ジャニー喜多川の少年愛の原因は?経歴や生い立ちに危険な秘密があるの?

ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川さんが滝沢秀明さんを後継者を指名しました。

あ、「後継者に指名」しただけで、ジャニーさんはまだ引退を表明したわけではありません^^;。

というか、ジャニーさんの姪っ子(姉のメリーさんの娘)の藤島ジュリーさんが会社を継ぐと思っていたのですが、SMAP解散に続いて、またひと波乱ありそうですね。

ジャニー喜多川さんは同性愛で有名な人で、2004年、所属タレントへの少年愛セクハラが実際にあったと認定され、裁判に負けています。

さまざまな噂はたえない人とはいえ、、芸能界を牛耳るジャニーズ事務所を創業・経営した、大プロデューサーであることに変わりはありません。

今回は、ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川さんについて調べてみました。

【参考】
ジャニーズ事務所崩壊の始まり防止の一手は若手育成人材を抜擢

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ジャニー喜多川氏の両親について

まず、ジャニーさんの生育環境、つまりご両親についてわからないとなんともいえません。

ジャニー喜多川さんのお父さんは「喜多川諦道(きたがわ・たいどう)」という名前の、真言宗のお坊さんです。

↑↑↑職業は僧侶なので、英語で「ビショップ(僧侶)」と書かれています。

1896年(明治29年)の大分県生まれで、 高野山大学という仏教系の大学を卒業しています(現在もあります)。

諦道さんは8歳で稚児(少年修行僧)として出家し、やがて和歌山県高野山の導師となります。

ずここですね。歳で出家、といわれて思い浮かぶのは「稚児」です。

稚児といっても種類があるのですが、平安時代頃から、真言宗、天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行僧(12~18歳くらい)が現れはじめ、稚児と呼ばれるようになります。

日本の仏教界は昔から「女犯」といって、女性と交わるのは禁止されていますが、男性とならOKという抜け道があります。

稚児は当時の貴族女性と同様の化粧をし、極彩色の水干を身につけていました。女装する場合もあり、その場合、少女と見分けがつきにくかったのです。

真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制なので、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされました(稚児が全員そうなったわけではありませんが)。

いやーそうですよね、いろいろこじつけてタブーの抜け道を探すものなんですよ人間って。

諦道さんがどこのお寺に入ったのかはわかりませんが、真言宗の総本山近くの高野山大学を卒業していることと、後に真言宗の僧侶になっていることから考えれば、真言宗系の寺院に入ったと考えるのが妥当です。

※高野山の導師になっているので、和歌山県の総本山に入ったのでは?と管理人は思うのですが、根拠はありません。

……いやだってさ、少々日本史の分野になりますが、

『最澄は愛する弟子の泰範(ハンサム)を空海の元に勉強に行かせたが、空海は泰範を寝取ってしまう。最澄は何度となく、泰範に帰って来るようラブレターを出すけれど、ついに泰範は帰って来なかった……』

などというエピソードが真言宗と天台宗のそれぞれの開祖の時代からあるんですよ。

てゆーか、稚児の慣習を中国から持ち込んだのは空海(真言宗)ですから。

諦道さんにこういう経験があっても、当時は珍しくなく、お坊さんの社会の中では普通の感覚だったのではないでしょうか。

戦前のことで、現代の常識とはまったく違う時代です。


そしてこれが、どういう経路を伝わったのかまではわかりませんが、息子のジャニー喜多川さんの「同性愛」に繋がっていると思うんです。

さて、諦道さんは和歌山県高野山の導師(←すごい!)となりますが放蕩三昧で、自ら「やくざ」や「遊び人」と称する異色の坊主だったとのことです。

諦道さんの師匠の僧侶が大隈重信と親しくしていたことから、諦道さんも海外への思いを強め、大谷家(和歌山市のなんかすごい有力者)の後援を受け、真言密教の布教のために1924年(大正13年)、27歳の時に世界一周の旅に出発します。

この頃にはすでに日本人女性と結婚しています。

↑↑↑右側の女性が母親の「栄子」さん。ジャニーさんは日本人です。

出発してすぐアメリカに向かい、ロサンゼルスのリトル・トーキョーのサウス・セントラル・アベニューにあった「高野山真言宗 高野山米国別院」に立ち寄ります。

しばらくお世話になってまた旅にでる予定でしたが、当時の主監が急に帰国することになったため、急遽、諦道さんが第三代主監となるというハプニングが起きました。

諦道さんはロスで活発な布教活動に精を出し、ロスの日系人社会の顔役になります。

この時期に妻の栄子さんをロスに呼び寄せ、ロスで生まれたのが、

・泰子(メリー喜多川)1926~

・真一(まさかず。愛称:マー坊)

・擴(ひろむ。ジャニー喜多川)1931~ 

の、三姉弟だったのです。

ジャニー喜多川さんの本名は、「ジョン・ヒロム・キタガワ(喜多川 擴(きたがわ ひろむ))」です。

ジャニーというのは、英語名の「ジョン」からとった愛称です。

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ジャニーズはCIAの手先となり日本愚民化政策に携わっている?


1933年、一家はサンフランシスコ港から帰国し、大阪に移住。

1939年に第二次世界大戦が勃発すると、諦道さんだけ大阪に残り、妻と子供たちだけで和歌山県那智勝浦町に疎開しました。たぶん、父親のツテで、前述の「大谷家」のお世話になっていたのだと思います。

まもなく妻の栄子さんは死亡。

この頃、メリーさんは15歳、ジャニーさんは10歳でした。

姉弟だけで助け合って生きていたのでしょう。

諦道さんはその後、1960年代に大阪でそのまま死亡しています。

葬儀はたくさんの人が来ましたが、ジャニーさんやメリーさんは姿を見せなかったそうです。

おそらく帰国後すぐに死亡した母親の栄子さんことがあるのではないかと推測するしかないのですが、……なんか、闇が見えますが、真相はわかりません……。

戦後、3姉弟は、アメリカ国籍を無効にしないためにふたたび渡米。

ロスの高校や短大に通いながら英語を学び、地元の劇場で音楽監督のアシスタント(雑用係)のアルバイトを経験しています。

このとき、舞台袖からステージを見ていた経験が、ジャニーさんをエンタテイメントに目覚めさせるきっかけになったのです。

父が建てた本堂の舞台で、日系人のために、日本から招いた美空ひばりなどのショーを開いたといいます。

美空ひばりやその関係者と知己を得た事で、日本の芸能界にコネクションができ、後に芸能界入りするきっかけになりました。

1952年、アメリカ国籍だったジャニーさん(21)と真一さんには兵役義務があり、朝鮮戦争に徴兵され、ジャニーさんは 韓国の戦災孤児に英語を教える任務についています。

アメリカ陸軍犯罪捜査司令部(CID)の情報員(通訳の助手)という肩書きで再来日していますが、わずか10ヶ月で朝鮮語をマスター。

除隊後はアメリカへ戻らず、日本に滞在。 上智大学国際部に社会人入学すると同時に、1955年にはバンドを結成して自らも芸能界へ参入。

ちなみに、戦後まもなくの上智大学は、GHQにより「GHQの兵士とその子弟の高等教育機関」に指定されており、米軍と緊密な関係にありました。

その後、英語力と滞米経験を買われ、独身米軍士官向け宿舎に住みながら、アメリカ大使館勤管轄下の在日アメリカ軍事援助顧問団の事務職員として、旧防衛庁(霞が関)にあった顧問団の事務所に1958年から勤務しています。

つまり、日本に居ながら、アメリカ軍の立場で仕事をしていたんですね。

1962年からは本格的にタレントのプロデュースを開始し、軍事援助顧問団を退職しています。

現在まで、一度も結婚していません。

ときどき「ジャニーズ事務所はCIAとの関わりがあるのではないか?」と噂されることがありますが、その理由は、

・ジャニーさんは若い頃からアメリカに滞在していたこと

・アメリカと日本の二重国籍を持っていること

・英語が堪能

・徴兵後の米軍との関係があまりに密接だったこと

・兄の 真一さんが、ペンタゴン関係の仕事をしていたこと(50代で死亡)

が挙げられます。

アメリカは、日本人に野球やプロレス、芸能などの娯楽を与えて国民を愚民化してきました。

ジャニーズ事務所も、その日本人愚民化戦略の一環ではないか?と言われるのはこのあたりからです。

ジャニーさんが両親ともに日本人なので、血統的には純日本人なのですが、30歳頃まで米軍の仕事に従事していた経歴を考えると、立場やものの見方は、ほとんどアメリカ人なのではないでしょうか。

まとめ

ジャニーズ事務所は、真言密教とアメリカが融合したところに起源がありました。

ジャニーさんとメリーさんは、身体は日本人のものですが、価値観や思考は、もうほとんどアメリカ人のものといっていいでしょう。

「日本」や「日本人」をアメリカ人の目で見るフィルターを持っていたからこそ、タレントのマネジメントの辣腕ぶりを見ても、非常にドライで客観的です。

そして、タレント業で大金を稼いでいる、もと米軍関係者のジャニーさんとメリーさんを、アメリカ側がそのまま「あ、日本で仕事するの?はいさようなら」で済ませて放っておくものかどうか、という点がまたまたミステリアスなんです。

繋がりは切れてないと思うんですよねえ^^;。

ジャニーズ事務所をこれだけの規模にしただけあって、ジャニーさんとメリーさんは壮絶な時間を過ごしてきたのですね。

家族で支えあってきたジャニーズ事務所。

後継者の滝沢秀明さんの時代になるのはまだもう少し先のようですが、どのように変わるのでしょうか。

楽しみです。

※あとですね、個人的には父親の諦道さんとジャニー姉弟の不仲が気になります。お葬式に行かないというのはいくらなんでも尋常ではありません。いろいろ想像していしまいます。

【参考】
ジャニーズ事務所崩壊の始まり防止の一手は若手育成人材を抜擢

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