沢田研二は田中裕子が離婚のきっかけ!!昭和を揺るがせた不倫略奪愛

10月17日のさいたまスーパーアリーナで予定されていた沢田研二のコンサートが突然中止になりました。

前代未聞の開演約40分前の土壇場の発表だったので、ファンは怒り心頭。

沢田研二さんは、「ジュリー」というあだ名で親しまれ、全盛期の1970年カら80年代前半は若い女性から絶大な支持を得ていた、昭和期を代表する、疑いようなしの日本の一大スーパーヒーローでした。

一時代を代表した歌手・沢田研二さんの人気が失速した原因が、「不倫と離婚」です。

今でこそ芸能人の恋愛や結婚は自由ですが、30年前はそれらは御法度。

恋人や配偶者がいても、絶対に秘密にしておかなければならない時代でした。

それくらい、一般大衆やファンは、自分たちが支持するアイドルに異性の影がちらつくのを許せなかったのです。

沢田研二さんの結婚と離婚について調べてみました。

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沢田研二の最初の結婚相手は伊藤エミ

簡単に沢田研二さんの経歴を確認。

本  名:澤田 研二
別  名:ジュリー
生年月日:1948年6月25日(2018年で70歳)
出 身 地 :鳥取県鳥取市⇒京都府京都市
最終学歴:京都府立鴨沂高等学校中退

「ジュリー」という別名は、沢田さん本人が女優のジュリー・アンドリュースの大ファンだったことに由来します。

彼女はディズニー史上、一番の興行成績をあげた『メリー・ポピンズ』の主役をつとめた女優です。

沢田研二さんは27歳の時、1975年に『ザ・ピーナッツ』の7歳年上の伊藤エミさんと結婚しました。

ザ・ピーナッツもまた、一時代を築いた大スターで、実の双子姉妹のユニットでした。

沢田研二さんにとっては同じ事務所である渡辺プロダクションの大先輩で、当時はナベプロのピーナッツと恋人になるというのはそれだけで恐れ多い、ジュリーよりも格上の女性。

長いあいだ噂はされていましたが、この時沢田研二さんは独立したばかりで、今年こそ結婚するのか、結婚したらピーナッツは解散するのかという話題が、なつかしの「明星」や「平凡」でいつも記事になっていました。

エミさんが芸能界をスパっと辞めたのは、ジュリーから『歌手を辞めてほしい』と言われたのがキッカケですし、その頃は毎週雑誌に載るくらい噂の2人だったので、愛し合っていたのだと思います。

さらに、沢田研二はミックジャガーに憧れていました。

ミックジャガーは美人の年上の双子の両方とと付き合っていたことがあるので、憧れからそれを真似したのでは??とも一部で囁かれています。

なんだかなーって話ですね^^;。

エミさんは男の子を授かりましたが、12年の結婚生活を経て1987年に離婚後、女手一つで長男を育てました。

大スターだったザ・ピーナツ時代から言われていたことですが、とても謙虚で奥ゆかしい方だったと、皆口をそろえています。

で、離婚の原因なのですが、沢田研二さんの不倫で、相手は、映画『男はつらいよ』で共演した田中裕子さんです。

エミさんは、沢田研二さんを愛するがゆえに、離婚届に判を押したといいます。

愛する人の望むようにしてやるのが本当の愛情なんだという、きれいな気持ちで決心したんだと。

長男の親権はエミさんが持ち、自宅やテニスコート、伊豆の別荘などの資産を含め、慰謝料は18億円にのぼったといわれています。

当時は芸能人に対する恋愛・結婚に対する目は厳しかったですが、有責配偶者の不貞に対してはそれ以上に厳しかったのです。

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沢田研二の再婚相手は田中裕子

沢田研二さんは7歳年下の田中裕子と再婚しました。

田中裕子さんは伝説のNHK朝ドラ「おしん」の主人公・田倉しん役の女優です。

もともと面食いではないのでしょう、自分がキレイなので、あまり美しくない女性に惹かれたのかも知れません。

沢田さんと実際に会う前から、「この人、僕のタイプ」と思っていたようです。

ちなみに、沢田研二さんは今でこそカーネルサンダースのおじいちゃんですが、若い頃は超ド級のハンサムでした。↓↓↓

<出典:ヤフーニュース>

沢田さんをエミさんから不倫略奪婚した田中裕子さんは、映画「男はつらいよ」で共演し、ひそかに付き合うようになったのです。

それ以降、沢田さんは田中裕子さんを自分の番組のゲストに呼ぶなどして、田中裕子さんとの接点を作ろうとしていました。

誰が見ても「ああ沢田さんは、田中さんにベタ惚れなんだなあ」という態度だったそうです。

沢田さんは田中さんのマンションに足繁く通うようになり、田中さんは本妻のエミさんに対して挑戦するかのように「必ず沢田さんと一緒になる」と宣言。

朝ドラで培われたド根性なのでしょうか。おしん、強い!

田中さんももの凄いバッシングをもろともせず、婚前にデート、外出、親戚付き合いまで、時間かけてお互いの世界を行き来していました。

沢田さんも、公の場で不倫を認める発言を繰り返すようになり、離婚への決定打となっていきます。

これが人気絶頂期だった沢田研二さんが人気下降一直線、転落へのターニングポイント。

ふたりとも覚悟の上の不倫でしたが、やはり世間とファンはこれを許さず、ファンが激減、ファンクラブも解散、レギュラーだった『ザ・ベストテン』にも出演できない事態になりました。

一世を風靡した沢田さんも、いつの間にか世間から消え、鳴かず飛ばずの状態に。

テレビへの露出はほとんどなくなりましたが昔を覚えているファンはたくさんいて、地方コンサートは順調です。

沢田さんと田中さんは本気で惹かれあっていました。

先ほど述べたように、前妻のエミさんには資産のほぼすべてをケジメとして慰謝料として渡し、自分は身ひとつで田中さんのもとに行きました。

以降、2人が結婚してからは浮いた噂一つありません。

沢田さんと田中さんは、横浜市内の自宅周辺では仲むつまじい姿を時々目撃されており、現在も変わらず仲のいいおしどり夫婦です。

今も沢田さんは、車から手を振る妻に向かって、姿が見えなくなるまで両手を振り続けて送り出しており、その背中からは、長年連れ添った妻への愛情がにじみ出ているそうです。

伊藤エミさんは姓を「沢田」から変えないまま、2012年6月に亡くなっています。

まとめ:晩節くらい汚してはいけない

不倫から始まった結婚とはいえ、一途に妻を大事にする純愛を長年貫いたことは救いですが、根強く支持してくれていた7000人ものファンを前にコンサートをドタキャンなど、いくらなんでもひどいことです。

さいたまスーパーアリーナの座席は9000人で、そのうち埋まった席が7000席、やる気が削がれるのはわかりますがそれでもやるのがプロではないでしょうか。

「僕がいると収拾がつかなくなるから」とかなんとか言って、裏口から帰ったそうですが、ちゃんとファンの前で弁明すべきでした。

コソコソと逃げ、嫌な場面は全部スタッフじに押し付けておいて、会場の入りが悪いのは客の責任ではありません。

事務所スタッフなどは土下座してコンサートを実行してもらうよう懇願したのに、「僕にも意地がある」などと言って断って帰ったといいます。

その意地とやらも、せめて昔の容貌や体型を維持する努力をしていたのなら、まだサマになったのでしょうに……。

私は沢田さんの全盛期を知らない世代なので少々辛口になってしまいましたが、全盛期を40年近くすぎてなお1年中地方コンサートのスケジュールで埋まっているということは、それだけ唯一無二の存在だということです。
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