヒイ様のような、巫女になったんじゃないかなーと個人的に思ってます。
アシタカも、呪いが解けたのなら村に戻っても良さそうなものですが……便りか使者くらいは出してもいいんじゃないかな。
タタラ場と交易始めればいいのにね。
まとめ:登場人物はみんな大人だった
「もののけ姫」は、よく目を凝らすと、生々しいまでに「人間の生」が織り込まれていることがわかる名作です。
アニメだからしょうがなかったと思うのですが、もうちょっとこういう時代背景を織り込んだ、本格的な小説版を読んでみたいなあと思います。
アシタカは礼儀正しい青年として描かれていますが、もともと古代エミシの王として育てられた男性なので、当時の女性にとっては非常に雄々しく聡明で、魅力的な存在だったのではないでしょうか。
登場人物が全員生命力に溢れていることが年を経るごとにわかって、どんどん「もののけ姫」が好きになっています。
ままならぬ運命の流れの中においても、登場人物が全員もがきにもがいて「生きる」ことに懸命です。
「生きろ」というキャッチコピーがひときわ重く胸に刺さります。
森のサンとも子供作ったし、たぶんタタラ場でも奥さんの2・3人もらったんでしょうね。
当時の価値観としては能力のある男性が多くの子を作ることは普通のことだと思いますので。
この映画の登場人物さえも、まもなく時の流れの中に消えていくのかと思うと、いっそうこの作品の鮮烈さが際立ちます。
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コメント
カヤとの関係が気になって調べていたら、この記事に辿り着きました。
すごい考察!勉強になりました。