漫画家のさくらももこさんが死亡しました。
まだ53歳、あまりに若すぎる訃報です。
死亡原因は乳がんとのことで、発見が遅くて転移が進んでしまったのでしょうか。
あまりプライベートの情報発信はない方なので、闘病中とは知りませんでした。
本当にさみしいです。
さくらももこさんは言わずと知れた「ちびまる子ちゃん」の原作者。
独特な自由さが魅力の漫画を描かれる方で、ニヒルな風味のエッセイも大ベストセラーになりました。
さくらももこさんは2回結婚しており、最初の旦那さんである宮永正隆さんとの間に男の子をひとりもうけています。
今回は、宮永正隆(みやなが まさたか)さんとエピソードをご紹介します。
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最初の旦那さんは宮永正隆さん
<出典:http://www.catchup.jp/archive/catchup/001_1.html>
さくらももこさんのデビュー作にして出世作は、もちろん「ちびまる子ちゃん」。
集英社の月刊少女雑誌「りぼん」で、1986年8月号から10年以上にわたって掲載された、大人気漫画です。
1974年から1975年にかけて静岡県清水市で少女時代を過ごしたさくらももこさんが投影された、小学3年生の「ちびまる子ちゃん」というキャラクターとその家族・同級生たちがおりなす日常生活を描いたコメディ漫画です。
テレビアニメ化・映画化もされ、ともに成功しました。
『りぼん』コミックスの中では通巻最高発行部数(3000万部以上)を記録したメガヒット作です。
少女漫画で、これほどのヒット作ってほかにあるんでしょうか。
さて、時代の寵児となったさくらももこさんは、掲載雑誌「りぼん」の巻末にも、「ちびまる子ちゃん」以外にイラストカットを描いているコーナーがありました。
「みーやんのとんでもケチャップ」という、りぼんの愛読者に向けた読者コーナーです。
このコーナーの挿し絵を一時期担当したのがさくらももこさんで、このコーナーの担当者が宮永正隆さん⇒「みーやん」という編集者です。
宮永正隆さんは、「りぼん」で何人かの少女漫画家を担当していた編集者で、さくらももこさんの担当も彼でした。
一風変わった漫画ながら、集英社では不動の地位を築いたさくらももこさんは、この宮永正隆さんと1989年に最初の結婚をしています。
<出典:シブヤ大学>
宮永正隆さんは、早稲田大学法学部卒のエリートで、ビートルズの大ファン(さくらももこさんのエッセイでもそのエピソードが出ています)。
ビートルズ界では国際的にその名を知られており、「ビートルズ大学」をはじめ「レコードコレクターズ」「月刊現代」「コンフィデンス」「AERA」、TV・ラジオなど多方面で現在も精力的に活躍中です。
余談ですが、さくらももこさんは最初、「りぼん」編集部に漫画(「ちびまる子ちゃん」)を郵送持ち込みしていましたが、「下手な絵」とみなされてしまい、持ち込み漫画の担当者によって一度ゴミ箱に捨てられました。
それを偶然ゴミ箱から拾い、掲載したのが編集者で後のパートナーとなった宮永正隆さんだった、というエピソードがあります。
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岡田あーみんと恋のバトルに勝つ
さくらももこ関連で一番好きな話ってか好きなページは、お父さんは心配性に載ってる岡田あーみんとの合作で合宿した?裏話。
本棚からすぐ出てきた…。 pic.twitter.com/44hlZCUWXQ— さきぽん (@skcore8) 2018年8月27日
宮永正隆さんはさくらももこさんの他にも何人かの漫画家さんを担当しており、その中に知る人ぞ知る天才ギャグ漫画家「岡田あーみん」という人がいます。
さくらももこさんは、この岡田あーみんさんととても仲がよく、「りぼん」誌上で「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」のコラボ作品まで掲載しています。
ふたりとも「りぼん」で浮いている独特の作風を持った作家同士という事もあり、大親友になったようです。
ふたりの仲がよく、かつ担当者も同じ宮永正隆さんだったからできたことだったのでしょう。
しかし……。
さくらももこさんは、宮永正隆さんを巡って、岡田あーみんさんと三角関係になってしまったのです。
もともと、宮永正隆さんは岡田あーみんさんと恋仲だったようなのですが、当時売れに売れていたさくらももこさんが「宮永さんと結婚できなきゃ連載やめる!!!」とダダをこねました。
ドル箱連載を失ったら困る、カネの論理がのしかかった編集部の圧力により、宮永正隆さんは「社命」で無理やりさくらももこさんと結婚せざるを得なかったという都市伝説があります。
すごいな集英社。カネのためなら社員ひとりの人生なんてどーでもいいんだろうな。
つまり、さくらももこさんは、親友の岡田あーみんさんから彼氏を奪い、略奪婚をしたということになります。
舞い上がってしまっていたのかもしれませんね。
失意の岡田あーみんさんは泣く泣く引き下がるを得なくなり、ふたりの友情は破綻したらしいです。
岡田あーみんさんはその後も非常に魅力的な作品を描き続けますが、国民的認知度にまで高まった「ちびまる子ちゃん」にかなうはずもなく、1996年頃には漫画家を辞めてしまいます。
故郷の沖縄に戻って結婚し、和菓子屋か漬物屋かは定かではありませんが、お嫁に行って元気に暮らしているようです。
離婚の理由は宮永正隆さんの浮気
I am very saddened by the death of ちびまる子ちゃんChibimaruko !Her work accompanied me to grow up and chose a piece of my work in September 2016 to express her commemoration. pic.twitter.com/8lEIbcKQF4
— pei wen wu (@peiwenwuart) 2018年8月27日
1994年に長男となる男児を一人出産していますが、離婚しました。
原因は、宮永正隆さんの浮気や亭主関白ぶり。結婚してから仕事も家庭内でもすべてのことを仕切り、細かい口出しをしたり、ダメ出しも多く、とても息苦しかったようです。
さらに毎晩のように高級スナックで豪遊し、金遣いも荒く、女性関係もひどかったことが、当時の週刊誌で書かれていたと思います。
しかし、岡田あーみんさんとのエピソードを勘案すれば、宮永正隆さんのこういう態度も、理解できないものでもありません。
だって、最初から愛のない結婚だったというわけですものね。
宮永さんは仕事のために自分の幸せをあきらめたのですから、「ちびまる子ちゃん」には絶対に成功してもらわないと割に合わない……。
そんな復讐心のようなものもあったんじゃないかなあ、と思います。
他にも、なにかのエッセイの中で、引越しの途中で宮永さんの体調が悪くなりさくらさんひとりで荷物を片付けたとか、
宮永さんのビートルズ好きが高じてインドに行って夕陽に向かって叫んでドン引いたとか……。
読んでいて、なんだか変だな、無理してるな、価値観が合わなそうだなあ、という印象はありました。
価値観が合わない結婚を継続するのって疲れますよね。こういうことの積み重ねが離婚に至ったのではないでしょうか。
さくらももこさんも、すでに相当の収入はあったでしょうし、子供一人育てるぶんにはまったく困らなかったはず。
1989~98年の間の、9年間の結婚生活。これは長かったのでしょうか短かったのでしょうか。
さくらももこさんは、離婚後も精力的に仕事をこなし、「コジコジ」を発表し、「富士山」という完全オリジナル雑誌を発行しています。
その後、2003年にイラストレーターのうんのさしみさんと再婚しました。
彼との間には次男がいるらしく、未確認ですが「ゆうひ」君というそうです。
つまり、宮永さんとの間に生まれた長男とは異父弟になりますね。
再婚後、海外旅行にもたくさん行き、飛行機はファーストクラスだったそうですから、経済的な面については心配はありませんね。
まとめ
さくらさんの通夜・告別式は遺族の意向により親族・近親者のみで執り行われ、式事一切が終わるまで訃報は控えられ、27日に報告されました。
再婚していますので、雰囲気がいろいろ難しかったかもしれませんね^^;。
さくらももこさんと宮永正隆さんとの一人息子の名前は「陽一郎」君で、今は24歳くらいです。
さくらももこさんと親子共作による絵本+エッセイ『おばけの手』を発表(長男のペンネームはさくらめろん)していますが、このまま「さくらプロダクション」を継ぐのでしょうか。
アニメ「ちびまる子ちゃん」もこのまま継続されるようですので、できればお母さんの作品を長く生かしてほしいと思います。
それにしても大きな仕事をしていった方だと思います。
心からご冥福をお祈りします。
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