仲川遥香の現在はインドネシアのCM女王!海外移住はアイドルから

AKB48は、地下アイドル文化を導入する形で2005年に結成されました。

常にメンバーの新陳代謝を繰り返しながら、「会いに行けるアイドル」「成長する過程をファンに見せる」を基本コンセプトに、2009年頃に人気が大爆発したグループです。

平成以降、アイドルは「雲の上の存在」より「ボーイフレンド・ガールフレンドの延長」にいることが好まれるようになりました。

AKB48は数字通り48人ではなく、予備や研究生メンバーも入れると118人もの在籍者数がいて、ギネス記録にもなっています。

大ブレイクしたためメンバー希望者が多く集まり、日本国内でもAKB48の姉妹グループが名古屋、大阪、福岡、新潟、瀬戸内地域に、分散してそれぞれ拠点をつくるようになりました。

この全国展開は、全国の人にも「会いに行けるアイドル」を体験してもらおうという、秋元康プロデューサーのアイデアから生まれました。

東京まで足を運ぶのが困難な地方在住者でも、近くの劇場に行くことができることが狙いです。

さらには日本国外にも、

2011年にインドネシア・ジャカルタに「JKT48」、

2012年に中華人民共和国・上海に「SNH48」、

2017年にタイ・バンコクに「BNK48」、

2018年には、台湾・台北の「TPE48」、

フィリピン・マニラの「MNL48」、

中華人民共和国・上海の「AKB48 Team SH」、

ベトナム・ホーチミンの「SGO48

が、結成されています……す、すごい……AKBの全世界展開です(゜д゜;)。

私はイマイチこの大人数ユニットの良さがわからなかったのですが、この中から仲川遥香さんという人がインドネシアに飛び出してから、見方が変わりました。

今回は、元祖日本は東京のAKB48メンバーだった仲川遥香さんから、海外移住の新ルートを学びましょうっ。

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仲川遥香のプロフィール

何はともあれ、まずは経歴を確認。

本 名 仲川遥香(なかがわ・はるか)
生年月日 1992年2月10日(2019年で27歳)
出身地 東京都
家 族 両親、5人兄弟姉妹の次女
血液型 O型
学 歴 日出高等学校通信制課程(偏差値45)
※しかしインドネシア語を5ヶ月で
習得できる語学力の高さあり
備 考 元JKT48 チームJメンバー
→ チームTキャプテン
→ チームJメンバー
元AKB48 チームB
→ チームAメンバー
元渡り廊下走り隊7
事務所 電通インドネシア

関係者の証言によると、仲川さんの性格はいつもふわっとしていて雰囲気が可愛らしく、マイペースで年齢のわりには幼く、しかし人懐っこく、天真爛漫でイノセント。

女の子らしい女の子ですよね。

しかし、彼女の幼少期はなかなか厳しい時期がありました。

3歳頃に両親が離婚して父親に引き取られたため、仲川さんは母親の顔は覚えていないのです。

お父さんは仕事で家を空けることが多く、小学3年生からは、遠足などの行事は自分でお弁当を作っていました。

物心がついた時から祖母と暮らし、祖母の体調が悪い時は児童養護施設に預けられたことがありましたが、ここのスタッフさんたちはとても暖かく対応してくれて、この施設の友人とは、今も交流が続いている人もいるそうです。

「父親のノリ」で14歳の時にAKBのオーディションに挑戦し、「歌と踊りが一番下手だったから」という逆説的な理由で合格しました。

AKBのスゴさは、こういう多様性を認める深さにありますね。「突出した」「ナンバーワン」「正統派美形」でなくても、そこそこかわゆくて個性があればいいというところ。

しかし、仲川さんは2010年には一度はシングル選抜メンバーに選ばれたものの、その後は徐々に人気が低迷していきました。

選抜総選挙
2009年第1回:圏外
2010年第2回:20位(6,567票)
2011年第3回:24位(10,854票)
2012年第4回:44位(6,890票)
2013年第5回:以降、不参加

2012年2月には両声帯結節(声帯にこぶができて声が出づらくなってしまう症状)のため活動を休止、6月まで復帰できず、総選挙の結果にまともに響いてしまいます。

復帰後、プロデューサーの秋元康氏からJKT48留学の話を持ち込まれました。

JKT48は、日本国外で最初に結成された、インドネシアを拠点とするAKB48グループ。

中川さんは真っ先に「行きたい!」と考えました。

AKBがいやとかじゃなくて「違う未来が見えます!人生の分かれ道…この道を選んでよかった!そう思えるように、頑張る!」と自らを奮い立たせ、自らジャカルタで可能性を試したいと志願したのです。

この頃はAKBの大幅な組織改革が行われた時期で、ジャカルタのJKT48には高城亜樹さん、仲川遥香さんが、同時並行で結成が進められていた上海のSNH48に宮澤佐江さん、鈴木まりやさんが移籍しました。

当初は移籍期間は「半年から1年」を予定、みんな「一回り大きくなって日本に戻ってくる」つもりの「留学」でした。

仲川さん、自分のポジションに飽きていた

同じ時期、AKB48のチームAから、姉妹グループHKT48へ移籍した、人気のあった多田愛佳さんは、「AKB48メンバーが上も下も詰まっていて、未来が見えなくなっちゃってました」と悩み、秋元康氏に相談したところHKT48への移籍が提案されています。

海外組の4人も、表には出していませんが、実情は似たようなところだったのではないでしょうか。

のちに仲川さん本人のコメントによると、「日本ではどっちつかずのポジションでしかいられない。自分の立ち位置に『飽きてしまった』ため、刺激を求めて自ら秋元プロデューサーに直訴した、というのが真相でした。

やはり、人数の飽和状態が原因で、仲川さんは新天地を求めていたのですね。

仲川さんは前向きでしたが、やはり胸の内には一抹の「都落ち感」があったのではないでしょうか。

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仲川遥香のインドネシア物語

2012年9月8日、「JKT48」の専用劇場が、ジャカルタ市内のショッピングモール4階にオープンし、日本同様にオーディションを勝ち抜いた現地メンバー含む24人の第一期生による初回公演が行われました。

公演は満席で、アンコールを含む16曲を熱唱、幸先のよいスタートを切ることができました……このJTKは、高城亜樹さんと仲川遥香さん以外、全員インドネシア人の女の子で、AKBの歌をインドネシア語に翻訳して歌うのです。

仲川さんは移籍後、なんと5ヶ月でジャカルタ語を習得したというのですからものすごいです。日本にいる間に週4日の猛レッスンしたし、もともとインドネシアは親日国。

メンバーが逆に日本語を勉強し、仲川さんたちとコミニュケーションをとるように努力もしてくれたので、元インドネシア大統領夫人であるデヴィ夫人の功績は真実に偉大です。

※参考:デヴィ夫人の若い頃はコールガール?東洋の真珠の資産と家族は?

ジャカルタのコンサートも日本の公演と同様に盛り上がり、翌年2013年の本家本元のAKB48の総選挙は「ジャカルタの仕事に専念」するため、辞退。仲川さんは本当にインドネシアに賭けたのですね。

翌年2014年4月には、JKT48初の選抜総選挙が行われ、仲川さんは3位になりました。

いい話ばかりではなく、現地は伝染病の危険性も高く、仲川さんもデング熱やアメーバ赤痢にかかっています。

しかし若さもあるのでしょう、病気を乗り越え、2015年の3月から4月にかけて実施された『JKT48 10thシングル選抜総選挙』では、見事2位を獲得しました。

JKTの快進撃はそんなものに止まらず、仲川さんは現地では20社を超えるCMに出演していて、いわば”インドネシアのCM女王”。しかも内容が「ポカリスエット」やグリコの「ポッキー」など大企業ばかりときました。

インドネシアには、市場の開拓余地がまだまだたくさんあります。

日本の本家のセンター・指原さんに「ジェラっちゃいますね」と言わせるほど。

Twitter影響力ランキング」で世界7位

そして、2017年の「Twitter影響力ランキング」で世界7位にランクイン!

これは、仲川さんのTwitterがインドネシア語で書かれていたことが大きな原因で、すこぶる好評なのです。

主催会社のコメントによると、選考理由としては「リツイートや返信する反応の強さ、人々への影響力といったネットワークの広がりを考慮した」とのことです。

ツイッターでも音楽やダンスの「力」について触れ、

「国家間の政治的には色々あるかもしれませんが、国とか関係なく、みんなを楽しませてくれるパフォーマンスをしてくれる人がいてそれで元気をもらう人もいるってこと!そういうのって国とか関係無いんじゃないかなって思います。音楽やダンスそういうのってみんな共通です」

と、政治的バランスも考慮した発言もできるようになってきていて、今や国境を越えて共感を集めるスターになりつつあります。

しかし、本人は「7位って言われても」と、キョトーンとしてました(笑)。




JKT48を卒業、CMのお仕事29本

2016年2月、仲川さんはJKTの卒業を発表しました。

「もっと世界を知りたい」として、日本には戻らず、インドネシアに残り、そのままタレント活動を続けていく決意をしたのです。

これまでにCM29本、レギュラー番組9本に出演し、インドネシアという新天地を見出した仲川さんは、完全に売れっ子タレントへの転身を遂げてしまいました。

インドネシアの人口は約2億6000万人、日本人口の2倍以上にのぼるので、単純にその人口比から言っても、知名度のパンチ力が違います。

最近ではオロナミンCインドネシアのアンバサダーになり、もちろんそのCMにも出演しています。

現地の事務所が電通のインドネシア支社なので、日本の大企業のCMの仕事を、日本人の仲川さんが受け放題なのです。

中川さんがインドネシアでランボルギーニの車に乗っていてすげえと噂されていますが、月収はだいたい100万円、CMに出演した月は150万円と、テレビで話していました。

ランボルギーニの平均価格は日本円で約4500万円ですが、税金が高いインドネシアでは日本の価格の約2倍なので、8千5百万円くらいします。

しかし、インドネシアの物価は日本の1/5。

普段の生活で贅沢さえしなければ、すぐに手が届くでしょう。

しかし仲川さんは「貯金が趣味」と言ってましたので、本当にこんな高級車を購入していたのでしょうか?

JKTに参加してからのインドネシアの軌跡を綴った自叙伝『ガパパ!(大丈夫)』も発行。

サブタイトルに『AKB48でパッとしなかった私が海を渡りインドネシアでもっとも有名な日本人になるまで』とあるとおり、左遷先で何が起こるのか、何が幸いするのかはわからないということですね。

中川さん、すっかり溶け込んでいて、生き生きしています。

この調子で、もっととんでもない世界に行ってしまうのでしょう。

まとめ:左遷先は国境を越えるくらいでちょうどいい

マジで素晴らしい。

管理人は、日本だけではなく、何か手段があるのなら海外にも拠点を作ったほうがいいと思う派なので、いろいろアンテナを張っています。

しかしここにきて、AKBのアイドルになってそのまま現地に移住できるかも、という可能性が出てくるとは思いもよりませんでした。

親戚に10代半ばの女の子がいたら(別に美人じゃなくても可!)、近所のAKB姉妹グループのオーディションを受けて、一通りレッスン受けたら頃合を見て異動希望を出し、アイドル活動がんばりながら現地で人脈作りと拠点固め、25歳を過ぎたらアイドル卒業して次の仕事やる、というキャリアを模索することが可能だということです。

もちろんアイドル活動は全力で、しかし海外に拠点を作るという人生のステップのひとつとして計算しながら、AKBのオーディションを受けることを考えてもいいのでは。

今のAKBは、それくらい間口が広いです。不安な点は現地事務所が自動的に守ってくれますしね。

拠点をひとつ作ったら、現地の人と一緒に、また親戚を呼び寄せてビジネスすることも可能です。

現地のお金持ちと結婚して、このままだと本当にデヴィ夫人に匹敵する大富豪の妻の座も夢ではありません!

アイドルのレッスンで培った様々なスキルや、何より知名度というのは、ものすごい武器になります。

管理人もあと30年遅く生まれていたら、この方法を真剣に考えていたと思います。私だったら異動希望先は人口13億人の、マハラジャも踊るインドですよ。

これはすごい人が出ました。

このまま仲川さんの活躍を追っていきたいと思います。

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