筆談ホステス斉藤里恵の現在は 旦那と子供や名言、答弁の方法は?

筆談ホステスとして有名になった斉藤里恵さん、現在はどのような活動をされているのでしょうか。

彼女は前東京都北区議で、2019年の夏の参院選比例代表選挙で、立憲民主党から立候補します。

「バリアフリー社会」「女性の社会進出」「少子化、育児」に関する政策に取り組むとのこと。

難聴者であるにもかかわらず、水商売の世界でトップにまでのぼりつめ、その著書で全国的に注目を浴びるようになった彼女の経歴とは、どのようなものでしょうか。

【参考】

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筆談ホステス・斉藤里恵のプロフィール

まずは、基本的な経歴を確認。

誕 生 1984年2月3日(2019年で35歳)
出身地 青森県青森市油川
学 歴 東奥学園高等学校 中退
(偏差値38)

元ホステス・斉藤里恵さんは1984年、青森県青森市油川に生まれました。

残念なことに、髄膜炎の後遺症により1歳10カ月で聴力を失います。

将来を心配した母親は彼女のために、幼い時から手話と読唇術を訓練させたそうです。

高校時代には厳し過ぎる母のしつけのせいもあってか夜遊びが増え、結果的に高校を2年で中退することに。

万引きの常習犯で、「青森一の不良娘」と呼ばれたそうな。

万引きした洋品店で誘われて働いたことをきっかけに接客業の楽しさを知り、クラブのママと知り合ったことをきっかけに、19歳からクラブホステスとして働き始めました。

2007年、23歳の時に単身で上京し、銀座の高級クラブに入店。

難聴というハンディキャップがありながらの接客でしたが、彼女は「筆談」というアナログな手段を武器に、クラブでのナンバーワンの地位を手に入れます。

ホステスとして働き始めると、この仕事は「コミュニケーションそのものが仕事である」ということを心から実感したそうです。


そのため彼女は必死でメモを取ることで、お客さんとのコミュニケーションを心掛けていきました。

複数での会話など苦労した点も多かったようですが、逆に文字という手段を使うことで、より親密なコミュニケーションを取ることもできたそうです。

確かに書いて伝えるということは時間がかかる分だけ、より丁寧な伝達手段であるともいえます。

また1つのメモを覗きこみながらの筆談方法は、よりお客さんとの親密度が増すものだったともいえるでしょう。

そんな努力と美貌が、彼女が銀座の「クラブM」で売れっ子になった理由であり、その結果「筆談ホステス」の名を世間に広めることになったのです。

完全に聴力を失っていたわけではない?

当時、斉藤さんが働いていた店のオーナーがテレビで暴露した内容によると、斉藤さんは補聴器を付ければ相手の声が聞こえるし、ゆっくりであれば喋れるそうです。

このため、普段からずっと筆談を使っていたわけではなく、筆談はどうしても伝わらないときの補助的手段で、ゆっくりめではあるものの、ふつうに話して接客をしていました。

バラエティー番組側でも視聴率を取るため、ある程度脚色したというのあるとは思いますけど、『筆談』を武器にして、銀座のお客様のハートを掴むということはまずありえないでしょう。

『筆談ホステス』の接客の部分に関する記述は、脚色というより創作であり、やらせであることを暴露しています。

まあ確かに、完全な聾唖の人を、接客をするお店(しかも銀座の)が雇うとは思いません。

しかし斉藤里恵さんは、「筆談」と「接客」の組み合わせを強調したたった1冊の本で、社会現象を巻き起こし、一躍知名度を上げました。

斉藤里恵の旦那と子供は?

ところが、彼女自身一生ホステスを続けることにはやはり不安がありました。

一流のホステスになることを目標にしてきましたが、「自分自身がママとして店を経営する」というような具体的な夢を描くことまではできなかったのです。

そんな時に、健常者と障害者とが助け合いながら働く企業の話を耳にし、里恵さん自身ももそのような場の実現に力をそそぎたいと考えるようになりました。

しかし、そのような中で2010年、25歳で妊娠していることが判明。

しかし、当時すでに相手とは別れていたため、夫を持たずにそのままシングルマザーとしての出産、子育てを決意。

お相手は、とても優しい40代の男性だったそうです。

気持ちのすれ違いが原因で別れてしまった後の妊娠でした。

おめでたを別れた男性に話したところ、「一緒に育てよう」と言ってくれたそうですが、斉藤里恵さんの気持ちは変わらず、2010年6月にハワイで「栄万(えま)ちゃん」と名付けた女の子を、一人で出産しました。

ハワイで子供を産んだのは、子どもが成長した際の国籍選択の可能性も考えてのことです。

……「筆談ホステス」で有名になってから、未婚の母になったんですね……。

現在は、母ひとり子ひとりのシングルマザーです。

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31歳で政界へチャレンジ

ホステスをやめ、シングルマザーとして子供の育児に専念する日々を送っていた里恵さんでしたが、ふいに政界へのチャレンジという思わぬ誘いが舞い込みます。

悩んだ末に「多くの障害を持つ方たちの代弁者として世の中に働きかけたい、その手段として政治の道というのもあるのではないか?」という思いを強くし、2015年、東京都北区議会議員選挙への立候補を決意。

当時の取材に応えて、彼女は

「私自身が聴覚障害者であり、女性であり、母親でもあります。議会から本当の障害者へのバリアフリーが起こること自体にも大きな意義があると思います」

と話しています。

結果は過去最多の6630票を獲得し、トップ当選。

2015年5月1日に都議会議員に就任しました。

そして、2019年4月に行われた北区議会議員選挙では、自身の出馬を見送り、4年の任期満了で退任。

その後、同年月7日には夏の第25回参議院議員通常選挙に立憲民主党からの公認で出馬の意向を固めています。

国政挑戦を狙っていたともいわれる乙武洋匡氏も障害者ですが、彼女も障害者として、またシングルマザーとして国政にチャレンジします。

目に見える大きな障害を持った乙武氏とは異なり、「難聴」という一見見た目ではわからない障害を持つ斉藤里恵さん。

見た目でわからないということでの苦労も多く、これまでの道筋は決して平坦なものではなかったはずです。

たとえば、上京して間もない頃彼女がタクシーに乗ったら、車で10分かからない道なのに30分以上もかかったことがありました。

その時運転手さんから「着いたから声をかけたが反応がないのでグルグル回ってた」といわれてしまったそうです。

メモで行先を渡しても、聴覚障害者とわかってもらえず悲しかったということです。

しかし、そんなハンディキャップにも負けることなく、欠点を強みに変えて努力してきた彼女には、政治家として果たしたい強い思いがあります。

政治家になったら「心のバリアフリー」を実現したいと考えています。障害を持つ人とそうでない人が一緒に暮らす社会は、想像力とちょっとした気遣いがあれば実現できるんです。

障害を持った人にとっての不便や危険を気遣える社会は、健常者にとっても住みやすい豊かな社会であるといえるでしょう。

これからも様々な分野にチャレンジする彼女をあたたかく見守ることのできる社会でありたいものです。

どうやって答弁するの?


完全な聾唖ではないとはいえ、やはり聞くこと話すことに不自由があるのは確かな斉藤里恵さん。

議員というのは質問して答弁してという、喧々諤々、丁々発止なディベートがお仕事です。

東京都区議としてこの問題をどうクリアしているかというと、斉藤里恵さんは「音声読み上げソフト」を使っているとのこと。

議会で質問するときは、原稿データを音声ソフトに読み込ませて皆さんに聞いてもらっているけれど、予定した質問しかできないことが難点だそうです。

答弁者の声は、ときどき変換ミスがあるものの、音声ソフトを介して文字になります。

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筆談ホステスの名言は?

元ホステスの斉藤さんは、名言をタイミング良くお客さんに使っていたそうです。なかなか面白いので、メモしてみました。

・恋は下に心があるから下心、愛は真ん中に心があるから真心。

・難題の無い人生は、“無難”な人生。難題の有る人生は、“有難い”人生。

・隣に誰かがいるだけで、“憂い”は“優しさ”に変わります。

・“涙”を止めれば、また笑顔に“戻”れます。 “泣く”のを止めれば、“立ち”あがって前に進めます。

・チャンスは“貯蓄”できないから、“努力する”か“諦める”かしかない。

・辛いは幸せの途中。

・失うことで 人は大きくなる。

・過去と他人は変えられません、変えられるのは自分と“未来”だけ。

・星という字は、日が生まれると書きます。辛い時は“星”を見上げてください。きっと明日が生まれます。そして“明日”は、明るい日に違いありません。

・地球は英語でEARTH、 最初のEはEDEN、 最後のHはHEAVEN。2つをつなぐのはART。

ツイッター民の反応は?

かなり辛口めの意見が目立つようです。

まとめ:言い方悪いけど筆談ホステスという肩書きを取ったら何が残るんだろう…

不倫した今井絵理子議員は、少なくとも自分の才能や努力で築いた知名度がベースでしたけどねえ……。

まず本当に「筆談ホステス」だったのかという最初の段階から盛っているのだとしたら、その後のことも信用されないと思うのですが。

んー個人的には、確かにホステスは賢くないと長く続けられないし、売れないのは事実だけど、国政の賢いとはまったく別だと思うのです。

ホステスの賢いと国政じゃレベルが違いすぎます。

さらにいえば、区の議員と国会議員も、はるかにレベルが違いすぎます。

有事の時や緊急性のある事案、秘密裏に進めなければならないような国際的な案件とか、この人の耳の代わりになってくれる、そうとう信頼できるプロフェッショナルな手話通訳を、24時間体制で入れなければなりません。

どこで情報が漏れるかもわかりません。

斉藤里恵さんに、ロシアとの関係を友好に保ちつつ、北方領土を返還できる力があるか?と考えると、どうかと思うのです、国政とはそういうものです。

障害者だから当選って感じにはならず、政策で勝負してほしい。

単なる客寄せパンダではなく、障害者ならではの事をしっかり発言していってくれることを望みます。

ただきちんと話せないと、国会で他の性根の腐りきったジジィ議員相手にやり合うことが出来ないと思うのですよ。

この人の努力はすごいと思いますが、多くの人と同じ昼の仕事をやってから政界に出て欲しいという気持ちもあります。

女を使わない土俵でね 。

学歴をとやかく言うつもりはないですが、若い頃からずっと30歳までホステスという狭い世界で生きてきて、知名度を利用して一気に政治の世界に入った斉藤里恵さん。

なにか実績ありましたっけ?

選挙に落選した元候補が、選挙直後にハローワークに行った記事が記憶に残ってますが、銀座ホステスを退職した後の失業対策だったのでは……知名度は大きいですし。

ところで斉藤里恵さんは、乙武洋匡さんが前回の参院選出馬時に(結果として出馬断念)、秘書を強引に引き抜かれています。

この男性秘書は、斉藤里恵さんの耳や口の代わりにいろいろ頑張ってくれていましたが、乙武洋匡さんの不倫旅行にもダミーの男性として同行していた人物で、斉藤さんは「乙武氏を絶対に許せない」と激怒していたそうです。

障害者界隈に、いったいどんな闇があるのでしょうか^^;。

【参考】

乙武洋匡はなぜモテる?現在はハーフ美人と再婚準備 嫁と子供と母親も

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