西洋の陶人形のように白い肌に、ぱっちりした瞳がひときわ際立つベビーフェイスの美少女の、現役大学生のアイドルがいます。
現在、話題を呼んでいる戦慄かなの(せんりつ・かなの)さん。
この名前はアイドルになる時に自分で「てきとうに」付けた名前だそうです。あまり深く考えなかったとのこと。
あちこちのテレビ番組から引っ張りだこの彼女の人生は、想像を絶するものです。
まだやっと成人したばかりだというのに虐待、非行、少年院などの数々の苦難を乗り越えて、アイドルになった彼女が目指すものとは何でしょうか?
【参考】
頓知気さきなの経歴は?戦慄かなのと無敵ユニット結成 絵が上手
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戦慄かなののプロフィールは?
まずは何はともあれプロフィールを。
生年月日 | 1998年9月8日(2019年で21歳) |
---|---|
出身地 | 大阪府 |
身 長 | 154 m |
スリーサイズ | 79 – 60 – 83 cm |
大 学 | 某有名私立大学法学部 |
所属グループ | のーぷらん。(2017年) ZOC(2018年 – ) femme fatale(2018年 – ) NPO法人bae代表 |
家 族 | 妹と2人暮らし |
出身は大阪府。
小学校の頃に両親が離婚し、東京に引越しして、母親と2歳年下の妹と暮らしていました。
戦慄かなのさんの家では、どうやら母親の方が断然強かったらしく、もの心ついた頃に記憶に残っているのは、母が父に暴力をふるい、父が血まみれになっていたこと。
その父が、壊れた家具をガムテープで修復している姿が忘れられないとか……。
両親離婚、母親からの虐待がはじまる
家のお腹の家事を担当していた父親が離婚して家を出て行くと、父親に向かっていた暴力は、かなのさん姉妹に矛先を変え、子供への虐待が始まります。
頻繁な暴力によって、姉妹のお尻にはミミズ腫れがたえませんでした。
母親は、やがて育児よりも自分のことをを優先するようになり、恋人を作って旅行などで1週間くらい家を空けることもありました。
待てど暮らせど、母親が帰ってこない。用意されていた食事は数日でなくなり、母親が帰宅するまで、姉妹で支え合いながら水道水で飢えをしのぐという生活。
戦慄さんはアイドル好きで、このように母親が育児放棄で帰ってこない時も、テレビのアイドルを見てダンスをまねして踊ったりして時間をつぶしていました。
母親は無職ではなく、収入はありました。ただ、育児に関心を持てず、子どもをほったらかしている状態だったので、完全な「ネグレクト(育児放棄)」です。
母親が家にいるときには食事を作ってくれるのですが、それがほぼ鍋料理。具材がなくなるとその鍋にいろいろ足していくので、1カ月、同じ鍋と鍋汁で具を食べ続けることも珍しくなったという……。
小学校高学年のころに、学校の先生に「虐待ではないか」相談したものの、なかなか伝えることができません。
お尻にミミズ腫れがあっても、それを先生に見せるのは恥ずかしいし、学校で配られる「虐待ホットライン」の紙は手元にあっても、1回も電話できませんでした。親は小学生に携帯を持たせてなどくれないし、公衆電話から電話するのも実際ハードルが高いもの。
子供はやはり母親のことは好きなので、自分がホットラインに連絡したことで、お母さんがどうなってしまうのかを想像すると恐ろしくなる……このようにさまざまな理由で子どもがSOSを出すのは難しく、助けを求めることは非常に困難な状況でした。
戦慄さん姉妹は、お風呂に入る、歯磨きをする、髪を梳く、服を着替えるといった、「当たり前」の生活習慣を教わることなく放置され、やはり周囲からは不潔に見えたのでしょう、中学に入ると男女から激しいいじめの対象になってしまいます。
もちろん、学校の授業になどついていけません。
戦慄さんは中学2年生の時に飛び降り自殺を図りますが、一命をとりとめ、なんとか中学校の3年間を生き抜きました。
高校進学でタガが外れる
中学時代から窃盗集団のコミュニティーに属して万引き、ギフトカード詐欺(出会い系サイトで知り合った男性から少額のカードをくすねる)を重ねてきた戦慄かなのさん。
高校に入学して電車通学するようになり、母親の監視の目が届かない、自由な時間を手に入れると、戦慄さんの生活は急速にエスカレートしていきます。
新宿や歌舞伎町、秋葉原といった繁華街を徘徊するようになると、そこにはさまざまな理由で道を踏み外した同世代の女の子がたくさんいました。
ひとりと知り合うと、ずるずると交友関係が広がり、いっしょになって悪事に手を染めるようになるのにそう時間はかかりません。
あっという間に万引き、窃盗、詐欺などに手を染め、ブルセラビジネスも始め、月100万以上は当たり前、多い時は月300万円を売り上げたこともありました。ビジネスセンスはあるんですね……。
ここで意外なのは、やはりまだ戦慄さんはお母さんが好きだったこと。当時は、稼いだお金を、たまに母親の財布にこっそりと入れていたというのですから、一概に非難ができません。
何度か警察に補導されたましたが歯止めにはならず、ついに自宅に警察官が訪れるまでの10ヶ月間、戦慄さんは非行を繰り返しました。
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戦慄かなのさんの少年院時代は?
そのまま児童相談所の保護施設に送致された戦慄さんは、16才の冬に中等少年院(16歳以上20歳未満の者が入る施設)に収容されます。
少年院の名前は明らかにされていませんが、戦慄さんは大阪出身なので、大阪府交野市に『交野女子学院』という女子少年院があり、こちらが有力ではないかと思います。
<法務省HPより>
女子少年院にいたのは、1年8カ月。犯罪対して反省の態度を示し、生活態度などに問題がなければ、1年未満で退院する人もいます。
しかし、戦慄さんには早く出ようという気持ちがなく、それどころかいっそう荒れるようになりました。
手負いの獣のように荒れ狂い、「私を手懐けられるものならやってみろ」と息巻いていた戦慄さん。
渡された作文の課題の紙をびりびりに破き、監視カメラにサンダルを投げつけ、レンズに向かって中指を突き立てるなど繰り返していたら、1年未満の刑期の予定が、結果的に2年間居座ることになってしまいました。
おかげで少年院仲間からは「長老」とまで呼ばれてしまったとか。古株になってしまったんですね。
「今思えば、小さな子供を扱うような丁寧すぎる教官の態度にイライラし、子供がえりを起こしていた」と、戦慄さんは振り返っています。
ある一人の法務教官の出会い
そんなケモノのような戦慄さんをなだめたのが、ある一人の女性法務教官。
担任が何人も変わったのを見かねてか、「私が面倒見ます」と立候補してくれた、50代のベテランの先生でした。
反抗的な態度をとりまくる戦慄さんをして「この人にはかなわない」と思わせた、美しいけれど威圧的で怖い人で、負けじと椅子を蹴ったり暴言を吐いても物を投げつけても、一対一で向き合ってくれたといいます。
威圧的なだけでなく、先生は決して戦慄さんを見放さず、粘り強く向き合い続けました。ただ厳しく叱るのではなく、ときには頭を撫で、温かい言葉をかけてくれたのです。
この先生と少しずつ対話することで、戦慄さんの心には静かな時間が芽生え始め、少年院での過ごし方に大きな変化があらわれました。
うってかわって勉強や読書にはげみ、少年院にいた2年間で、3000冊もの本を読破。さらに危険物取扱者やソロバン検定、ワープロ検定の資格まで取得。
学校の勉強も猛勉強し、学ぶことの楽しさとコツを覚え、高卒認定試験にも合格しました。
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大学進学・アイドルの道へ
退院後、しばらくは母親の口利きで得た薬局の仕事をしていましたが、ある時、「アイドルになろう」と思い立ちます。
戦慄さんはもともとダンス好きで、ダンスを生かせば、私もアイドルになれるかもしれない……。
少年院の談話室のテレビでアイドルを見て、勇気付けられてる自分がいたので、いつか自由になったらアイドルになりたいと考えていたことを思い出したとのこと。
もちろんツテがあったわけではなく、さてどうしようかと思っていた時に、ツイッターを通して、芸能関係者と名乗る人物から接触がありました。
なんと、戦慄さんが妹とダンスしている動画をツイッターにアップしたところ、それを見た人がその関係者に連絡したのです。
「地上のアイドルではなく素の自分をさらけだし、ついてきてくれるファンがいればいい。地下アイドルの星になろう」
ファンに媚びることをやめ、時には中指を突き立て、歯に衣着せぬ物言いをしたせいで、何度か「炎上」したものの、そのアイドルらしくない振る舞いがかえって話題を呼び、”モノ好き”のファンが増えていきました。
ファビュラスっていうのはね、ムカつく奴全員ぶっ飛ばすって意味だよぅ🥺 pic.twitter.com/2pHQn53bhK
— 戦慄かなの (@CV_Kanano) 2019年1月31日
そうしている間にまた別の芸能事務所からも声をかけられることもありました。
この時はアイドルグループ・のーぷらん。として2017年2月にデビューしますが、大学受験のため同年5月に活動休止。
またこの頃、戦慄さんは講談社が主催するオーディション「ミスiD」に応募。
これは「まったく新しいタイプの女の子を発掘し育てる」ことをテーマに掲げる大規模なもの。約4000人が応募するこの企画の最終審査に残ったときに、戦慄さんは腹をくくりました。
2017年11月、多数の審査員を目の前にした最終審査で、戦慄さんは幼少時の虐待の体験、非行と少年院の話を、赤裸々に語り、みごと「サバイバル賞」を受賞。
これをきっかけに、アイドルグループ・ZOCとしての活動を開始しました。
並行して、家庭教師をつけて勉強を続けていた旋律さんは、2018年春に、見事有名私立大学の法学部に一般入試で合格しています。
大学名も公表されていませんが、早稲田大学法学部ではないかという説が有力です。
これだけ有名になったのに大学名がはっきり特定されていないということは、テレビに出演する時は、変装に近いメイクをしているのでしょう。
現在は、早くアイドルとしてひとり立ちするために、ピアノ、作曲、ダンスなど9つの習いごとをこなし、妹の「頓知気さきな」さんと姉妹ユニット「femme fatale」を結成し、2018年秋から本格的に活動開始。パワフルですねー。
また、児童虐待や育児放棄をなくすためNPO法人「bae」を立ち上げ、講演会などを行っていいます。
NPO法人baeの公式HPは⇒こちら。
まとめ:ツイッターが本音毒舌だらけで超快感!
最近、20歳になったことでやっと保護観察がとれたと喜ぶ戦慄かなのさん。
成人式に「いじめっこの面を拝んで『お前なんか大嫌いだ』って言ってやらないと帰れない」と息巻いていじめっ子と再会したところ、逆に「写真撮って」って言われていっしょに写真撮ってしまいました(笑)。
恩人である法務教官に出会ったことで戦慄さんの中に芽生えた夢は、3つあります。
・法律の勉強をすること
・アイドルとして活動すること
・児童支援活動
「虐待されている児童の力になりたい」という思いが、今は一番強いのだそうです。
物心着いた頃から虐待におびえ、過酷な環境を生き抜いてきたアイドル。
少年院あがりのアイドルですよ、地元の不良や近所のワルとか、どこか可愛らしいモノとは明らかにレベルが違います。
自らの壮絶な虐待を経験をしたニューヒロインが、虐待にあっている子どもたちを、どうにかして救い出そうと動き出しています。
この度胸の良さ、インパクトの強さ。
平成の次の時代の新星になるかもしれない戦慄かなのさんの、これからの活躍がとても楽しみです。
【参考】
頓知気さきなの経歴は?戦慄かなのと無敵ユニット結成 絵が上手
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