与沢翼の現在は?破産したくらいで人は死なない!何度でも蘇るさ

与沢翼さん、元気ですかね?

『秒速で1億円稼ぐ』をキャッチコピーに、派手にメディアに登場し、秒速で転落、日本の税制にいじめられて海外に移住した、あのとっつぁん坊やです。

ドバイに滞在しているところまでは知ってましたが、しっかりダイエットしたらしく、整形までしてすっかりキャラが変わってリニューアル。

やっぱり外見って大事ですね、以前がいろいろ強烈だったので、さわやかになるとかなり印象が良くなります。

成功と挫折を繰り返している人をリアルタイムで観察できるって、ほんとにいい時代です。

お正月にネットサーフィンしてたら、久々に与沢さんのインタビュー記事があったので、今どうしてるんだろうと思って調べてみました。

【参考】

与沢翼の嫁の相原麻美の写真画像と結婚理由、旦那の現在の年収は

三崎優太・青汁王子のプロフ経歴は?セレブ場主は国税がお嫌い




与沢翼のプロフィール

何はともあれ、まずはプロフィーr……誰?!

祖父母は旅館経営、お父さんは日本有数の大企業の役員、お母さんは学校の先生という、裕福な家庭の長男として生まれます。妹さんが一人います。

小学校時代はいじめられっ子で、その反動か中学生からグレはじめ、13歳で補導歴14という戦績。

中3で暴走族の先輩集団にリンチを受けて1か月入院、その間の受験勉強で私立の武南高等学校(偏差値57~66)に合格しますが、3日で退学して本格的に暴走族の道へ進むという、波乱万丈の10代を過ごします。

16歳と18歳のときの2回、警察に検挙され、社会から隔離された経験もあります。

生誕 與澤 翼(よざわ・つばさ)
1982年11月11日(2019年で37歳)
埼玉県秩父市出身
家族 妻(相原麻美さん)
子供1人(麗くん)
出身校 早稲田大学社会科学部

祖父母は秩父で旅館を経営していて、与沢さんは小さい頃から手伝いをしてお小遣いをもらい、経営感覚を育ててきました。

旅館って人間観察にも向いてそうですものね。フロントや板前さんとの連携も大事だし。

このような環境から「商売」が常に身近にあったため、本人にも商才があったのでしょう、洋服の転売ビジネスを中学生から始めていて、この年齢で利ざやを稼ぐという突出した商売感覚を発揮、月に何十万と稼いで成功していたので、お金に困ることはありませんでした。

ドカタや建築、鳶、神輿や的屋、パチンコの台打ち、暴走族車や二輪車の転売、とんでもない仕事も含めて、とにかく勤勉に働いた暴走族で、お酒と喧嘩にあけくれながらも、2年で700万の現金を貯金。

留置場に居た頃に『だからあなたも生き抜いて』という本を読んで感動し、大検を取得してわずか9か月の勉強で早稲田大学に合格。

大学入学後は法律の勉強に集中し、ホストのバイトをしながらも弁護士を目指して一直線でしたが、当時のライブドアの堀江貴文さん、楽天の三木谷さん、グッドウィル折口さんらの活躍に影響を受け、起業する方向に転換しました。

2005年、23歳の時に、与沢氏さんは人脈作りのために起業サークル「CREW(クルー)」を興し、自ら代表に就任しますが、与沢さんがすぐに起業してしまったため、サークルは自然消滅。

2006年3月からアパレルのネット通販会社を7つ設立し、2009年までの3年半で月商1億を超える会社に成長させました。

このほとんど会社は自己破産で閉鎖しており、挫折を経験しました。

とにかく金銭感覚たいへん鋭く、ビジネスセンスがとびぬけていた人でした。

あと、若い頃はちょっと派手でしたが、ケンカに強いというのは大事ですよね。

フリーエージェントスタイルホールディングスを設立

ファッションの通販なら、与沢さんにとって服を扱う意義が何かあったんじゃないかと思うのですが、どうもそうではなかったらしいとわかったのが、次に設立した会社。

2010年9月に株式会社Rajuri(後のフリーエージェントスタイルホールディングス)で、これが情報商材を扱うアフィリエイト会社だったんですね。

情報商材とは、文字通り情報やノウハウそのものが売り物で、与沢さんは「カネを儲けるノウハウ」を売って儲けるという『プロダクトローンチ』と呼ばれる商法の一つを駆使してビジネスを展開しました。

「お金を儲けるノウハウ」ですから、顧客は「努力をせずに手っ取り早くカネだけほしいという目先の欲に目が眩んでいる人たち」なので、効率的といえば効率的。

ネットで情報という形のない商品を販売するのですから、倉庫や在庫や梱包の手間や送料といった手間がかかりません、文字通り『秒速で』お金が入ってくるのです。

与沢さんの当時の住まいは六本木ヒルズで、高級外車も多数所有。これでもかとその豪勢な暮らしぶりをさんざんメディアでアピールし、「ネオヒルズ族」ともてはやされました。

スポンサーリンク



国税を納付期限までに完納できずに経営破綻

ところがその3年半後、2014年4月にフリーエージェントスタイルホールディングスが破綻状態であることが公表されました。

2013年8月期決算の法人税、住民税、及び事業税2億5千305万の支払いのうち約1億1千万円並びに2012年8月期の修正申告分の税として8940万7200円を追加で計約2億円支払い、並びに2014年8月期決算予定納税の一部を支払い、フリーエージェントスタイルの資金が完全にショートしました。

また、月利5~10%を謳う海外FX投資に手を出して1か月で元本の90%を失った。

真相は本人にしかわからないですが、まあ派手にやりすぎたので国税に目をつけられてしまったのでしょう、情報商材を扱っていた与沢さんには債権者はおらず、2013年の8月期に5億円の利益が出ているので、単純に税金の納付が間に合わなかったからですね。

情報商材で稼ぎすぎると、経費がかからないので、税金が大きくなりすぎてしまいます。

あれだけ遊んでいなければ期限までに納税できたのでしょうが、納税準備金(納税用に別に取っておくお金)まで使ってしまったのです。

税金というのは、話し合いしだいで猶予や分割に応じてくれますが、それにはそれなりの事情が必要で、ろくろく誠意もみせずただ単に「遊び過ぎて手持ちのお金が無いから払えない」などという理由では待ってくれないため、たぶんこのあたりで突っぱねられた可能性が高そうです^^;。

税金の猶予や分割は、お願いしたら当然にやってくれるものではないし、別に納税者の権利でもありません。

いちど暴行事件も起こしているし、この時期の与沢さんは態度があまり良くなかったかもしれません。

六本木の豪華オフィスやビル、自宅が差し押さえを受け、ロールスロイスやフェラーリも売却。

よもやこれほどまでに税金が確固たるもので、恐ろしいものだとは思いませんでした。

以前は利益が出なくて倒産。今回は利益が出すぎて、税金で経営危機です。

甘いよ甘すぎる! 大学で何の法律を勉強してたんだよ!つーか30代も半ばになって何言ってるんだよ!!

あの豪遊ぶりは国税庁を挑発したも同然ですし、嫉妬深い日本国民を刺激しすぎました。

与沢さんはフェイスブックで

誰もがそうなると想定できていた当たり前のことに反抗し、非常識がどこまで通用するのか突き抜けてみたかった

などと30代後半にもなってこのような中2病的なことを書いてますが、まあ、今回の件で国税をなめるとどういうことになるかを、日本国民に教えてもらいました。

↓↓↓この写真も与沢さんの戦略ですが、国税なめたらマジでこんなんなります。

破産したのに、なんというか、パフォーマンスが本当に上手な人だなあと思います。

あの後も、与沢さんはメディアには露出を続けました。

六本木の美女たちをはべらせてパーティーライフから一転して月5万円の倹約生活と「落ちぶれた」様子を隠しません。しかもその話を「ビジネス」につなげるというしぶとさとしたたかさを持っていました。

時代の寵児が、あれほど派手に転落したのです、なんという庶民の嫉妬心をグリグリとえぐる絵でしょうか。そういった庶民のツボを、よくわかっている人です。

この段階で、もう次の手段を考えていたのでしょう。

この写真一枚で与沢さんのYoutubeやアメブロにはアクセスが激増し、本も売れ、多額の広告収入や印税が流れ込んだことでしょう。

それで税金の滞納分を精算し、ほどなくしてシンガポールに移住するだけの資金を作れたのでしょうね。

スポンサーリンク



シンガポールに移住、毎月1500万円以上稼ぐ

同じ2014年12月、与沢さんはシンガポール就労ビザを取得し、移住しています。

結局は約半年あまりで復活したここでも与沢さんは、家賃200万円、3000万円近くの家具うという、日本にいた頃と変わらない豪奢な生活を送っています。

与沢さんは日本では税金で痛い目を見たので、圧倒的に税率が低いシンガポールに移動することにしたのです。事業をやるなら、日本よりシンガポールのほうが絶対に有利だし、投資をすなら追い風が吹いているアジアの現場にいたほうが有利です。

ここでもやはりHPを使ってアフィリエイト収入や企業のPR、講演・セミナーなどの出演料、あとは、株式投資とカジノで、毎月1500万円は稼いでいるとのことです。

金銭感覚のカンや技術をいちど身につけると、強いんですねえ……^^;。

シンガポール政府が自国の雇用を守るため、年々審査が厳しくなっていて、2014年はその基準が一段と引き上げられた年。

与沢さんは管理職や専門職としてシンガポールで仕事を行う場合に発行される「EP(エンプロイメントパス)」を2014年に取得しています。

これはある程度名前が通っている4大卒以上の学歴か、かなり専門性の高い資格が必要とされています。

2013年では月給3,500シンガポールドル程度でも発行の許可が下りましたが、2014年以降は月給4,500シンガポールドル以上に引き上げられています。(※2019年以降は月給6,000シンガポールドル)

これだけの条件をクリアしているのですから、尾羽根うち枯らして……というわけではまったくなかったのですね(笑)。

2016年からドバイ移住、高級不動産物件を購入しまくり、パパに

与沢さんは2016年にシンガポールからドバイに拠点を移しました。

ここでもかわらず株式やFX、海外不動産投資などで成功し、ドバイと東南アジアを中心に総額25億5000万円、20件以上の物件を所有。

所有しているのは、リッツカールトンやハイアット、ウェスティンなど高級物件のみで、しかもキャッシュで購入したというのです。

ドバイのブルジュ・ハリファに自宅を買い、ここで元グラビアアイドルの麻美さんとの間に、男の子が生まれています。

ここに来て、与沢さんの価値観に変化が生まれたようで、

競争するのは意味がないし、怪しい話に乗るのも一切やめようと決めました。今一番の楽しみは、生まれてくる子供の名前を考えることです。

と、話しています。

なんか、変わりましたねえ。

2018年からタイ滞在、毎月1億円以上稼ぎながら20kgダイエット成功

2018年以降のツイッターを覗いてみると、奥さんと小さいお子さんと一緒にタイのバンコクで過ごしていて、自宅及び別荘を購入したようです。

お子さんの写真ばっかり撮っているのが和みます(*´ω`*)。

あいかわらず食事は豪勢だし服も派手だし、仕事はバリバリされているのでしょうが、すっかり「お父さん」です。

更新は頻繁ではありませんが与沢さんはブログを持っていて、2018年5月の株の確定収益が1億2000万円とか……なんかもうね……。

で、与沢さん、このタイ滞在中に20kg以上のダイエットに成功しています。

ダイエット用のサプリや食べ物を買う方法ではなく、まっとうに運動と筋トレ、ロードバイクに食事制限、プチ断食。

体重を減らすために、一時期仕事をすべて休んだそうです(笑)。

この時期の生活拠点である東南アジアでは、保険は資産運用の一つになっていて、健康(BMI25以下)であれば審査に合格し、掛け金が安くなること、あとは家族のためというのがダイエットの動機。

す、すごい健康的な投資家になっています、心身ともに!

まとめ:ストーリーだけで中身がないと詐欺呼ばわりされる

与沢さんには、「税金で失敗して破産したからといって死ぬわけではない、何度でもやり直せる」ということを教えてもらいました。

与沢さんは、実力を付けて年を取ってから、晩年には日本に戻りたい、とコメントしています。

お金儲けをするなら、日本よりは断然海外ですよね、わかります。

日本ではやりすぎて失敗しましたが、海外では思うままにどんどん投資ができるのでしょう。

この人の場合、人生の初期値があまりに一般庶民とかけ離れているのであんまり参考にはなりませんが、ここまでものすごいスケールのビジネスセンスを持ってしまうと、もう日本ではやっていけません。

日本を離れて一度楽になって、何十年か後にまた日本で新しい事業を始める時に、どんなことを始めるのか?過去の失敗をどう活かすのか?与沢さんはどのように変わったのか?そのような前向きな姿を、改めて見てみたいと思いました。

与沢さんはとにかく「お金をたくさん手に入れること」だけが目的で、事業をする意義があんまり見えてこないのがちょっとさみしいかな。

日本では「儲け」のみ最優先のやり方は本当に嫌われてしまいます。そこに何か「モノ」「意義」があれば、あそこまで印象悪くなかったのです。

そんな「意義」さえ、与沢さんにとっては「日本の古い価値観」なのか、それとも与沢さんが日本に戻ってくる時は、日本の方が変わっているのでしょうか。

【参考】

与沢翼の嫁の相原麻美の写真画像と結婚理由、旦那の現在の年収は

三崎優太・青汁王子のプロフ経歴は?セレブ場主は国税がお嫌い

スポンサーリンク






シェアする

フォローする