にしゃんた教授の経歴や家族は?参院選は日本の国際化のために

「にしゃんた」という人物が、2019年夏の参議院議員選挙に立候補するというニュースが入ってきました。

に、にしゃんた? 猫ひろしさんの親戚かしら? と思ってしまった管理人は大変失礼だったと思います。すみません。

写真を見てびっくり、バリバリの外国人。

しかも名前がひらがなだったので、お笑い芸人系かとも思ったのですが、これまたビシバシの教養人で、大学で経済学の教授をされています。

そういえばテレビで見たことがありました。

外国人が日本の国政にかあ……と最初は抵抗があったのですが、これが調べるうちにじわじわと応援したくなってくる人物であったことが判明、以下レポートします。

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にしゃんた教授のプロフィール

何はともあれ、まずはプロフィールを。

本 名 ジャヤシンハ・アーラッチラーゲー・トシタ・デーワップリヤ・ニシャンタ
生年月日 1969年7月18日(2019年で50歳)
出身地 スリランカ・ セイロン(日本に帰化済
血液型 O (Rh+)
活 動 羽衣国際大学教授・講演家・落語家
言 語 日本語(関西弁・京言葉対応)・英語・シンハラ語
家 族 父(国営銀行の行員)、母(教員)、7才年下の妹(教員)の4人家族
妻(日本人女性)
最終学歴 立命館大学経営学部、名城大学大学院、龍谷大学大学院
現在の
代表番組
モーニングCROSS・テレビ寺子屋・垣花正 あなたとハッピー!
土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送
趣 味 日本、旅行、随筆、キャンプ、家族
特 技 日本語、落語、空手、読経

にしゃんた教授は、親日国である、スリランカ民主社会主義共和国生まれ。

セイロン島の中央にあるキャンディ市は、スリランカの仏教の聖地であり、またシンハラ人による最後の王都です。その歴史的な重要性から、ユネスコ世界遺産にも登録されています。

「にしゃんた」とは、母国語のシンハラ語で「夜明け」を意味しています。

母が作ってくれたバナナの葉っぱに包んだお弁当が、世界一美味しかったとのことです。

お父さんがスリランカの国営銀行勤めていたので裕福だったのでしょう、7才から小・中・高一貫教育の全寮制の男子校「St Anthony’s College」で教育を受けています。


この時期にラグビー部に所属し、高校最後のシーズンは副主将として全勝しているし、生徒会長にも選出されていますので、まさに文武両道。


小さいときからボーイスカウトとして活動していて、1985年にPresident Scout(大統領スカウト)に選ばれました。

にしゃんた教授は1987年、18歳の時にボーイスカウトのスリランカ代表として初来日。(その時に大津市坂本にホームステイしています)。

当時の日本はバブル真っ只中で、街中のネオンがとても眩しかったことが印象に残っているそうです。

いっぽう母国のスリランカは、「スリランカ内戦」と呼ばれる混乱の真っ只中で、2009年で政府軍が勝利するまで、ずっと政情不安な時期が続いていました。

日本に来なければ、にしゃんた教授は徴兵されて、戦死していたでしょう。お父さんは、おそらくですが、息子を死なせたくなくて国外に出したのではないでしょうか。

ドル円が135~150円程度の時期に、父親が家を担保にしてつくった7万円と片道の航空券を手に、「日本で幸せになろう」と思って再び来日、比叡山の麓の町・阪本で第二の人生をスタートさせました。

雄琴温泉で布団敷きのアルバイトをしながら、京都YMCA日本語科に通って、来日1年で日本語能力試験一級に合格、立命館大学入学。非漢字文化圏出身者がですよ、すごいです。

学費はどうしていたのかな、7万円じゃ足りないじゃんと調べたら、日本で留学生第1号となる新聞奨学生(読売)でした。




立命館大学に通いながらも先が読めず、案内役がいるわけでもなく予定も立たない。何もかも手探りで生きるしかない不安定な状況がしばらく続きます。

しかし、バブル時代は「国際」と名前のつく催し物は多く、数々の国際交流イベントをはしごして、行く先々で周りの人に良くしてもらえました。

在学中に、全国空手道連盟公認四段、公認指導員や公認審判員資格まで取得。出世払いで月謝は免除されたそうです。

しかも多数の弁論大会で優勝し、「スピコン荒らし」というあだ名までつきました。これは勲章ですよね。

4年間、毎日毎日、朝刊や夕刊を配りながらも学業成績は優秀で、学部総代で大学卒業されています。すげえ。いったいどうしたんだ日本人。

アルバイトと周囲の好意により、大学時代に出来た貯金は300万円。

しかし、にしゃんた教授は就職問題で壁に当たってしまいます。

大学卒業を間近に控え、就職活動を始めてすぐに「国際」の冠についている団体に就職を申し込んだら、「国籍条項」でハネられてしまったのです。

つまり、日本人でないと正社員採用はできない、ということです。

さらに、在学中にラグビーの試合で怪我をし、医師の誤診により治療が数年遅れて足に障害が残ったため、抜群の身体能力を活かした仕事は、選択肢から消えてしまいました。

これらの要因のため、にしゃんた教授は結局は「消去法」により、アカデミズムの世界に就職する選択をしました。

大学卒業後は大学院に進み、名城大学で修士号(商学)、龍谷大学で修士号(経済学)、2003年、33歳で博士号(経済学)を取得しています。

その後は山口県立大学准教授を7年間つとめ、2010年からは羽衣国際大学で准教授、後に教授になっています。

私などは素直にすごいなあと思うのですが、この道は決してにしゃんた教授の本意ではありませんでした。

にしゃんた教授は、2005年の36歳の時に日本国籍を取得しています。

にしゃんた教授の家族は?

日本国籍を取得して3年後、39歳で日本人女性と結婚。

しかし、当初は奥さんの両親からは3つの理由で大反対されています。

①肌色が褐色の孫は(日本の社会で虐められるから)困る

②母国を捨てた人間は(結婚以前に日本国籍を取得していたため)妻や子をも捨てる可能性があるから信用できない

③仏教徒かつ長男であるのに、実家の墓を守っていないことがだらしがない。

①はわかるんですけど、②は偏見、③はいくらなんでもこじ付けだろうと、日本人の管理人は感じます(笑)。両親の世代的にしょうがないのでしょうが。

奥さんは4歳年下の人で、現在は小さな宿を営んでいるそうです。

お子さんが2人います。

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にしゃんた教授の諸活動

にしゃんた教授のニックネームは「ミスターダイバーシティ」。

あらゆる違いや変化を楽しみ、学び、力にする利点や喜び、また多様性と包摂•社会参画 の必要性について語り、行動しています。

現在は、大学で教鞭をとる傍ら、テレビ・ラジオなどで活躍。情報・報道番組のコメンテーターからバラエティ番組まで幅広く、全国で講演活動を行っています。

他にもこんな肩書きが。

  • 京都府名誉友好大使
  • 多民族共生人権教育センター理事
  • 献血大使 (日本赤十字社、献血推進活動)
  • 日本南アジア学会、日本国際文化学会

なんかもうですね、活動範囲が広すぎて追えません。

年齢制限のある職業以外なら、だいたいのことはできる人なのではないでしょうか。

株式会社グローバルコンテンツ

にしゃんた教授は名城大学大学院在学中に、株式会社グローバルコンテンツを仲間と共に立ち上げ、初代の代表取締役に就任。

もともとは阪神・淡路大震災で被災した外国人への多言語情報提供を機に発足したNPO法人「多文化共生センター」で、の6年間の経験と蓄積をもとに、2001年2月に設立。

主な事業は

1.在日外国人向け多言語携帯サイトの運営(英語、スペイン語、ポルトガル語、フィリピノ語)

2.多言語によるWebサイト開発(PC、iPhone、携帯)

3.自治体向け多言語情報提供システムの開発

4.iPhoneアプリ作成など

日本国内の言語的少数者の方を対象に、多言語で情報を発信する、携帯電話ポータルサイトなどの運営が目的です。

タレント活動

2008年に、近未来(2050年代)の日本(京都)の国際化を題材にした映画『地球のヘソ』で主演俳優デビュー。

茶目っ気たっぷりの明るいキャラクターで関西を中心に人気に火がつき、全国へ広がった形です。

現在もモーニングCROSS・テレビ寺子屋・垣花正 あなたとハッピー! ・土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送に出演しています。

口調は落語調で、数分に一回笑わせる巧みな話術と愛嬌で、ゲストや視聴者のハートを掴み、最後に全員がファンになると評判です。

オフィス・トゥー・ワンやオスカープロモーションに所属していました。

落語家

2008年、テレビ番組の共演で知り合った桂春蝶(かつらしゅんちょう)軽い気持ちで落語を教えてほしいと頼んだら稽古をつけてくれ、2009年ワッハ上方「落とし頃なお年頃 芸能界落語部」で高座デビュー。

ジャンケンで決めた順番によってにしゃんた教授がトリを務め、初めての舞台にして誰よりも笑いが多く、あまりにもウケが良かったので、本人は「自分に才能がある、いける」と勘違い?して、落語を継続。

続く「初代社会人落語日本一決定戦」準優勝で異色の落語家として注目され、落語付き講演会の舞台が増えました。

この大会は、本人が全国ネットのテレビに露出する大きなきっかけにもなりました。

桂文枝、三遊亭好楽にも認められ、教えを受けています。

関西弁や京都弁もOKという言語マニアという側面も持っているんですねえ。

落語で身につけたスキルやセンスを活かし、講演で話すときも、難しいことでもいかに楽しく笑いの中で伝えるのかを心がけているそうです。

僧侶

日本に来て25年が経った頃、身内の不幸を機に、家庭内に宗教がない事に気付き、お経を覚えたく仏門を叩く。

得度授戒、僧籍取得。以来朝勤と夕勤が日課となりました。

えっ何、一般的な日本人でも読み下せないお経まで読めるんですか教授。

とにかく行動力すげえです。

まとめ:日本人以外の視点を持つ人はこれから重要だと思う

いい話ばかりではなく、難しい日本語に四苦八苦し、お金もなく、差別やいじめを受け、ときには円形脱毛症になりつつも、「いつかは日本で一旗あげてやる!」の一念で、笑顔で25年間を乗りきったにしゃんた教授。

来日した頃のバブルが終わって30年、いま再び耳にするようになった今回の「国際貢献」は、技能研修生の受け入れです。

当時の日本人が持ち合わせていた心のゆとりや優しさが、人口減、労働力不足に低賃金化の流れが原因で低下してきてはないか、とにしゃんた教授は憂慮しています。

現在の国会議員さまの外国人受け入れ問題や労働問題についての認識は、あまりにもトンチンカンで、同じ日本人でも彼らの理解に苦しむ中、日本人の枠を少し離れたセンスを持つ人の考えや視点を取り入れ、その意見を仰ぐことも、今後重要になるのではないでしょうか。

やはりまだ抵抗感はあるので人選には慎重にしたいところですが、これだけ長期間日本に滞在し、日本国籍を有し、僧籍まで取得し、日本に家族を持っている親日家の方なら、私はまずは1人くらいいてもいいと思います。

少なくとも日本人の元スポーツ選手の参議院議員よりはよっぽど勉強されてますし、国会議員政策担当秘書の難資格まで取得しています。彼は本気です。

当ブログはにしゃんた教授を応援しています。

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