美智子皇后の若い頃!幼少期から婚約決定まで!絶世の美女でしょこれ

美智子さまがあと半年足らずでご退位ってマジっすか。

ああいう伝統の格式にガッチガチに固められ、「国民のお手本」「ジャパニーズスタンダード」に徹したふるまい以外NGという特別な世界に、わずか24歳で飛び込んだ美智子さま。

84歳になられた現在も、ますます透明な煌きで国民を魅了する美智子さまですが、20歳前後の美智子さまだって負けてはいません。

あちこちいろんな写真が錯綜しているので、「婚約成立前」の美智子さまの写真を集めてみました。

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美智子皇后陛下の子供の頃

美智子さまは、1934年(昭和9年)10月20日、日清製粉の創業者一族・正田英三郎氏と富美子夫人の長女として、東京府東京市本郷区(現:東京都文京区)で生まれました。

左から、母親の富美子さん、美智子さま、兄の巌さん(元日本銀行監事)、父親の正田貞一郎さん。

父親の正田貞一郎さんは日清製粉グループの創業者・正田貞一郎の三男でしたが、長兄は早世、次兄は数学者となったので、社長の椅子の座が英三郎が回ってきました。

母親の富美子さんは佐賀県士族のでで、「江商(当時の大綿花商社)」の上海市店長だった父のもとで、イギリス流の教養と、明治の婦道を身につけるように育てられました。

それを正しく我が子らに伝え(美智子さまには妹が2人)、完成させようとつとめてきた方です。

↓↓↓美智子さま5歳頃の写真。

髪型をこめかみの横で……どーやって結ってるんでしょう、可愛らしいですね。もともと天然パーマです。

双葉小学校に上がられた頃で、小さな頃から快活で、運動神経抜群の女の子。お転婆で、リーダーシップをとっていたそうな。

↓↓↓こちらの写真も、似たような年頃のもののようです。

姿勢が良くて、着物が似合いますねえ(*´ω`*)

1944年(昭和19年)、美智子さまは10歳の時疎開のため、神奈川県藤沢市、群馬県の館林市、長野県の軽井市と転校を繰り返し、軽井沢にて終戦を迎えました。

双葉幼稚園・小学校は、母親の富美子さんも通った学校でしたが、戦争が終わって東京に帰ると、母校の双葉小学校は焼けてしまっていたそうです。

美智子さまは大企業のご息女ですので、スポーツ万能でしたが他にピアノ・絵画・料理、香道を習っていて、教養豊かな女性に育ちました。

小学校の通信簿のコメント欄は『温和にして態度明快、熱心で、言動上品にしてつつましやか』と、担任の先生ももうベタ褒めで、すでに尊敬を集めるお人柄でした。

美智子さまは雙葉小学校を卒業しますが、当時は品川区五反田に住んでいて、満員の殺人電車に乗って通われていたそうです^^;。

網棚に捕まって五反田についても降りられなかったとか、そろばんを引っ張っても取れなかったとか、傘が抜けなかったとか、小学生では力が弱いので、通学にそうとう苦労していました。ゼネスト騒ぎの時は、線路の上を歩いて通学していたそうです。

あまりに通学に不便だったので、途中で聖心女子学院中等科へ入学します。

↓↓↓美智子さま15歳頃の写真(真ん中)。

正田家は資産家でしたが質素な家風で、母親の富美子さんの意向もあり、贅沢をしない教育方針で育てられました。

「正田家はケチでございますから」……富美子さんは、あるときマスコミにこうコメントしたそうです。

野菜くずでも捨てずにとっておいてあとからダシに使ったり、薄くなったシーツを縫い合わせて再利用したり。

知り合いのプレゼントも、富美子さんは子供たちの洋服の残り布から選んだハギレを、クッキーの空き箱に美しく詰め、リボンをかけました。

このように手作りの実質的な、ハイセンスなプレゼントは、今も昔も、世界中どこへ行っても買えないでしょう。

↓↓↓聖心女子高校時代の美智子さま

美智子さまは学業やスポーツにもよく親しまれ、聖心女子大学に内部進学後は、頭脳明晰、さ眉目秀麗、才色兼備と、学園のスター的存在でした。

在学中に応募した読売新聞社主催の論文コンクール「はたちのねがい」が、2位に輝いた時の記念写真です。

テーマは「虫食いのリンゴではない ハーディーのテス」。

正田美智子さんは賞金のうち1000円を読売新聞に寄託し、恵まれない人に、さらにもう1000円を聖心の奨学資金に寄付され、マザー・ブリット(当時の聖心女子大学学長)を感激させました。

↓↓↓聖心女子大学の卒業式の美智子さま。もちろん主席で卒業されました。

若い頃から美しかった美智子さま。

どんな高価な化粧品を使っているかと思いきや、当時のお手伝いさんの証言によると、ごくありふれたクリームと口紅があっただけ。

美智子さまの私室も全く質素で、ベッド、洋服タンス、鏡台、そして机があっただけ。20歳の乙女の部屋とは思えないほど色彩に乏しかったとか。

大学卒業後は、勤めには出ず花嫁修業をされていたようで、中華の料理教室に通っていました。

何人かの料理教室の生徒さん、みんながみんな美智子さまを見て「先生、あの方、どちらの方?とても上品な人ですね」と先生に尋ねていたとか。

もう際立っていたのでしょうね。




軽井沢で皇太子だった明仁親王と出会う

そして、正田家の別荘がある軽井沢で、運命の出会い。

両陛下が出会ったのは、昭和32年(1957)年8月19日、軽井沢のテニスコートでした。

避暑に来ていた人たちの懇親のダブルストーナメントの決勝戦でしたが、皇太子さまは事前に、ご友人に「正田美智子さんをトーナメントに誘って欲しい」と話されていました。

おそらく「上品で美しい女性がいる」などと前評判がたっていたのでしょう、周囲の男性たちも美智子さまとペアを組みたかったようで、やはり天皇陛下は、自分の意を余分に忖度しない良いご友人をお持ちでした。

別に周囲が示し合わせたわけではなく、ペアは公平にくじ引きで決定され、決勝戦には偶然の組み合わせで皇太子さまと当たりました。

かなり白熱した試合で、皇太子殿下が相手でも一切手加減しない美智子さまに皇太子さまのハートは鷲掴み。

試合は美智子さまペアの勝ちで、皇太子さまは持参したカメラで美智子さまを撮影、「女ともだち」のタイトルで、当時の職員作品展に出品されています。いやもーここは宮内庁の方々はどうしても忖度しちゃいますよね(笑)。

↓↓↓後ろに軽井沢のテニス大会の優勝カップと、皇太子さまが撮影した写真が、向かって右奥の写真立てに飾られています。

その後も何度かテニスで交友を深められた両陛下。

戦後の皇室典範によって、民間人も皇太子の妃になれることが認められてはいましたが、やはり当時の常識としては、誰もが旧華族からお相手が選ばれると考えていました。

美智子さまも身分が違いすぎるとしていちど辞退されましたが、「国民とともに歩む女性を選びたい」という天皇陛下のおことばを受けられ、前向きに結婚を捉えたのです。

↓↓↓絶世の美女でしょこれ。

皇室の方々というのは、世界中の第1級の情報が集まり、超一流の教育を受けられます。

皇室には皇室の「結婚の知恵」というものがあり、美智子さまは、当時から非常に高い見識をお持ちだった天皇陛下の、おめがねにかなった女性なのです。

今上天皇陛下の「柳行李ひとつでいらしてください」というプロポーズ。華族階級以外の方を熱望されたというのは、皇太子殿下にとっても、そして昭和天皇にとっても、大きなご決断だったと思います。

↓↓↓婚約が正式に決まり、ご挨拶のために皇居へ向かわれる、車の準備待ちの美智子さま。

淡いクリーム色のワンピースに白いパンプスと手袋、ミンクの肩掛けという上品な装いが、日本中を釘付けにしました。

「お父様、お母様、お体を大切にね」……”正田美智子”として、民間人としての最後のご両親への、お別れのご挨拶でした。

いまだに「世界一厳しい王室」と言われる日本の皇室に、民間からの初めてのお輿入れ。

殿上人である皇族と民間人の結婚は、当時の感覚としては、実家の親兄弟と縁を切るという覚悟が必要だったのです。

正田家のご家族の皆さまも、娘を皇族に「献上する」「捧げる」という気持ちだったはず。

さらには皇太子妃のご実家として、人の口の端に上るようなことは一切起こしてはならぬという、悲愴なまでの覚悟を、自分にもご家族にも強いる決断を、正田美智子様はされたのです。

↓↓↓婚約が決定した美智子さま。60年近く前の写真ですよ、それなのにどうですかこのオーラ。

美智子皇后陛下の現在の評判の高さは、ご本人の資質と努力もさる事ながら、間違いなく実家の正田家の忍耐によるところも大きいです。

正田家からマイナスの話題が一切出てこなかったのです。

周囲が全員やんごとなき方々ばかりの中、何かひとつ瑕疵があれば100万倍言われてしまう環境の中で、実家から美智子さまの足を引っ張る、立場を危うくするようなことが、本当に出てなかったのです。

正田家の覚悟と忍耐たるや、いかほどのものだったか。

まとめ:天皇陛下も御目が高すぎる

あんな「日本一格式の高い家」に、嫁ぐ覚悟をよく決められたよなあ……と、美智子さまをテレビで見るたび、いつもしみじみ思います。

入内されてからも様々な困難に遭った美智子皇后陛下ですが、2018年の胆振東部地震で北海道に今上陛下とお越しになった際、千歳空港への帰り道、車の中から手を振るナマ美智子さまを肉眼で見る機会があったのですが、それはそれはもう壮絶な美しさでした。

白い服をお召しになっていたのですが、それとは別に、全身の輪郭が少し白く光ってるんですよいやマジで。

オーラってこういうものをいうのか、と、ものの数秒でしたが目が釘付けになったものです。

その清冽な白いオーラの向こう側に、皇室の重い伝統が横たわる厳しい空間が広がっているのも、ほんの少しですが想像できました。

本当に、お疲れ様でございました。

いましばらく、皇太子さまご夫婦と、ほかの血族の方々を見守っていただきたいと思います。

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