平成の上皇陛下の即位式はどんなだったっけ?30年ひと昔

今上天皇が、平成31(2019)年4月30日をもって、いよいよ退位されます。

30年前!

私はリアルタイムで昭和天皇の崩御の報道や、今上陛下の即位式をテレビで視聴していました。

いや、時が経つのは早い早い^^;。

30年前の私はまだ小学生で、あまり物事の意味がよくわからないまま、日本中を覆い尽くした一大式典をぼんやりと眺めていました。

ここにきて当時よりずっと皇室に関心を持って、そこそこの知識がある状態で、今度は皇太子徳仁親王の即位式でふたたび同じ式典を見ることができます。

30年前の今上陛下の即位式はどんな様子だったかを見てみましょう。

↓↓↓徳仁親王の即位式と比較してみてくださいね!

【参考】

皇太子さまのスケジュール儀式一覧 即位の日は令和元年5月1日!

皇太子殿下の人柄は怖い?令和の元号に隠された大エンペラーの片鱗

天皇陛下退位 退位礼正殿の儀 長いあいだお疲れ様でした!




剣璽等承継の儀(昭和64年1月7日10:00~)

1989年1月7日、昭和天皇が十二指腸部の腺がんのため午前6時33分、吹上御所にて崩御されました。

その3時間半後の午前10時、宮殿「松の間」にて「剣璽等承継の儀」が行われ、皇太子明仁親王が新天皇に即位。

皇太子が皇位を継承するには、まずは皇位の象徴である「三種の神器」を受け継ぐ必要があります。

三種の神器のうち「鏡」を除いた「剣」「曲玉」、天皇の印章「御璽」と「国璽」を引き継ぐ儀式で、東宮侍従が受け取る決まりです。

<宮内庁HPより>

明治末期に制定され、現憲法施行で廃止になった「登極令」にならい、皇族で立ち会うのは成年の男子だけで、女性皇族は出席できません。

政府は、同日午後に新元号を決める臨時の全閣議を開き、午後2時37分、小渕恵三官房長官が「平成」と発表しました。

す、すごいスケジュールです…皇位の空白を作るわけにはいかなかったんでしょう。

昭和天皇、小さい頃はよくわからなかったけれど、時間がてたば立つほど偉大な御方だったことがわかって、もっと長生きしていただきたかったなあ…(´;ω;`)。

1月7日は土曜日で、当時は起きたらこれらの儀式は終わってたような気がします^^;。

即位後朝見の儀(平成元年1月9日11:10~)

場  所:皇居正殿・松の間

一般公開:なし

剣璽等承継の儀によって皇位継承が済むと、即位した天皇陛下が、三権の長ら国民の代表者と初めて面会する儀式「即位後朝見の儀」が行われます。

上皇がご即位された時は、平成元年1月7日に剣璽等承継の儀、同月9日に即位後朝見の儀が行われました。

昭和天皇崩御による即位なので喪中のため、美智子さまたち女性皇族は全員、喪服を着用されていました。

↑↑↑

左側にちゅうもーく! 皇太子徳仁親王、令和のエンペラーです!

この30年後、安倍首相を永久に殺すビームを搭載した冠「令和」をいただく今上陛下!(もうすっかりファンw)

話は脱線しますが皇太子徳仁親王はたしかに現代的美形ではありませんが、これは「歴史的美形」というのですよ!

若い女性は、小室圭なんてチャラいカルい「現代的美形」を選択してはいけませんよ!

徳仁親王のような、教養と覚悟がある「歴史的美形」を伴侶に選びましょう!

即位した天皇陛下は、この儀式で、次のように日本と世界の平和を願うお言葉を述べられました。

大行天皇の崩御は、誠に哀痛の極みでありますが、日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました。

深い悲しみのうちにあって、身に負った大任を思い、心自ら粛然たるを覚えます。

顧みれば、大行天皇には、御在位60有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され、激動の時代にあって、常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ、今日、我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し、平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。

ここに、皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません。

斎田点定の儀(平成2年2月)

場  所:宮中三殿

一般公開:なし

<神社庁HPより>

「さいでんてんじょうのぎ」と読みます。

新天皇が、11月に行う大嘗祭のための準備として行われる、大嘗祭で供えるための新米を選ぶ亀甲占いの儀式。

この占いの儀式が、斎田点定の儀。

平成の折には、即位が1月だったため次の稲穂が実る時期まで待たなければならず、翌年2月に行われました。

悠紀地方は秋田県、主基地方は大分県が選定されました。

使われる「火きり木」に、御神木の上溝桜を収めたのは、奈良県の住馬大社。

奈良県橿原市南浦町の波々迦(ははか)の木が献上され、令和の即位の儀式でも同じ場所の木が使われます。

ちなみに24x15cmの「駒形」取るために、直径1mのアオウミガメの甲羅が使われました。

ひええ^^;。

スポンサーリンク



斎田抜穂の儀(平成2年9月・10月)

場  所:悠紀地方(9月28日)・主基地方(10月10日)

一般公開:あり

「さいでんぬいぼのぎ」と読みます。

悠紀田と主基田で実った稲穂を収穫する儀式。

「抜穂使(ぬいぼし)」が、それぞれの田んぼから稲穂を収穫し、感謝の祝詞をとなえ、「悠紀殿」「主基殿」という神殿に奉納されます。

この神殿は、平成の時には皇居の東御苑に、大嘗宮のひとつとして造営されました。

<神社庁HPより>

賢所に期日奉告の儀(平成2年1月23日)

即位礼、大嘗祭の期日が正式に決まると、天皇陛下はみずから宮中の賢所でその旨を御奉告されます。

天皇陛下は、天皇にのみ使用される黄櫨染御袍こうろぜんのごほう御束帯おんそくたいをお召しになられ、承継したばかりの剣璽とともに進まれます。

<神社庁HPより>

なかなか渋い色なんですね。

賢所大前の儀(平成2年11月12日)

場  所:皇居

一般公開:なし

「かしこどころおおまえのぎ」と読みます。

<神社庁HPより>

新天皇・新皇后ともに純白の純白の御束帯(ごそくたい)で行われます。

新天皇が賢所の「八咫鏡」(複製)の前において行われる、神前における即位式。

八咫鏡(複製)の前で文を読み上げます。

宮中三殿では新帝が御位につかれた旨を天照大御神(賢所)、歴代天皇と皇族の御霊(皇霊殿)、天神地祇(神殿)に奉告されます。

即位礼正殿の儀(平成2年11月12日)

はい、新天皇即位のハイライト!

参列者約2500人、正殿前にはフル装束に身を固め、弓矢たちを手にした威儀物捧持者らがおごそかにずらりと並びます。

↓↓↓エンペラーっ!!

正殿内部の中央には、天皇陛下の御座所である「高御座(たかみくら)」、皇后陛下の御座所である「御帳台(みちょうだい)」が置かれ、その前に古装束姿の皇族方や三権の長らが列席。

高御座は大正天皇の大から使われてきたもので、普段は京都御座所の紫宸殿に安置されています。

トラック50台くらい使って自衛隊がヘリを飛ばしてテロを警戒しながら東京に運ぶんですって。すごいわあ……。

↓↓↓「玉座」っていうとヨーロッパふうのスタイルを想像してしまいがちですが、これが日本スタイルの玉座。

「そくいれいせいでんのぎ」と読みます。

新天皇が国内外に宣明して祝福を受ける儀式で、ヨーロッパふうに言うと「戴冠式」にあたり、盛大に行われます。

一般に「即位の礼」とは、「賢所大前の儀」から「饗宴の儀」までの一連の儀式の総称です。

この中で一番重要な儀式が、この即位礼正殿の儀です。

正殿前には古装束に身を固め、弓や太刀を装備した威儀物捧持者(いぎぶつほうじしゃ)がずらりと並びます。

内外の賓客が招かれ、新天皇・新皇后両陛下が高御座と御帳台にそれぞれ上られ、お言葉を読み上げられます。

<ウィキペディアより>

祝賀御列の儀(平成2年11月12日)

場  所:皇居~東宮御所

一般公開:あり

「しゅくがおんれつのぎ」と読みます。

新天皇が国民の祝福を受ける、要するにオープンカーによるパレードです。

現在の御料車は、トヨタのセンチュリーですが、当時の御料車はイギリスのロールスロイス。

このロールスロイスの御料車は現天皇陛下および雅子皇后の御成婚パレードにも使用されましたが、年式が古く修理も困難なため、平成19(2007)年に廃車になってます。

皇居の南車寄から出発し、赤坂御所(今の東宮御所)まで約5キロ弱の距離を、30分かけてオープンカーでパレードしました。

けっこう短い時間だったんですね。

昭和天皇までの即位礼は京都で行われていましたが、上皇の即位礼は初めて東京で行われ、沿道には約7万人もの国民がつめかけました。

饗宴の儀(平成2年11月12日から4日間)

場  所:皇居・豊明殿および連翠

一般公開:なし

祝賀パレードが終わった当日の夜から、国内外の賓客を招いてお祝いです。

上皇・上皇后が「しんどかった」と振り返るほどの過密スケジュールで、出席者は約3400人。

内外の賓客に即位を披露し、これで一連の「即位の儀」が終わります。

スポンサーリンク



大嘗祭(平成2年11月22日)

場  所:皇居・東御苑

一般公開:なし

「だいじょうさい」と読み、正式には「大嘗宮の儀(だいじょうぐうのぎ)」。

新天皇が新米を神に捧げ、国家の安寧と繁栄を祈る、古式ゆかしい秘儀です。

平成のときは大小37の建物を回廊で結んだ、総ひのきづくりの壮大な神殿が造営されました。

<神社庁HPより>

この大嘗祭の秘儀は天皇だけが行うもので、詳細はいまだ不明のままです。

学者の推測や妄想でいろいろ語られていますが、真相は謎のまま(笑)の謎めいた儀式。

神座に新米などを供え、五穀豊穣を感謝しつつ、国家国民の安寧を願う祝詞を読み上げ、みずから新米を食べる「神人共食(しんじんきょうしょく)」の内容ではないかと言われています。

歴史オタにはぜひこの一冊を!

いろいろ批判はある方ですが、歴史解明には想像力や妄想力も必要です。視点が非常にユニークで、意外な点をついてくれます。

↓↓↓

この大嘗祭をもって、5月から続いた即位をめぐる一連の儀式は終了します。

立太子宣明の儀(平成3年2月23日)

場  所:皇居正殿・松の間

一般公開:なし

「りっこうしせんめいのぎ」と読みます。

平成の折は、現皇太子さまは皇太子にのみ許された色の束帯「黄丹袍(おうにほう)」を着用して「立太子宣明の儀」に臨みました。

超かっこいい。

この日は徳仁親王のお誕生日ですね。

天皇陛下の装束いろいろ

まとめ:30年ひと昔

ほんと、時の経つのは早いもの。

天皇陛下を続けるのも楽じゃなく、ほんと激務につづく激務で、よく今までご健康を保っていられたと思います。

美智子皇后陛下をはじめとしたご家族はもちろん、側近の方々、さまざまなスタッフたちが天皇陛下を精一杯お支えしてきた結果でしょう。

本当に、お疲れ様でございました……(´;ω;`)。

仙洞御所でごゆっくりご静養ください。

徳仁親王も、父の上皇様がまだご存命のうちに即位できて、心細くないことは良かったことと思います。

しかしそれにしても徳仁親王、もう59歳ですよ!

皇室典範で決まっていることですし言いづらいことですが、もーちょっとはやく代替わりできなかったんだろうか^^;。

【参考】

皇太子さまのスケジュール儀式一覧 即位の日は令和元年5月1日!

皇太子殿下の人柄は怖い?令和の元号に隠された大エンペラーの片鱗

天皇陛下退位 退位礼正殿の儀 長いあいだお疲れ様でした!

スポンサーリンク



スポンサーリンク





シェアする

フォローする