天皇陛下と雅子皇后のなれそめは?帝王の結婚の条件と婚活方法

2019年4月1日、新元号が「令和」となることが発表されました。

2019年5月1日には皇太子さまは新天皇に即位され、雅子さまは皇后となります。

もう元号「令和」のエピソードから、管理人はすっかり今上陛下(令和)の大ファンです。

不景気に苦しむ庶民の生活の隅々にまで、あのようなブラックなユーモアにあふれた笑いを届けてくださる優しく慈しみの心あふるる御方など、そうはおりません。

しかしそんな天皇陛下は、皇太子時代は「日本一格式の高いおうち」のご長男。

一般家庭でも「長男の嫁」はさまざまな責任を負わされがちで敬遠されますのに、日本国最古の血統をほこる皇室の直系の跡取り息子となると、なかなかお妃になってくれる人が現れませんでした。

弟の秋篠宮さまはサッサと結婚していまい、このままでは皇統が途切れてしまうのではないかとささやかれる中、33歳の時、ついに小和田雅子さんとご成婚となりました。

天皇陛下はどのような女性を理想とし、ご成婚までにどのようなエピソードがあったのでしょうか。

【参考】

天皇陛下の人柄は怖い?令和の元号に隠された大エンペラーの片鱗

雅子様に皇后は無理?仕事と立場が確保されれば回復するけれど…

雅子さまの英語力レベルは?皇室外交は令和時代に一気に花ひらく!

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雅子皇后陛下のプロフィール

皇太子さまは1960年2月23日、今上天皇と皇后美智子の第一皇子として誕生。

雅子さまは1963年12月9日に、外交官の父とチッソ会長の娘である母との間に、小和田家の第一子として誕生されました。

おふたりは、約3歳差です。

皇太子さまは学習院大学・学習院大学院を卒業後、オックスフォード大学に留学してテムズ川の水運史について研究され、帰国後は学習院大学で博士前期課程を修了。

日本国内において、将来最強の影響力をもつ立場に立つことを約束された皇太子さまが選んだ女性がどんな方かというと。

雅子さまの父親の小和田氏は外交官で、東京大学講師をしていました。

母親の優美子さんはチッソ会長・江頭豊の長女で、日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会)評議員。結婚前はエールフランス極東支配人秘書を務めていたという、やはりすごいご両親。

雅子さまは幼少期より、外交官の父親についてソビエト連邦やアメリカ合衆国で過ごされた帰国子女で、国際感覚にあふれた方です。

英語はもちろん、フランス語にドイツ語もベラッベラ、ロシア語もすこし話せるそうです。

雅子さまの学歴というのが、

・ハーバード大学(経済学部国際経済学)を超優秀な成績で卒業後、

・東京大学(法学部第3類政治コース)の3学年に外部学士入学(100人中合格者3人)、

・東大在学中に外交官試験1種に合格したことから東大を中退、

・外交官として外務省に入省(経済局国際機関第二課)したのち、

・研修でオックスフォード大学に留学

されたという、日本人にこんな人がいたのかというか、日本人のDNAでこんなに優秀になれるのか、と考えてしまうものすごい方です。あらためて見るとしみじみとすごい。

まさに「小和田雅子さまレベル」と、ひとつのものさし基準になってしまいそうにハイレベルな頭脳をお持ちの方でした。

超絶エリートが集う外務省に入省した時など、「女性初のキャリア官僚のスーパールーキー」として話題になってます。

元総理大臣の海部俊樹、外務大臣渡辺美智雄、竹下登、中曽根康弘など、そうそうたる顔ぶれがそろう会談において通訳をつとめ、語学力を生かして幅広く活躍しました。

 皇太子殿下の好みのタイプ!

さてさて、日本一教養と見識にあふれた皇太子さまの「理想の女性像」とは、どのようなものでしょうか??

①幸せな

②玉の輿に

乗りたい女性は必見ですよ! 両方揃えて結婚したいですよね!

皇太子さまは以前から

自分と価値観や金銭感覚、趣味や関心が合い、家柄云々よりも世間知らずでなく他人の心がわかり、人の苦しみや悩みを推し量ることができる、必要な時には自分の意見をしっかり言える女性が好みのタイプである。

と記者会見で語っていました。

エンペラー的に専業主婦志望はお断りだそうです。

↓↓↓雅子さまと出会う前で、一番具体的なのはこれ。

1983年11月の記者会見

身長、学歴、家柄とか、ぼくはそれほどこだわらないです。

相手として自分と価値観が同じである人が望ましい。具体的に言えば、美しいものを見たとき、それを美しいと評価できる人、大切なものを大切と認識して大切に扱う人。

ぜいたくを避けるという意味で、金銭感覚が自分と同じ人。ニューヨークのティファニーであれやこれや買う人は困る。

2番目に、誰とでも気軽に話ができ、人と会う場合でも、その人と話そうという環境をつくりだせる人。話すときも控えめではあるが、必要なときにはしっかりと自分の意見をいえる人。

外国語はできたほうがいい。さらに自分と趣味を分かち合える人がいいと思います。

雅子さまは中学高校や東大・海外に居た頃(幼少期+ハーバード大+オックスフォード大)、外務省勤務時等々、いつも周りに友人がたくさんいました。

社交的で、もちろん外国語も堪能!

あとどこかに、「自分から皇室に入ろうとする女性は困る」みたいなこともおっしゃってなかったかな。

要するに地位に目がくらんだ野心家の女性はダメということで……深い、深いですね……。

残念ながらこの時点で紀子さまは完全アウトで、皇太子さまの視界にも引っかからなかったでしょう。

家柄にはこだわらないとはおっしゃってますが、その分、人としての「格」の高さを望んでおられたようです。

逆にハードル高くなっているような気がしますが(笑)。

そうは言っても皇太子ともなれば、そんじょそこらの娘さんを嫁にとればいいというものでもありません。

果たして、皇太子さまのおメガネにかなう女性は、地球上に存在するのでしょうか。

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小和田雅子さんとの出会い

それが、いたんですねえ。

2019年に結婚25周年を迎えられたお二人の出会いの場は1986年、東宮御所で行われたスペインのエレナ王女歓迎のレセプションパーティーでした。

皇太子殿下26歳、小和田雅子さん23歳!

皇太子さまの理想の女性像にぴったりだったのが、雅子さまです。

実は雅子さまは最初からお妃候補で、本人にも知らせず、このレセプションパーティーに招かれてお見合いがセッティングされていました。

皇室のお妃候補のお見合いとは、本来そういうもの。

隙だらけの王族のに付け入る野心家のどこぞの紀子さまや、上昇志向をギラギラたぎらせた女性のハニトラにやすやすと引っかかるどこぞのボンクラ秋篠宮さまとは、レベルが違うのです。

その後、皇太子さまは日英協会のパーティーや高円宮邸などで4回ほど雅子さまと会って、会話を楽しまれました。

ところがこのまま結婚するのか?と、皇太子さまのお妃候補に関する報道が過熱するばかりだったので、かえって当時の映像が残っております。

↓↓↓はっきりした受け答えが、やっぱり社会に出て働く女性のもの。

けっこうポンポン話す方なので、これまた皇太子さまの条件クリア(笑)。

まあ毎日これでは、女性側は参ってしまいますよね。

皇太子さまの婚活一時中断

しかし、1988年から1990年までの2年間、雅子さまが外交官として英国のオックスフォード大学に研修留学したこともあり、お二人の交際は遠のいてしまいます。

また、雅子さまの母方のお祖父さんが水俣病訴訟継続中のチッソの要職にあったことから、一部で批判の声も高まります。

このことから宮内庁も、雅子さまを皇太子さまのお妃候補として考えることには慎重にならざるをえず、ご交際は一時中断されました。

皇太子さまが思いを寄せている一方で、雅子さまは玄関の家を出た途端に浴びせられるカメラのフラッシュ、過熱する報道に嫌気がさしてしまいます。

また、今後は外交官という仕事に励みたいという希望もあったことから、小和田家としてもお妃候補を断りました。

オックスフォード大学の大学院に行かれた理由は、新しいことを学ぶため英国英語を勉強したいという思いと、お妃候補として付け回すマスコミから逃げたいという思いから。

雅子さまはイギリスのオックスフォード大学でも、一生懸命勉強されています。

理想的な女性と出会っても、出会いや交際のタイミング、家柄がお二人の進展を困難なものとしていたようです。

しかし!

小和田家が辞退してお妃候補から外れた後も、皇太子さまは粘りました。

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皇太子さまの婚活後半戦!

ご交際が中断されてからも、引き続き宮内庁主導のお妃選定作業は進められています。

しかし、宮内庁が推薦するお妃候補に、皇太子さまが納得されることはありませんでした(*´∀`*)ステキ。

それほど雅子さまとの出会いは運命的で、忘れられなかったのでしょう。

↓↓↓そりゃそうでしょうよ、こちら管理人が一番好きな独身時代の雅子さまの写真。

美しすぎる!!!

頭脳明晰・眉目秀麗・才色兼備と三拍子揃った雅子さま。

皇太子さまの結婚の条件をすべてやすやすとクリアするような、無敵の女性にプロポーズできる日本人男性が、果たして当時存在していたのか。

また、過熱する報道のメディアスクラムは対雅子さまだけにとどまらす、他のお妃候補となる女性達にも行われました。

そんな状況に、「自由が保障されない」と考えて、皇室入りに強い拒否反応を示す女性は少なくありません。

その後、雅子さまの祖父は水俣病問題とは無関係であることが証明されました。

このことから1992年に皇太子さまの強いご意向を受け、小和田家にお妃候補としたい旨を再度申し入れたと言われています。

雅子さまも複数の宮中関係者からの「何とか1度だけでも皇太子さまに会っていただけないか」という熱心な働きかけに応えて一度は再会することにし、1992年8月に宮内庁長官公邸で皇太子さまと再会。

同時に宮内庁はマスコミに対し、皇太子妃報道を自粛する報道協定を申し入れました。

これは、今までの強引な取材でお妃候補がマスコミ不信に陥り、交際を難しくさせていることへの配慮です。

この対応からも、いかに皇太子さまや宮内庁が雅子さまに対して本気だったかが伺えるでしょう。

鴨馬デートで3度目のプロポーズ

1992年10月3日、皇室が接待に使用する千葉県市川市の鴨場で皇太子さまと雅子さまを二人きりで会わせる鴨馬デートが実行されました。

こちらは、宮内庁が管轄する鴨猟をするための場所であり、猟場です。

鴨場とは、宮内庁が外交使節団等の接遇の場として管理する施設。

江戸時代、将軍家に伝わる伝統の鴨猟を、明治以降に皇室が継承、今に伝わっています。

天皇皇后両陛下が山形国体に出席されるため、取材陣の注目がそちらに集まるよう、この日が選ばれました。

いわば皇太子さまは、天皇皇后両陛下がマスコミを引きつけたスキをついて、すかさず雅子さまとデートしたわけですね★

宮内庁いい仕事してます!

こうしてゆっくりとデートを楽しむことができた皇太子さま(32)は、この場で雅子さま(29)に「結婚していただけますか」とプロポーズされました。

『雅子さんのことは僕が一生、全力でお守りしますから』

……改めて、この言葉重いなあ。すごいなあ皇太子さま。

皇太子さまが「一生全力でお守りしますから」という言葉には、自分が「一生全力で」雅子さまを「守」らなくてはならないと、彼自身が認識している状況が、天皇家をとりまいていたことです。

マスコミの目もなく、充分に練られたプロポーズ計画でしたが、雅子さまは即答せず、断る可能性まで伝えたと言います。

やはり皇室入りすることには、相当の覚悟が必要だったのでしょう。

しかし、その後も皇太子さまは雅子さまと直接お話をされ、雅子さまもやがて皇太子さまの真摯な説得やお人柄に惹かれていきます。

芽生えてきた結婚願望や、人の役に立ちたいという気持ちなど色々と熟考の上、12月12日に正式にプロポーズを受け入れることを、皇太子さまに直接伝えられました。

皇太子さまご本人の熱意と周囲の助力で、ついに雅子さまのOKを勝ち取ったのです。

こうして婚約内定後、1993年(平成5年)1月19日に皇室会議で正式にご成婚が内定。

その後、外務省をご退職され、4月12日には一般の結納にあたる納采の儀を経て、6月に結婚の儀と祝賀パレードが開催。

交際から結婚まで困難や壁もたくさんあったお二人ですが、皇太子さまの一途な想いが宮中関係者や雅子さまの心を動かし、雅子さまの人柄が皇太子さまの心を掴んだのでしょう。

お二人が天皇・皇后となる令和という新たな時代は一体どのような時代になるのでしょうか。

まとめ:皇太子さま 3回目のプロポーズ

これだけではなく、雅子さまの職場でもあり雅子さまの父親の職場でもある外務省に、さまざまな方面が協力しました。

宮内庁と上皇の学習院時代のご学友が、それぞれOB含めた外務省関係者に根回ししたなどと証言してます。

何回か雅子さまを呼び出し、後は皇太子さまが電話で何度も雅子さまにプロポーズ、同時進行で外務省への根回しを継続……。

どうも、鴨馬デートは3回目のプロポーズだったようですね(皇太子さま粘った粘ったがんばった!)。

101回まで行かなくて良かったです!(笑)

というか、これだけ周囲に協力してもらうのも、恥ずかしかったんじゃないかしら(笑)。

そんなこと言ってられる場合でもなかったのでしょうが、なんとまあ微笑ましいこと。

昔はよくわかりませんでしたが(すみません)、皇太子さまは、非常に素敵な男性です。

普通の男性など、雅子さまと対等にやりあう土俵さえ持っておらず、卑屈にならざるをえないような超絶優秀な女性に、一歩も引かず臆せず恋をしてプロポーズして!!

自信でも自尊心ともちょっと違うかな、「これから自分がキャリアを手折るこの優秀な女性を、かならず守り抜いて皇室で幸せにする!」という一世一代の覚悟がないと、小和田雅子さんレベルの女性にプロポーズどころか恋などできません。

いくら皇太子さまでもです。

そこまでして妻に迎えた女性が心を病んでしまった時も、皇太子さまは国民や他の皇族からのバッシングを恐れずかばい、守り通しました。

これから前時代のいろいろが出てくるでしょうが、「不利な環境から可能な限り雅子さまを引き離す」という方法で、ほんと、そのお言葉どおり守りぬきましたよ、27年間。

オックスフォード大学で教育を受けた皇太子が日本の天皇になり、雅子さまはハーバード。

令和の御代は、超絶ハイスペックな両陛下の治世となります。

海外の名門大学で教育を受けた初めての天皇皇后陛下になるわけで、グローバルな見識が期待されます。

【参考】

天皇陛下の人柄は怖い?令和の元号に隠された大エンペラーの片鱗

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