歌舞伎っとほんと素晴らしいですよね。
私ももっとお金があったら毎日劇場に通いつめ、たまやーとかかぎやーとか(違)歌舞伎浸けの日々を送りたいです。
歌舞伎界というのは、元をたどれば全員が親戚にもなりかねない狭くて濃ゆーーーーーーい世界です。
しかし序列だけは、それはもうぎっちりがっちり、がんじがらめに決まっています。
非常に堅苦しくもありますが、それ以上に奥深い世界です。
家柄、血縁、実績が複雑に絡み合ったそのランキングを理解できれば、歌舞伎の趣も深まります。
もちろん天皇家とはまったく別ですが、歌舞伎界もそのホームドラマが同じくらいにおもしろいです(笑)。
まあ、難しい話はナシにして、今回は市川右團次の一粒種、2代目市川右近こと本名:武田タケル君のことについてお話ししましょう。
武田タケル君の経歴
本 名:武田タケル
襲 名 歴 :2代目市川右近
生年月日:2010年4月18日(2018年で8歳)
父 親:3代目市川右團次 (武田右近)
母 親:一般女性(「明子」さん)
※右團次の3番目の妻、2006年12月結婚
↓↓↓3代目市川右團次さんって、「陸王」に出てたこの人です。歌舞伎役者だったんですね。
TBS系「陸王」?♂?
市川右團次さんが竹内涼真さんとの2ショットを公開
市川さんは「なんだか…さみしい…」とオールアップを迎えた心境をブログにつづっています@rikuou_tbs@takeuchi_ryoma#陸王#竹内涼真https://t.co/PDH7Fp0ldc pic.twitter.com/ETepGQBg8l— アメブロトピックス (@ameba_official) 2017年12月13日
歌舞伎界ってほんといろいろあるのでここでははしょりますが^^;、3代目市川右團次さんは2回離婚して3回結婚しています。
最初の2回はどちらも短期間で離婚しております。歌舞伎界にはなじまない人だったとささやかれています。
タケルくんの母親は市川右團次より9歳年下の一般女性で「明子さん」といいます。
結婚から約3年後に、市川右團次さん46歳にして初めての、そして正真正銘の跡取り息子を授かります。
命名は「タケル」。
由来は、市川右團次さんの師匠である二代目猿翁さんの代表作:スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」から。
この「ヤマトタケル」、私は映画館でしか観ることができなかったのですが、本当にすごい歌舞伎でした。
右團次さんがどれほど師匠の猿翁さんを尊敬していたか、そしてタケル君にどれほどの期待をかけているかがわかります。
成長するうちに、右團次さんのまねをしたり、立ち回りの稽古を一緒にしたいと言うようになりました。
3歳くらいのときに右團次さんが歌舞伎をやりたいの?と尋ねたら、タケル君はやりたいと回答したといいます。
歌舞伎座「義経千本桜」で初お目見え
タケル君は2016年6月の東京・歌舞伎座「六月大歌舞伎」で、安徳帝役で初お目見えを果たしました。
この時はまだ幼稚園の年長組!
演目は「義経千本桜」。
タケル君は第1部「碇(いかり)知盛 渡海屋・大物浦」の安徳帝で登場。化粧をして、せりふもある重要な役です。
右團次の師匠である市川猿翁から「無心にやりなさい」とアドバイスをもらったとか。す、すごい…!
タケル君の6歳という年齢は、舞台、いや史実の中の安徳帝と同い年。歌舞伎の物語の中では「お安」という女の子のに変装しています。
「我を供奉なし 長々の介抱はそちが情け
今また我を助けしは 義経が情け
仇に思うな これ知盛!」
史実の安徳天皇は入水して死んでしまいますが、歌舞伎の安徳天皇は源義経に助けられ、義経に陰ながら見守られつつ、歌舞伎の物語の中で永遠に生き続ける役どころです。
歌舞伎ならではの、粋なはからいですね。
スポンサーリンク
「二代目市川右近」を襲名
翌年2017年1月には新橋演舞場『雙生隅田川』の梅若丸・松若丸役を演じ、ここで「二代目市川右近」を襲名しました。
梅若丸、松若丸という両役を早変わりでやるものです。タケル君頑張った!
↓↓↓ぐほーかわゆい!
来年1月のお役決定。
新橋演舞場〈壽新春大歌舞伎〉
昼の部『雙生隅田川』〈腰元(三) 秋雨〉
序幕と大詰に出てまいります。久々の上演、三代目市川右團次さんご襲名、二代目市川右近さん初舞台の晴れ舞台に出ることができて有り難いです!
皆様どうぞお出ましくださいますよう! pic.twitter.com/OkApZpeSED
— 中村梅乃 (@nakamura_umeno) 2016年12月21日
この演目ですと、二代目市川右近さんは猿之助さん、父の右團次さんと宙乗りや早替りも披露したのでしょうか。
海老蔵さんとか男女蔵さんとかものすごい名前が連なっていますが、このそうそうたるメンバーを前に襲名の口上をしたんですねえ……。
タケル君の小学校はどこ?
タケル君は、慶応義塾の小学校に通っています。
お父さんと同じ慶応大学に進学するのでしょう。
他にも市川亀治郎、市川右近、市川猿之助、市川猿翁 (2代目) など、澤瀉屋一門の多くの役者のほか、様々な有名人も慶応出身の人が多いです。これからの人生、良い人脈を作っていくことを期待しています。
タケル君は『雙生隅田川』の襲名舞台と受験勉強を両立しての合格でした。すごすぎる。
受験勉強が終わった後に舞台のお稽古をしていたそうです。お母さんも頑張ったんだろうな。
まとめ
右團次さんは、「息子は澤瀉屋として修業させます」ときっぱりと話していました。
澤瀉屋は、長い間名跡を継ぐ役者がおらず、市川海老蔵さんに勧められて右團次さんが80年ぶりに復活させた歌舞伎の屋号です。
この経緯から、右團次さんと市川海老蔵さんの絆は強いものだそうです。
この流れを受けて、海老蔵さんの長男・勧玄君(5)との関係も、今後注目ですね!!
歌舞伎はとかく世襲制と言われます。
澤瀉屋の2代目市川右近として、重圧に負けず、立派な役者に成長してほしいです。
スポンサーリンク