富岡八幡宮事件のその後の宮司は誰?手紙の要求叶わず怨霊が出る?

富岡八幡宮は勧進相撲発祥の地として広く知られており、地元民から八幡様の名称で呼ばれている由緒ある神社でした。

富岡八幡宮は観光スポットとして年間30万人の集客力があり、数十億円の集金力がある金満な経済地盤がある背景、不動産収入として近くの商業地やマンションから個別に数万の土地代が入ります。

しかし2017年12月7日、東京都江東区にある「富岡八幡宮」において、弟・富岡茂永(当時56)が、姉の宮司・富岡長子(当時58)を日本刀で斬り殺すという事件が起きました。

富岡茂永氏は、犯行直前に遺書を送っています。

遺書には、

・息子の富岡秀之氏を富岡八幡宮の宮司に迎える要求

・姉や母による嫁へのいじめ

・父と姉によるクーデターで宮司を辞めさせられたことの経緯・詳細

・富岡長子さんの10代の頃からの素行や学歴、結婚や子供について

などが書かれていました。

12月12日には、富岡茂永氏と真里子さんが住んでいたマンションの部屋から、12月1日付で書かれた遺書も見つかっています。

富岡茂永夫妻は、富岡八幡宮から30メートルほどの距離にあるマンションに隠れ住み、部屋から双眼鏡などを使って姉の長子さんのことを監視していたようです。

遺書には、今回の犯行のことやその後、自殺することなどが書かれていて、計画的犯行だったことがわかっています((((;゚Д゚))))。

遺書の画像がネットに流出していますが、たいへん長い内容なので、この記事の最後に掲載しています。

東京地検は2018年9月28日、容疑者である弟とその妻を、容疑者死亡による不起訴処分としました。

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事件の概要

2017年12月7日の午後7時頃、富岡茂永氏は妻の麻里子(49)を伴い、神社敷地境内にある富岡長子宅の駐車場に到着、袋に入れた日本刀を持って待機、姉が車で帰宅した午後8時25分頃、夫婦は物陰から飛び出しています。

茂永氏が姉を襲い、一度は車の中に身を隠した長子さんを引きずり出し、刃渡り約80センチの日本刀で執拗に切りつけ、妻の麻里子さんが運転手の男性(33)を「まいばすけっと富岡八幡店」の近くまで約100メートル追って、別の日本刀で切りつけました。

茂永氏が姉である宮司を襲ったあと、サバイバルナイフで妻を殺害し、その後自死しています。

富岡八幡宮事件の現場はどこ?

この事件の現場は、祖父・富岡盛彦氏の銅像が立つ境内の一角で起きました。

↓↓↓現場はたぶんこの辺り。このすぐ右側に、祖父・盛彦氏の銅像があります。

富岡茂永氏は1995~2001年まで富岡八幡宮の宮司を努めています。

40歳の時に宮司を降板させられていますが、理由は女性問題や金銭トラブル。

それから16年後の凶行で、襲撃事件前まで周囲に対し、姉が宮司に収まっていることに不満を漏らしていました。

姉・富岡長子さんについて

<出典:NEWSポストセブンより>

弟の遺書による情報ですが、富岡長子さんは中学時代から素行が悪く、シンナーや麻薬、男遊びに溺れ、高校にも行かず錦糸町の喫茶店などでアルバイトをしながら家出同然の生活をしていました。

20歳の時に、喫茶店のお客の男性と結婚して子供をもうけますが、乱暴な性格のため子供を捨てて家に戻ってきています……。

学歴がない長子さんを雇う会社はなく、当時宮司であった父親の富岡興永氏が、富岡八幡宮のの経理の仕事につかせます。

名目だけは神社の事務員となった富岡長子さんは、仕事はほとんどせず、大検の学校や、大学夜間部に通っていました。

現在、40手前になる長男がおりますが、良子さんが死亡したため、10億にものぼるという個人資産はどのようになったのか……。

弟・富岡茂永氏について

学生時代のあだ名は、ボンボンだったので「ボンちゃん」で、勉強もスポーツもできるほうではなく、お金だけは持っていたためいじめの対象になっていました。

皇学館進学後はお金で釣った悪友をボディーガードに雇い、神道学専門科を卒業後、富岡八幡宮の権禰宜(ごんねぎ)となります。

宮司だった父親の興永氏の躁うつ病が悪化したことから、茂永氏が実質的に神社の運営を任されました。

身内の情から富岡茂永氏は姉に給料を多めに出したりしていましたが、長子さんは、経理の立場上知り得た茂永氏の弱み(交際費やギャンブル)を突かれ、脅迫を受けていたと告白しています。

1995年、33歳で正式な宮司に就任していますが、この頃、富岡茂永容疑者の元に「父親を病院に閉じ込め、神社の乗っ取りを企み…」という内容の怪文書が出回りました。

茂永氏は、怪文書の出どころは姉だと推測していたそうです。

一方で茂永氏は、神社界の寵児でもありました。

40歳以下の神職で構成する「東京都神道青年会」の渉外部長に就任し、若手を引き連れて夜の帝王として会員の懇親に君臨したり、上部団体「神道青年全国協議会」の創立45周年記念事業実行委員会を見事に取り仕切っています。

富岡八幡宮の宮司に就任した1995年には神青協理事も経験し、副会長を経て会長にまで上り詰め、神社界におけるキャリアを積み、「実業家的風貌らしく、その人脈の多さには定評があり…」と、当時の会報誌に好意的に評されています。

しかしまた一方で、神社本庁に高級外車で乗り付け、後輩らを引き連れて銀座の高級店をハシゴ、ラスベガスのカジノに日常的に通うなど、金満ぶりも漏れ聞こえていたことも事実。

とりわけ1990年代半ばは氏子エリアの湾岸部で急ピッチの開発が進んでおり、高層ビルや商業施設の地鎮祭・起工式の依頼が次々に神社に舞い込んでくるなど、とにかく羽振りが良かったのです。

ある時期、幹部らを中傷する怪文書が出回り、この犯人として疑われたのが茂永氏でした。

真相はわかりませんが、茂永氏は一転、神社界で窮地に立たされることになります。

同じ頃、金銭トラブルや女性問題について父親から叱責され、2001年、富岡八幡宮の宮司職を解かれてしまいます。

2006年には、姉を脅す内容のはがき2通を送りつけたとして脅迫容疑で起訴され、罰金刑が確定。

茂永氏は「神社庁長になって、富岡家を再興したい」という願いを持っていましたが、客観的に見ればこの願いはこのときに潰えています。

しかし、茂永氏の宮司復帰への周年は凄まじく、宮司代務者となった姉への嫌がらせは、実に20年近くに及びました。

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富岡家の状況

富岡八幡宮は、江戸時代より隆盛を極め、経営難が一般的な神社界の中では例外的に飛びぬけた財産と収入を誇っています。

中世においては、神社仏閣には膨大な土地が寄進されていましたが、明治維新時に2度「上知令」が出され、このような土地は国家に奪われています。

しかし、都市にある神社仏閣はこれを免れました。

仲見世商店街などの土地を所有する浅草寺などがその代表で、都市には広大な土地を所有する神社仏閣が現存しています。

この事件は結局は、カネとそれを自由にできる地位をめぐっての骨肉の争いですが、姉弟の祖父である故富岡盛彦氏は、神職にしては相当のやり手で、戦災で焼失した社殿を再建する事業に携わった功績を重ね、宮司職に権限を集中させました。

父親の富岡興永氏は、それまで神社の財産で株の売買をしたり、骨董品を購入したりしていましたが、茂永氏が宮司に就任後、そういうことは一切禁止したのだそうです。

母親も私的な買い物を、経理の富岡長子さんを通して神社の経費として処理していましたが、茂永容疑者の許可を必要としたため、不満に思うようになったということです。

そして、次第に父親と母親ともに、宮司である茂永氏には内緒で、長子さんを通して神社の経費として処理するようになりました。

茂永氏は多忙だったため気付かなかったそうですが、彼もお金をじゃぶじゃぶ遊興費に使っていましたよね。

自分は宮司だから良い、という考えだったのでしょうか。

……一家揃って神社の財産を私的に使うなんて、何やってんだよあんたら……。

富岡八幡宮の豪華社宅

茂永氏が宮司就任中、境内に豪華な社宅が建設されています。

1・2階が独身寮で、3・4階が富岡長子さん専用のスペース。

3・4階は専用エレベーターが付いた贅沢さで、150平米の広さに駐車場もあり、建物だけで1億2千万円、土地代を含めると2億5千万円になったとか。

理由は、姉の長子さんが、青山学院大学の教授と結婚を決めたためですが、結局は結婚せず、長子さんだけが3・4階に暮らすことになったそうです。

なぜ、そんな要求を茂永さんは聞いたのかというと、少年時代に暴行容疑で逮捕されたことがあるそうで、家庭裁判所の審判では無罪となったものの、それをネタに強要されたと告白しています。

富岡家のクーデターとは

それは茂永氏に、宮司を辞めさせる計画でした。

その予兆は、夜間大学卒業後に教職に就く予定だった富岡長子さんが、卒業後は国学院の夜学で神職の資格を取りに通い始め、卒業と同時に禰宜にするよう、父親の口添えもありながら要求してきたことに見られたといいます。

実習生から、出仕・典仕・権禰宜・禰宜・権宮司と段階を踏んで昇格してきた茂永容疑者には、その要求はとても受け入れられません。

そして茂永氏が36歳の時に、彼を誹謗中傷する怪文書が出回りました。

この日から、茂永氏と結婚したばかりの真里子さん対、姉の長子さん、両親、妹の千歳さん、当時の禰宜等との対決が始まりました。

もうこの時点で孤立しているような気がしますが、お金の使い道を一方的に制限された家族の恨みを買ったのでしょう。

膠着状態が3ヶ月ほど続いた後、茂永氏は、円満解決に持ち込むからダミーの辞表を書いてもらえないかと、当時の崇敬会議長から依頼されるまま辞表を書きました。

すると、その辞表が正式に受理され、その日のうちに茂永氏が辞任したとの噂が周囲に広まり、辞表が本物とされてしまいます。

神社本庁宛ての辞表は書いてないものの、茂永氏は、妻が親族からいじめを受けていることも考慮にいれ、一定の条件で円満退職に応じるに至ります。

妻の真理子さんへのいじめとは

遺書によると茂永氏の妻の真里子さんは、姉や母から親族として認めてもらえなかったと証言しています。

その理由は、嫁の真里子さんの兄が車いすに乗った障害者であったこと。

それに加え、真理子さんの実家に対し、さまざまな言いがかりもつけられていたのだそうです。

毎日、姉の長子さんやその妹の千歳さん、両親にいじめられている嫁の今後を考え、騙された形となったものの、辞任に応じてしまった理由であったと語っています。

退職の条件は守られず?

辞任にあたって茂永氏には、一定の取り決めがありました。

退職金が1億2千万円、年金として毎月30万円。

そして不動産からの収入も入ることになっていたはずですが、遺書によると約束の条件は守られなかったとのこと。

それどころか次々と裁判に訴えられ、醜聞を週刊誌に書かれ、社会で生きていけなくなってしまったと遺書に書かれています。

茂永氏は、とうとう2006年の1月、年賀状代わりに脅迫はがきを2通、姉あてに送りましたが、これが逆に脅迫容疑として逮捕され、それが大々的に報道されることになり、社会的地位を更に失い、転落してしまったのです。

その後、社宅を追い出された茂永夫婦は、東京・上野や福岡・宗像市などを転々としますが、事件前には東京・江東区に戻り、富岡八幡宮から30メートルほどの距離のマンションに隠れ住んでいました。

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長子さんが宮司になれなかったのはなぜ?

2010年、父親の富岡興永氏が体調不良で宮司を退任します。

神社本庁に所属している神社は、宮司の人事について本庁の承認が必要であるため、姉の長子さんの宮司昇格を神社本庁に申請します。

しかしその後7年間にわたり、神社本庁は長子さんを宮司として承認しませんでした。

殺人事件後、マスコミ各社は長子さんの宮司昇格を承認しなかった理由を神社本庁に問合わせています。

神社庁側の回答文書は「身長審議の結果、富岡長子氏の宮司発令は不適当と判断。神社本庁憲章第11条を遵守し、自己研鑽に励むこと」という内容。

第十一条 神職は、ひたすら神明に奉仕し、祭祀を厳修し、常に神威の発揚に努め、氏
 子・崇敬者の教化育成に当ることを使命とする。
 2 神職は、古典を修め、礼式に習熟し、教養を深め、品性を陶冶して、社会の師表
 たるべきことを心掛けなければならない。
 3 神職は、使命遂行に当って、神典及び伝統的な信仰に則り、いやしくも恣意独斷
 を以てしてはならない。

要するに、神社本庁側は「宮司たる者かくあるべし」と憲章を例示した上で、長子さんはこの域に達していなかったと言いたかったのですね。

この後、長子さんは5日間の研修を受けましたがなお「日数が足りない」とされ、しびれを切らした富岡八幡宮側は、2017年中に神社本庁を離脱して独自路線を歩むことを決め、長子さんを宮司に昇格させています。

茂永氏は、これで自分が復帰する目はなくなったと絶望感を抱いたため、凶行に至ったと推測されます。

まあその、2015年頃に富岡八幡宮の借地権(土地の一部の120坪)を、父親の興永氏が富岡八幡宮から搾取し、長子さんとその妹に相続させていたことが内部告発で明らかとなる事件があり、神社本庁で大きな問題ともなっていました。

宮司代務者となってからも、運転手付きの車で新宿歌舞伎町のホストクラブにも足しげく通い、指名するのは20代前半の若いホストで使う部屋はVIPルーム、一本100万円以上するクリスタルボトルを注文することもあり、月の支払いは200万円以上とか……いやはや。

そりゃ突っ返されるだろ。

富岡八幡宮代理人の言い分

この事件の富岡八幡宮代理人は、TMI法律事務所に所属している佐藤歳二弁護士で、この方は相撲界の暴行事件において、元横綱日馬富士に約2500万円の慰謝料を要求した貴ノ岩関の弁護も担当しています。

佐藤弁護士がこの弁護を引き受けた理由は、「富岡八幡宮の関係者全員の嘆願書があった」ためだといいます。

責任役員会や総代会、神輿連合会、神職、巫女、施設管理に関わる用務員さんなど全員が、「富岡長子さんを宮司に」という意見で一致していたからです。

佐藤弁護士はもと裁判官なので、慎重に物事を調査する方です。

佐藤弁護士が「なぜ長子さんの宮司昇格を承認しなかったのか?」と神社本庁に照会状を出すと、ダメだという理由は何も示さず、付記欄に「怪文書があります」と触れただけで、関係者全員の嘆願書を含めて照会状一式が突き返されてきました。

宮司昇格を申請するたび、「騒動」を持ち出して理由も示さず却下するこのやり方に、佐藤弁護士は「神社庁に加盟する神社は、自分たちの言いなりになる」と誤解しているのでは?と感じたとのことです。

現在の富岡八幡宮の宮司は誰?

重要な時期である年末年始を前の事件でした。

富岡八幡宮は急遽、ナンバー2の権宮司である丸山聡一氏が暫定三ヶ月の間、代行に就任し、年末年始を乗り切りました。

丸山氏は2018年の6月28日に、そのまま富岡八幡宮の宮司に就任していて、何事もなければ今年もこのまま宮司です。

氏子らの間では、退職した元権宮司を推す声もあります。

元権宮司を知る人は「みんなから好かれる人という印象」と語るなど人望がある方ですが、年齢は60代後半の方。

この神社ではもともと権宮司に定年はなかったけれど、茂永氏が権宮司の定年を70歳に決めてしまい、後に長子さんが65歳定年に引き下げました。

それで元権宮司は辞めざるをえなくなった…という事情がありました。

また総会では、やはり母親から、茂永氏の息子である孫の秀之氏を後継者に据えることを望む声が挙がりました。

当面は丸山氏が宮司を務めるようですが、母親は富岡家以外の誰かに『神社が乗っ取られるのではないか』と心配しているということで、神社の私物化の継続をを結局は望んでおり、利権の価値観から脱却できていません。

しかし最終的に決めるのは宗教法人としての富岡八幡宮ですから、他人がとやかく言うことではありません。

地元の人にとっては、暗いイメージの払拭に時間はかかるでしょうが、「深川の八幡さま」として信仰の対象であり続けるでしょう。

息子の秀之氏はどんな人?

富岡茂永氏の最初の結婚の息子が富岡秀之さんです。

地元の高校を卒業後、昼間は富岡八幡宮でアルバイトをしながら、国学院大学の神道科2部に進学し卒業。

頑張って宮司になれる資格を取得しましたが、当時、既に神社内で権力を握っていた叔母・富岡長子さんに冷遇され、秀之さんは神職になれませんでした。

2010年に長子さんが宮司代務者となった後、勤務状況が悪いことを理由に富岡八幡宮を懲戒解雇されてしまいます。

裁判で争いましたが敗訴。

何か縁故があったのか、現在、東京都杉並区阿佐谷南にある馬橋稲荷神社の権禰宜。

パチンコ・パチスロ神社YouTuberの富岡ウルフ氏と同一人物と言われていましたが、現在、動画は削除されているようです。

茂永氏の母親は秀之さんをかわいがっていましたから、長子さんを殺して自分が死ねば、神職の資格を持つ息子が後継者に指名されると考えたのかもしれませんが、結果は丸山聡一氏が宮司になりました。

数年間の、臨時的な措置なんですかね?

娘の千草さんはどんな人?

茂永氏には最初の結婚の嫁との間に、娘もいました(秀之さんの妹)。

長子さんが宮司代務者となった後、息子の秀之さんと同じく社宅を追い出され、新宿や上野でホステスをしていましたが、やくざとの交流が判明し、茂永氏が勘当したとのことです。

妻の真理子さんはどんな人?

茂永氏は最初の結婚で息子(秀之)と娘(千草)の2人の子どもをもうけますが離婚し、2回目の結婚も離婚、3回目に結婚したのがこの事件で共犯となった真里子さんでした。

真理子さんは元ホステスで、茂永氏の愛人から3番めの妻に昇格?しています。

2002年、富岡八幡宮の宮司家族から結婚差別発言を受けたとして謝罪と賠償を求め、損害賠償請求訴訟も起こしています。

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まとめ:骨肉の争いの登場人物は全員平等にフォロー不可

実は今回の記事では、神社側のフォローをしたかったのですが、あんまりできませんでした。

無理。

だってもう、富岡家まとめてほとんどアレな人たちばっかじゃん。

どういう育て方をしたのか知りませんが、お金がありすぎるのも困りものですね。

もし遺産争いが勃発したら、弁護士呼んで法律どおりの分割で納得するのが一番賢い身の処し方です。

例年の初詣の参拝者は15万人の規模ですが、あの事件の直後の初詣は3割ほど減少し、周囲の商店街の売上は半分以下、と大損害だったそうです。

2019年の初詣の参拝者数はどうなるのでしょうね。

大体はこのような反応でしたが、

縁起が悪いところへ正月早々行きたいとは思わない
御利益あるの?普通の感覚なら行かない

あまり気にしない人もいるようです。

事件と神様は別
氏子の人は長い付き合いの神様に新年のご挨拶くらいはしたい

富岡茂永氏の遺書の内容

大変長い内容なので、こちらに掲載しておきます。

消印は12月8日で、犯行直前に代行業者に依頼して発送。

送付先は全国の神社関係者が約1000通、氏子の関係先の飲食店や学校が約1800通という、膨大な数に及んでいます。

富岡茂永氏は、遺書について祖父のことに触れ、自分がいかに努力していたか、父と姉が自分を宮司から引きずり下ろした怨みなどを、綿々と綴っています。

遺書に書かれていた富岡茂永氏の要求は、次の4項目。

1.姉の富岡長子氏を永久に富岡八幡宮から追放すること

2.息子の富岡秀之氏を富岡八幡宮の宮司に迎えること

3.クーデターに参画した権宮司への具体的対処(←現在の宮司の丸山聡一氏)

4.今後は、息子の富岡秀之さんと、母親の富岡聰子さん、息子の務める馬橋稲荷神社の禰宜の4人で決めていくこと

そして、「私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます。」と記しています。

1の内容はともかく、2・3・4の項目については、富永茂永氏の要求は叶えられておりません。

この神社のどこかで、怨霊になっているのでしょうか……((((;゚Д゚))))。

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いやー……すごい恨みがつもったものです……。

富岡八幡宮は地元の声で動いているところが多いので、先のことは地元の声を理解した上でやっていくしかないでしょうね。

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