内田裕也さんと樹木希林さんの若い頃の写真も素敵だよなあ。最高にロケンロールだ。 pic.twitter.com/50Zp7xDOk7
— 片岡K (@kataoka_k) September 16, 2018
大女優の樹木希林さんがお亡くなりになりました。
樹木希林さんといえば日本が誇る大女優であり、おばあさん役がハマり役でした。
死因は全身転移によるがんと思われます。
富士フィルムのフジカラーのCMが大好きでした。
私的に希林さんの名言といえば、
「生まれ変わることがあっても、出会わないように気をつけたい。内田さんのことは全部、好きです。すべて何もかも好きです。もし、来世というものがあって、生まれ変わることがあるのなら、また巡り合うことがないように。出会わないように、気をつけたいわね」
です。
この言葉を発した理由は「彼と出会ってしまえば、また好きになって大変な人生を送ることになるから」なのだそう。
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基本的なプロフィール
本 名:内田 啓子(旧姓:中谷)
生年月日:1943年1月15日
没年月日:2018年9月15日(75歳没)
出 生 地 :東京都千代田区
配 偶 者 :岸田 森(1964年 – 1968年)
内田裕也(1973年 – )
家 族:内田也哉子(娘)・本木雅弘(娘婿)・UTA・内田伽羅
樹木希林さんは20代の頃から老人の役を演じ、出演するドラマ、映画などでは不思議なことに老け役がハマり役でしたね。
芸風は幅広く、シリアスからコメディまでこなす演技派・個性派女優でした。
社員がいると責任を感じる、という理由で事務所に所属しなかったことからマネージャーやスタイリストがいないため、ギャラもなんと自分で楽しんで交渉していました。
仕事は「話をくれた順番」と「ギャラ」を優先。それがプロであるという意識でした。
交渉次第ではタダで出たり、「そんな金額じゃセリフ忘れちゃう~★」「そんなんじゃ出られないわ~」と、お茶目に、しかししたたかに交渉をすることも。
晩年になっても精力的に女優業をこなし、最近では日本人監督作品としては1997年の今村昌平監督「うなぎ」以来21年ぶりとなる第71回カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルム・ドールを獲得した『万引き家族』に出演しています。
最後は「さよなら渓谷」でブルーリボン賞を受賞した大森立嗣監督の『日日是好日』が遺作になってしまいました。
茶道教室の先生役として出演しており、2018年10月13日公開予定です。
プライベートでは21歳の時に俳優の岸田森さん(故人)と結婚していますが、4年で離婚。
その後、1973年の30歳の時、ミュージシャンの内田祐也さんと結婚します。
この結婚生活が非常にユニークで、新婚1年半からで内田さんが離婚届を希林さんに渡しますが、希林さんはこれを役所に提出せず、1年に1度しか会わないような別居婚を続けています。
離婚時は裁判官に「あんなに嫌がっているんだから別れてあげなさいよ」とまで言われたのが、別れませんでした。すごいですね。
その後は徐々に内田さんと会う回数も増え、3年後に一人娘の内田也哉子(ややこ)さんを出産しています。
この也哉子さにんが、元ジャニーズの本木雅弘さんと結婚し、長女の伽羅(きゃら)ちゃん、長男の雅楽(うた)くん、次男の玄兎(げんと)くんを産んでいます。
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がんの状況
樹木希林さんは、2003年に網膜剥離で左目を失明しています。
【2004年6月 乳がん発覚】
この時、希林さんは自分で右胸を触ってしこりを見つけ、乳がんを直感したとのことです。3ヶ月間悩みましたが、その後やっと病院に行き、乳がんを正式に宣告されます。
【2005年1月 乳がん切除】
乳がんのしこりは2~3センチまで大きくなっており、右の乳房をすべて摘出しました。
手術後、女性ホルモンをイヤイヤ飲みますが、まもなく『飲んではいけない』という直感の声が聞こえ、飲むのをやめています。
【2007年 乳がん再発】
乳がんの再発がわかり、放射線治療を受けています。
【2008年 全身がん】
右胸を切除しましたが、すでに腸、脊髄、副腎にまで転移していることがわかりました。『全身がん』と宣告されたそうです。
【2013年 全身がんを公表】
この年の3月、希林さんは第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しています。そのスピーチにおいて、全身がんであることを告白しました。
【2014年1月 がん治療の終了を発表】
続いて第37回日本アカデミー賞で優秀賞を受賞した時に、「今回は(治療を)終了。完璧かどうかは今後次第」と発表しています。
10年以上もなぜ元気でいられたのか?
希林さんは「全身がん」という最悪の状況なのに、10年以上も元気に女優業を続けているように見えました。
人はがんになると、どんどん弱まり、体毛が抜け、やせ細って最後は寝たきりになることが多いのに、不思議です。
希林さんは、最初に右の乳房を切除したあと、独学で猛勉強し、「ピンポイント放射線治療」が身体への負担がもっとも少ない治療法であることをつきとめました。
乳がんが再発してからは、
・抗がん剤はぜったい受けない
・手術も一切受けない
と決めており、「ピンポイント放射線治療」をできるだけ少ない回数だけ受ける事にしたのです。
ピンポイント放射線治療とは、正確には「定位放射線治療(SRT)」といい、小さな病巣に対して、多方向から放射線を入射して、病巣を「ねらいうち」する治療法です。
通常の放射線治療と比較し、周囲の正常組織にあたる線量を極力減少させることが可能で、小さな病巣に有効な治療法です。
部位にもよりますが、希林さんが治療を受けていた九州のUSAオンコロジーセンターでは「四次元ピンポイント放射線治療」というものが行われています。
保健がきかない自由診療のため、だいたい150万~200万くらいの間です。
実際にこの病院でがん治療受けた人は、28日間連続照射で170万円かかってます。
なお、この病院には入院施設がないため、滞在費用が別にかかります。
がんが再発するたびに、病巣が小さいうちにピンポイントでがんを狙い撃ちする方法なので、結果的に元気で長生きができたようです。
小林麻央さんやさくらももこさんと比較して思うことは、抗がん剤や女性ホルモンを拒否したものの、下手な民間療法に頼らず、最先端医療の力を上手に使った点が違うなあと思いました。
希林さんの方が高齢なので、民間療法に頼りそうかと思いきや、逆に科学の力を効率的に使っていました。ほんと冷静で現実的な人ですよね。
民間療法を試すのは、せめて病院の標準的な治療をきちんとやってから、その上で各自の任意で取り組んだ方がいいでしょう。
放射線を信じつつ、全身にがんが転移してしまったら、もう化学療法はすべてやめることが、本当の安定した老後を送れる方法の一つかもしれません。
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8月に一時危篤
2014年に治療を一区切りしてから、ときどき九州で放射線治療を受けていました。
希林さんは講演で「1年半たったから久しぶりに九州へ行って、放射線治療を受けてこようと思っている。」と言っていることから、放射線といっても頻繁に受けている訳ではなく、かなり年数を置いて受けていたようです。
数年間、かわりないように見えましたが、2018年8月、知人宅で転んで大腿骨を骨折して手術しています。
気管支が弱いことと、もともとがんであったことが原因で、一時期特の状態になりました。
まもなく持ち直し、リハビリに取り組み始め、そろそろ復帰かとみんなが思い始めた矢先の訃報でした。
まとめ:民間療法は病院で標準治療を受けてから
希林さんのがん対策法としては、
・抗癌剤治療は絶対に受けない
・女性ホルモンは少し飲んですぐ辞める
・放射線治療のみを少ない回数で続ける
ここに樹木希林さんの生活の質を落とさずに元気で仕事もできる鍵がありそうです。
最終的にはピンポイント放射線治療にたどりつきましたが、そこまでに自分で勉強して自分で考えて自分で選択したところが、また希林さんらしいです。
ほんと元気だったので、髪も肌も綺麗でしたし、不死身かと思ってました……。
でも、いかに少ししか受けない放射線であっても、やはり体に負担はかかったようで、「今はこうやって元気にしていても、何時どうなるか分からない」というようなことを言ってます。
これは本当の意味で、本人の中ではどうしようもない違和感や不調を感じる事があったのではないでしょうか。
9月15日、樹木希林さんは家族に看取られ、静かに息を引き取りました。
死因は公表されていませんが、やはり長期間の静かな闘病による消耗・衰弱が蓄積した結果だったのではないでしょうか。
骨折さえなかったら、もうすこし生きていられたのではと思います。
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