世界では、新しい天皇陛下の人となりの素晴らしさは、きちんと知られています。
何度要請しても平成には訪日しなかったローマ法王が、代替わり後すぐに新天皇に会いに訪日されるとか。
いや……なんだかはっきりしてますね、外国の方って^^;。
雅子さまは由緒正しいお血筋の方なので、世界中のブルーブラッド(高貴な青い血、つまり高貴な血筋を誇る王侯貴族の意)の方々には、非常に歓迎されています。
お代替わり後、皇室外交は一気に花開くことでしょう。
【参考】
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まもなく訪れる令和という時代の皇后様となられる、皇太子徳仁親王妃・雅子さま。
そのお家柄は申し分なく、外交官である父・小和田恆さん、そして大企業チッソの会長令嬢であり、かつご自身も慶応大学を卒業後にエールフランス東京支社長秘書でいらした母・優美子さんの間に、1963年12月9日港区虎ノ門にてお生まれになりました。
その頃のご実家は世田谷区桜上水でしたが、外交官であった父親のお仕事の関係で雅子さまは2才になる前から旧ソ連のモスクワ市で過ごされます。
最初は泣かれた時期もあったようですが、次第に寝言もロシア語で言われるまでになったとか。
日本人の2才の女の子がムニャムニャ言うロシア語の寝言なんて一度聞いてみたいものですが、その後の雅子さまの多岐に渡る語学力は、この頃に端を発しているのかも知れません。
雅子さまが4歳からの3年ほどは再び父・恆さんのお仕事の関係でニューヨークのブロンクスで過ごされます。
雅子さまの輝かしい学歴はニューヨーク市立幼稚園、小学校に通われていた頃から始まっていたと言えるでしょう。
1971年に一時期日本に戻られ、世田谷の田園調布雙葉小学校・中学校・高等学校と進学されますが、その後はやはり父・恆さんのお仕事の関係で1979年、雅子さま16才の頃にマサチューセッツ州ボストンに移住されます。
↓↓↓自然な英語スピーチです~。
1979年にマサチューセッツ州立ベルモントハイスクールに高校2年生として転入された雅子さまはその後、アメリカ政府が米国全体の優秀な上位5%の生徒に贈るNational Honor Society(直訳すると全米優等生協会)を受賞され、さらに地元紙の「成績優秀者」欄には常に雅子さまのお名前がありました。
後にドイツ語も勉強され、ドイツ総領事賞、ゲーテ・インスティトゥート賞を受賞されるなど、英語に限らずこの頃から語学活動に熱心だったようです。
高校(12年生)から、大学1年にかけて講談社がアメリカで編集製作していた英語版日本百科事典の編集も手伝っていました。
日本の田園調布雙葉中学校時代にソフトボール部を結成したり、1981年に入学されたハーバード大学時代に日本文化クラブを創立するなどその行動力も優れていらした雅子さま。
前述のハーバード大学在学中は1年生の夏にドイツで前述のゲーテ・インスティトゥートでドイツ語の特訓をされ、2年生の夏休みにはフランスのグルノーブル大学のフランス語夏期講座を受講されるなど、語学分野への情熱も計り知れないものがあります。
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その後、ハーバード大学を卒業された雅子さまですが、書かれた卒業論文では成績優秀な学生に贈られる「Magna Cum Laudeマグナ・クム・ラウデ」という優等賞を受賞。
今まで教えた学生の中で超優秀な生徒だとのハーバード推薦状がテレビででいましたが、ハーバードの先生も、卒論のレベルがものすごかったとコメントしてます。
その1985年の大学全体での卒業生は1681人、「マグナ・クム・ラウデ」を受賞した学生が全学年を合わせて55人の内、雅子さまが在籍した経済学部では3名でした。雅子さまが如何に優秀な方であるかが伺えます。
帰国後の1986年には東京大学3年生に学士入学されますが、その後外交官試験に合格。
女性のキャリア官僚かつスーパールーキーとして大学を中退、外務省に入省されます。
1988年にはオクスフォード大学へ留学され、その最中にお妃候補の報道が世にあふれ、マスコミがアメリカまで押し寄せる結果となった中、同年の先進国首脳会議では海部俊樹さんの同時通訳の一人としてアメリカ出張へ同行されていらっしゃいます。
1986年に皇太子さまに出会うまでの雅子さまの経歴も総じて華々しいものですが、上記をたどるだけでもロシア語と英語、ドイツ語、フランス語を習得されています。
さらなるご向学のお気持ちを考えると、今後も何ヶ国語かを習得される可能性は高いでしょう。
一方で、1986年に雅子さまと出会われる皇太子仁徳親王は、登山やジョギング等のアウトドアスポーツを愛される方ですが、やはり幼少期から徹底した英語教育を受けておられ、オクスフォード大学に留学された経験もお持ちです。
ご公務でも数々の海外の国を訪問され、その際の英語でのスピーチも堂々たるお話しぶりです。
雅子さまと出会ってこの女性と決められるまで、様々なご事情から一時はそのお話が立ち消えとなったこともありましたが、強いお気持ちで雅子さまとご一緒になられた皇太子さま。
ご成婚後も「雅子を守る」とおっしゃられたお言葉の通り、一時期は海外でのご公務に同行されていらした雅子さまが体調を崩されてからも労り、見守り続けておられます。
報道過多や皇室のあり方に苦言を呈されるなどされつつもお言葉通り雅子さまを守り、その後ご成婚8年目にして愛子様という宝物を天から授かられ、今日に至ります。
2018年、フランスを訪問した天皇陛下(皇太子時代)が、フランス語でパーフェクトなご挨拶をされましたが、これは雅子さまの陰ながらのご指導があったからにほかなりません。
↓↓↓背景もすごいな(笑)。
間もなく令和の世となりますが、おふたりが天皇皇后両陛下となられた新しい時代にも、今上天皇皇后両陛下のように、海外や国内、そして要人一般人問わずの触れ合いの気持ちをお持ちくださり、国民の心に強く寄り添ってくださることでしょう。
天皇皇后両陛下即位後、初の国賓としてトランプ大統領が来日
両陛下とトランプ大統領夫妻の後ろにいる黒い服来た人達は通訳ですが、出番が全くないのがおわかりになるでしょうか。
2019年5月下旬、天皇陛下の即位後、初の国賓としてアメリカのトランプ大統領が来日しました。
天皇皇后両陛下ともに英語が堪能で、通訳なしでトランプ大統領とメラニア婦人とスラスラと会話されています。
あるジャーナリストなど「通訳の方がいらっしゃるが、かわいそうだなと思った(笑)」と話すほど。
あんまり当事者同士でペラペラ話されてしまうと、国のエライ人たち(外務省や宮内庁など)が「何を話しているのか分からないと責任が持てない」と困惑するほどでした。
雅子さまがあれだけ英語が堪能で、グローバルスタンダードを理解しその感覚に優れていることに対するトランプ夫妻のインプレッションは、日本のイメージをものすごく良いものに変えたことでしょう。
まとめ:庶民の血筋では諸外国に本当には受け入れられない
これが真実でしょう。
はっきり事実を述べますと、美智子皇后陛下や紀子さまの出自では、もちろん一定の敬意は払われているものの、諸外国の王侯貴族の真の仲間入りはできません。
やはり、血筋なのです。
雅子さまの曽祖父は、まだ明治時代のお若いころ、すでにオランダから「オランジェ・ナッサウ勲章」を、ウィルヘルミナ女王から受賞しています。
その後も、地位の上昇に合わせて、各国から更に高位の授与が数えきれないほどありました。
残念ながら現在の皇室では、こういう雅子さまのお話が全く出てきません。
おそらく、美智子皇后陛下への忖度でしょうね……お姑さんというか、職場のお局さん的な関係は、庶民の職場であろうと皇室であろうと変わらないのでしょう。
オランダの王族は、おそらく皆さん、雅子さまの状況をご存知なのです。
そういうこともあって、2006年(平成18年)には、オランダの女王だったベアトリクス女王のご好意で、雅子さまは病気療養のためにオランダ王国へ皇太子殿下と、愛子さま(当時4歳)と旅行しています。
これは、ベアトリクス女王が雅子さまを心配して招いたと言われています。
「家柄」というのは、時を国境を越えて、こういう人と人の繋がりを作るのですね。
もう英語力云々のレベルでなく、雅子さまそのものに期待が集まっています。
雅子さまには、30年前の外交官としての働きより、もっとスケールの大きなお仕事が待っているかもしれません。
政治利用との一線を画す部分がちょっと難しいかもしれませんが、俗世のごたごたを飛び越えたロイヤル外交をこの目で見られるのかもしれませんね。
【参考】
雅子さまの妹たちの現在は?渋谷健治は節子と離婚して舟橋アナと再婚
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コメント
この御時世に家柄って(^_^;)
GUCCIやCHANELみたいな商品だね皇族って
嗜好品