11月22日放送の「リーガルV」に、寛一郎(かんいちろう)さんが出演します!
このドラマに出演する役者さんはみんなすごいのですが、寛一郎さんの場合、特筆すべきはその豪華なバックホーン!
お父さんは俳優の佐藤浩市さん、おじいさんは大俳優の三國連太郎さん!
デビューは2年前の年末でしたが、この頃、マスコミはどこも注目していませんでした。
なぜなら、父親から本当に深い深い愛情を受けている人だからです。
え、どういうことかって??
まさに父と子の理想のあり方を体現している、寛一郎さんについて見ていきましょー!
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寛一郎(かんいちろう)さんのプロフィールは?
まずは経歴を確認。
本 名 | 佐藤 寛一郎(さとう かんいちろう) |
---|---|
生年月日 | 1996年8月16日(2018年で22歳) |
出生地 | 東京都世田谷区 |
身 長 | 181 cm |
高 校 | 成城学園中学校・高等学校 (偏差値64) |
家 族 | 父:佐藤浩市 母:広田亜矢子 祖父:三國連太郎 |
血液型 | A型 |
事務所 | T-artist |
芸能人御用達の成城学園中学校・高校を卒業しています。
17歳の祖父の葬儀の時に、映画のオファーをすでにもらっていました。
もともと寛一郎さんは音楽に興味がありましたが、スカウトされてはじめて「俳優」という職業を考えるようになったそう。
もともと、父親の佐藤浩市さんには小さい頃から仕事場に連れていってもらっていたので、「絶対に役者にはなりたくない」とは思っていたけれど、自分にとって一番近い仕事だったこともまた事実。
父親や祖父が出演した映画を、役者になる立場から見て、祖父と父の偉大さを改めて感じ、人の心を動かすことができる俳優を目指すようになりました。
高校卒業後、演技の勉強のためにロサンゼルスに短期留学して、ひそやかに準備を進めてます。
寛一郎さんが始めて2017年公開の映画『心が叫びたがってるんだ』からでしたが、本格的な俳優デビューは2018年公開の映画『菊とギロチン』。
この時点で、寛一郎さんは全く無名の若手俳優でした。
映画関係者の全員が、徹底して貫一郎さんの出自を隠していたからです。
どこからかマスコミが嗅ぎつけるまでしばらくの間、寛一郎さんが何者であるかは誰もわからなかったのです。
現在は、とにかく演技のことで頭がいっぱいで、恋愛や恋人のことなど眼中にないようです。
明石家さんまと仲がいい
寛一郎さんにとっての「父親がわり」は、意外にも明石家さんまさん。
小さい頃は役者となることを拒んでいた寛一郎さんでしたが、父親の友人である明石家さんまさんとは幼い頃から何度も一緒にオーストラリアを旅行し、父親に話せないことでも、何でも相談できる関係でした。
2016年の『さんまのまんま』に、ゲストとして出演したこともあります。
いろいろ相談に乗ってくれていたのでしょうね。
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寛一郎さんの家族は?
寛一郎さん自身は、まだ22歳ということもあって、そんなに大きな役は回ってきません。
しかし、その父系の系譜に、ものすごい物語を背負っている人でした。
寛一郎さんの祖父は三國連太郎
三國連太郎さんといえば、なんてったって『飢餓海峡』の主役・樽見京一郎(犬飼多吉)、元祖『犬神家の一族』の諸悪の根源・犬神佐兵衛、『マルサの女2』の地上げ屋のドン……といえば、どれかひとつは心当たりがある方は多いのではないでしょうか。
昭和を代表する大大大大大俳優です。
三國連太郎さんは4回結婚しており、佐藤浩市さんは、その3番目の奥さんの長男でした。
佐藤浩市さんが小学6年生だった時、三國連太郎さんは次の奥さんと結婚するため、「ここでお前と別れる。一切関係を断つ、今日から他人だ。これからひとりで一生懸命生きていってほしい」と告げました。
小学校6年生って、まだ12歳ですよ、どんな気持ちだったのでしょうか(さすがに養育費は出していたでしょうが……)。
佐藤浩市さんのお母さんはまもなく内縁の夫ができたため、実家に居場所をなくした浩市さんは高校2年生で家を出て、喫茶店でアルバイトをしながら大学に進学しました。
その後、父と同じ俳優になることを決めた浩市さんは、三國連太郎さん駅のホームを呼び出し、「役者をやりたい」と決意を告げました。
しかし、三國さんは「そうか」という一言だけ残してその場を立ち去り、それからも、自分と同じ道を歩む息子を手助けすることは、一切なかったといいます。
お父さんは佐藤浩市さん
最近では『64-ロクヨン-』で、2016年度最優秀主演男優賞を受賞しました。
日本を代表する名俳優です。
12歳の自分を捨てた父親三國連太郎さんとは、2000年代に入る頃には徐々に親子関係が改善していき、自然に和解しました。
※しかし、息子と和解したあとの三國さんは、孫の寛一郎さんについては溺愛しまくったとか(笑)。寛一郎さんが「かすがい」になって、祖父と父は和解したそうです。
芸能界はもちろん歌舞伎界にも顔が広い佐藤浩市さん。
しかし浩市さんは、寛一郎さんの芸能界デビューに関しては、一切手を貸していません。
貫一郎さんを子役にすることにも反対で、「親が俳優だからといって子供に同じ仕事を押し付けたくない」と言っています。
芸能界の厳しさを痛いほど知っているし、「役者の子が役者を目指す」ことがどんな重圧を背負うことかを、三國連太郎という大俳優を父に持った浩市さんなりの親心なのだと思います。
佐藤浩市さん自身、「三國さんに突き放されたからこそ、ここまで来ることができた」ということを誰よりもわかっています。
だから、あえて寛一郎さんを突き放すことを選択しました。
息子に対して、“自分の力で上ってこい”という厳しくも愛情にあふれたメッセージなのです、今の時代において、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という故事にたとえられるほどに深い愛情を注ぐ父親が、果たしてどれくらいいるでしょうか。
お母さんは舞台俳優の広田亜矢子さん
佐藤浩市さんは、1986年にモデルの女性と結婚しましたが、不倫して3年後に離婚。
その後、舞台俳優だった広田亜矢子さにんと結婚し、寛一郎さんをもうけました。
前妻との間に子供がひとりいることから、寛一郎さんの異母兄弟にあたります。
浩市さんはプライベートを明かさない人なのでよくわかりませんが、広田亜矢子さんは現在は一般人であり、義理のお母さんをよくお世話していたそうです。
まとめ:親子3代にわたる長い物語を受け継ぐ寛一郎さん
佐藤浩市さんが12歳だった約45年前、三國連太郎さんから受け取ったバトンが、今、寛一郎さんの手の中にあるのです。
おそらく、佐藤浩市さんは陰ながら見守っていると思います。
しかし、親の七光りを上手に利用するタレントさんが多い中、貫一郎さんは父親の背中を追って、ガチのガチンコで自分の実力のみを頼りに、今まさに芸能界に漕ぎ出したところです。
寛一郎さんは本当に深い愛情を父親から注がれています。
これからどのように化けるか、本当に楽しみな俳優さんです、今から注目しましょう!!
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