朝鮮半島は、中国のバックアップを得た北朝鮮主導で統一されるんじゃないかなーと思ってます。
だって韓国、統一統一と叫んでますが、具体的な行動ぜんぜんおこしてませんし。
中国の支援を受けた北朝鮮が統一を唱える方が、よっぽど現実的です。
最近、韓国も中国や北朝鮮よりになってきてるし、あちらのグループに入るための日本バッシングもすごいことになってきてるし(内政の失策から国民の目を背ける目的もありますが)、統一宣言が出る日も近いんじゃないでしょうか。
だいたい、朝鮮半島は有史以来、ずーーーっと中国の属国のようなものだったのですよ。
第2次世界大戦から韓国は資本主義国で、長いあいだアメリカ陣営よりだと言われてきましたが、歴史的な背景というのは、たった50年100年で覆るものではないと思います。
朝鮮半島が、精神的にどれだけ中国に近いのかを、歴史的に見てみましょう。
【参考】
檀君神話
朝鮮半島の神話は「檀君神話」と呼ばれるものです。
太古の昔、桓因という天帝の庶子に桓雄がいた。天帝・桓雄は常に人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
部下3000人を率いた桓雄は、風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間世界を治めさせた。
このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、「人間になりたい」とを懇願した。
桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。
熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず、人間になれなかった。
桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹を産んだ。
檀君は1500年間も国を治め、周の武王が即位した己卯年に、箕子を朝鮮に封ずると、壇君はかくれて山神となった。寿命が1908歳であった。
にんにくは当時朝鮮半島になかったので、1900年代に入ってから地方伝説をまとめた創作と言われています。
神話では「天帝の子である桓雄と、人間の女に変身した熊との間に生まれた子供が、朝鮮開祖の檀君である」とされていて、これはいわゆる獣祖伝説です。
獣祖伝説は「動物の不思議な力や生命力」を崇拝の対象とする内容がキモで、モンゴルのチンギスハンが「蒼き狼」を祖先としている例が典型的。
獣祖伝説を持つ民族は、たいてい祖先である動物を崇敬し、大切に扱っているものですが、現在の朝鮮半島には、熊に対する崇敬の念は特にありません。
この檀君神話の中では、熊も虎も、まったく崇敬の対象とは思えないどころかむしろ、明確に「人間より格下の存在」とされています。なにしろ熊と虎が「人間にしてくれ」と懇願するのですから。
獣神であっても、人と交わるために便宜上人間になることはあります。
しかし檀君神話においては、熊は最初から熊女に変身するまで、ずっと獣の熊で虎に至っては、人間にすらなっておりません。
檀君神話を知っている人は少なくないと思いますが、この内容から、熊や虎に対する崇拝の念がまったく感じられなかったのは、私だけではないでしょう。
この檀君神話について、私の仮説は以下のとおりです。
神話における天の国とは中国であり、桓因(天帝)とは即ち中国皇帝のことで、桓雄とはその臣下の一人ではないでしょうか。
桓雄を「庶子」と表現していることから、彼は皇帝の寵臣ではなく、むしろ化外の地(中華文明の及ばない僻地)であった朝鮮半島しか与えられない下級家臣か、高い位の人であっても左遷された家臣だったことを思わせます。
神話の中の天帝の庶子桓雄は、何不自由ない天の国に安住することを望まず、未開の人間の国に降臨することを強く望んだとされています。
華夷思想では、中国皇帝の教化の及ぶ範囲こそが「人間の国」であり、「中心の国」。
「天の国の住人の国から見た人間の国」とは、「中国から見た化外の地」のを表しているのでしょう。
これ以上の出世が期待できない中国で飼い殺しの人生を送るか、たとえ辺境の地であれ、一国の王として君臨するかの選択を迫られたとき、家臣「桓雄」は後者を選んだのではないでしょうか。
こう考えたとき、「風、雨、雲を司る三人の神」と「部下三千を率い」、「天符印三個」を持って朝鮮半島に降臨したというくだりからは、「桓雄」が天候や農業に詳しい知識人、そして一族と郎党を率いて、先進技術や農業器具を携えて未開の朝鮮半島に進出してきたことがうかがわれます。
桓雄率いる先進国・中国からやってきた入植者たちが、中国の最先端技術によって原野を開拓していくのを見た朝鮮半島の原住民には、桓雄が神のように見えたでしょう。
何しろ原住民は「穴ぐら」に住むような生活をしていたのです。
従来の解釈では、「熊」と「虎」をそれぞれ別の部族と解釈していますが、「同じ穴ぐらに住んでいた」とわざわざ述べられていることから、この二頭の獣(原住民)は違う部族とは思えません。
私はこの獣らは同部族で、「熊」を女性、「虎」を男性と考えています。
原住民たちは、ヨモギとニンニクだけという粗末な食物を与えられ「日に当たらず物忌みせよ」と桓雄に命じられます。
となると、原住民はあまり条件の良くない土地に押し込められたのではないでしょうか。
桓雄が武力を用いて侵略したのかどうかはわかりませんが、多少のいざこざはあったでしょう。
しかし文化の差はいちじるしく、原住民はあっさりと武力で制圧されます。
支配民族と被支配民族との関係においては、男子は根絶されますが女子は残され、支配民族と混血するのが歴史の常。
この檀君神話においても、まさに熊=女性原住民は桓雄と交わり、子供を産んでます。
檀君神話は、支配民族と被支配民族との関係を投影したものではないかというのが、私の解釈です。
ペ・ヨンジュン主演の『大王四神記』です。
箕子朝鮮(?~紀元前194年)
もっと言えば、檀君神話にも登場する箕子こそが「桓雄」なのではないでしょうか。
箕子は、中国の王族の出身であり賢者でしたが、甥である殷の紂王に迫害され、狂者のふりをして逃れたといいます。
殷の滅亡後、周の武王は箕子を朝鮮に封じ、「朝鮮侯箕子」としています。
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衛氏朝鮮(紀元前195?~紀元後108年)
衛氏朝鮮は、中国の春秋戦国時代の「燕」という小国に出自を持つ、中国人亡命者である衛満が建国した国です。
それはさておき、この衛氏朝鮮も同様に、中国人の貴種による亡命政権でした。
檀君神話と同じようなことが繰り返されたのでしょう、いえ春秋戦国時代を戦い抜いた燕国の軍隊が逃げてきたのですから、もっと血なまぐさいことになっていたかもしれません。
余談ですが、燕国の滅亡によってほぼ中国が統一され、秦王政は始皇帝となるため、ここで大人気漫画『キングダム』のラストを飾るのではないかと考えてます(笑)。
ラスボスは燕に亡命した桓騎説を支持しています。
楽浪郡時代(紀元前108~紀元後313)
秦を滅ぼした漢が設置した、朝鮮半島北部における出先機関で、他にも真番郡、臨屯郡、玄菟郡がありました。
箕子朝鮮と衛氏朝鮮の遺民は、半島の南部に押しやられます。
前三国時代(紀元前108頃~4世紀半ば)
南方に追いやられた先住民族は南下し、馬韓、弁韓、辰韓の3国に分裂します。
朝鮮半島の北半分を占める楽浪郡から中国の文化を受容しつつ、南半分を分割統治していた三韓が、国家としての体裁を整えていく時代です。
三国時代(4世紀半ば~668)
楽浪郡のかわりに高句麗が台頭し、馬韓、弁韓、辰韓はそれぞれ百済、伽耶、新羅になりました。
伽耶国はまもなく百済に吸収されて消滅し、この時代の三国時代とは、高句麗、百済、新羅を指します。
百済、高句麗、新羅の三国が朝鮮半島の覇権を争っていたこの時代、もっとも弱小だった新羅は、唐と連合して百済を破り、半島で最も強大だった高句麗さえ滅ぼしました。
その後の新羅は朝鮮半島は統一したものの、しかし唐の圧力に屈し、実質的な属国状態となります。
↓↓↓高句麗の伝説の初代王・朱蒙を主人公にした大人気韓国ドラマ『朱蒙』。
なお、現代の韓国では、白村江の戦いで日本軍を撃退した、第19代高句麗王の好太王が大人気です。
↓↓↓広開土王を主人公にした韓国ドラマ『広開土太王』。
↓↓↓先ほどの『大王四神記』も、ペ・ヨンジュン演じる広開土王の物語です。。
統一新羅(676~935)
7世紀の新羅は、武力を増した高句麗と、伽耶を併合した百済からの圧迫により疲弊していました。
追い詰められた新羅は唐の支援を求め王族の金春秋を高句麗や日本に派遣したものの、成果はありません。
しかしその後の648年、唐に派遣された金春秋は太宗の厚遇を受け、新羅の支援を得て同盟関係を結ぶことに成功。
息子を人質として唐に残して帰国し、唐の恭順を示すため、650年からは新羅独自の年号を廃止し、唐の元号を使用しました。
金春秋(のちの武烈王)は唐の冊封を受け、新羅王となって百済と高句麗を滅ぼし、半島を統一するかわりに、これを前例として以降の朝鮮半島の国家は、すべて中国皇帝の冊封下に入ることになります。
↓↓↓『冊封』とはこういう意味で、中国皇帝にこういう態度をとらなければならない状態が1500年続きます。
冊封とは、中国の周辺国の王様が、中国皇帝に貢ぎ物(税金)を贈り、皇帝の名の下にその国の王様であるとお墨付きをもらうこと。
中国皇帝の家臣として皇帝の保護下に入れば、皇帝の権威を後ろ盾にして、国内で王としての権力をふるえます。
そうすれば大国・中国に攻められる心配がなく、もし他国が攻めて来ても、皇帝の名の下に調停してもらえるし、それでも戦争になったら援軍を送ってもらえるのです。
中国にとっては僻地までインフラ整備の土木工事や軍隊を駐屯させる費用を節約しつつ『お前は俺の子分だ』と言っておけば、小国が珍しい貢ぎ物や美女を、税金がわりに納めてくれます。
周辺国の王も、皇帝を『中国皇帝さまー!きゃーカッコイイ(*´∀`*)』とおだてあげておけばいろいろ便利で、国民や親戚相手にでかい顔できます。
そのかわり、貢ぎ物をしっかり送ってたくさんアゲアゲして皇帝の機嫌を取らないと王様になれません。
相続争いで弟が皇帝にたくさんの賄賂を贈り、王位に就けなかった皇太子もいっぱいいるのです。
日本古代史に出てくる卑弥呼も、中国の冊封下に入りました。
現代まで続く、中国冊封体制の基礎を作った人です。
高麗(918~1392)
高麗はすごかった。
1259年にユーラシア大陸を征服したモンゴル民族の国・元が年に高麗を征服して以後、高麗王室は忠烈王が世子時代(即位前)には元国に人質として滞在することになります。
さらには高麗国王になるため帰国して即位すると、元国の王女の降嫁を受けることが習慣となりました。
何世代も元国王女を正妃として迎えたため、高麗後期には、高麗国はほとんどモンゴル民族になってしまったのです。
漢民族と違ってモンゴル民族は、朝鮮半島国家の内部に直接干渉してきました。
高麗は、事実上モンゴル帝国内の「封建領主の一人」となってしまったのです。
↓↓↓元寇の際、モンゴル軍との対馬における壮絶な戦いを描いた『アンゴルモア』。
何巻かは忘れましたがこの中に、高麗の皇太子の描写が出てくるのですが、中国(元)に対するへりくだりぶりがものすごいです。
モンゴル語をペラペラに操り、服装も髪型もモンゴル風にし、身も心もすっかり「モンゴル人」になってしまった世子(王太子)が出てきます。
高麗のモンゴル化に反対していた自分の父親でさえ殺害し、フビライハンの王女を娶るまで気に入られますが、「私の隣に座れるにふさわしい男になりなさい」とまで言われ、その王女に隣に座らせてもらえません。
高麗王は元の王女より格下だったのです。
高麗は極端ではありますが、冊封体制とはこういうことなんですね。
↓↓↓高麗貢女、つまり「高麗人の奴隷」として元に献上された貧困の家に生まれた女性が、元皇帝の皇后にまでなった例があります。
モンゴル民族は、忠誠を誓った異民族にはたしかに寛容でしたが、いったいどういうドラマがあったんだろう……。
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李氏朝鮮(1392~1910)
韓国ドラマの舞台として多く取り上げられているのが李氏朝鮮時代。
ドラマの中のフィクションは華やかですが、この時代の特色で有名なのが『両班(リャンパン)』という、王族以外の身分階級の最上位に位置していた貴族階級層。
しかし、500年ものあいだ、中国の冊封体制下にあったことはずっと変わりません。
事大主義(強い勢力に付き従うという考え)の影響で、中国にさえ頭を低くしていれば外圧は回避され、自分たちの身の安全は保証されています。
王族や両班たちの関心は自分たちの財産の蓄積にのみ向かい、身分・序列を厳しく守る儒教の教えをタテにひたすら私権闘争に奔走、「民を大切にする」という気持ちを失っていきました。
身分が低い階層を徹底的に弾圧する両班と、餓死していく国民を放置しておく国王。
ロシア大蔵省が調査した朝鮮の資料を、日本の農商務省山林局が抄訳した「韓国誌」に次のように紹介されています。
両班は富裕な商人や職人を拉致監禁して身代金を要求する。
多少なりとも恥を知る両班であれば、借用という名目で金を巻き上げるが、それが返済されたためしはないので、誰もそれを信じない。
参考:『李朝社会の特権階層』(中公新書)より
普通の国だったら庶民を守るべき特権階級が、自国民の財産を収奪するのが日常風景だったということです。
カナダ人ジャーナリストのマッケンジーは、著書『朝鮮の悲劇』でこう書いています。
私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしにしていながらも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。
『どうしてそれらの土地を耕さないのか?』と聞いたところ、『耕せば耕すほど、税をとられるだけのことだ』という返事があった。
要するに李朝末期の朝鮮の状態は、一般民衆にとっては最悪だったということです。
儒教では君子は何もしないで本を読んでいるのが理想とされていましたから、職人は軽蔑される存在、これでは技術は発達せず技術者の養成もできず産業が成り立ちません。
両班は働かないどころかキセルですら自分で持たないし、水で顔を洗う時も腰をかがめず天をあおいで顔に水をかけていたなど、呆れるくらい徹底して何もしないのが「カッコイイ」という価値観。
こんな階級が、李朝末期の人口の48%にまで増大(賄賂で身分を買った人が多かった)した季朝末期の民衆の苦難は、想像を絶します。
国の半分の人口が、何もしないで食べているのですから。
李氏朝鮮末期の民衆は、泥と糞尿にまみれ、異臭の充満する不潔な環境で、絶対権力者から理不尽な虐待と搾取を受けるのみの生活を営むだけというありさま。
この事態を招いた原因は、儒教思想による身分制度の絶対性からくる、「民への慈悲の欠如」だったのです。
長くこのような時代が続き、民は未来への可能性を見い出せず、賄賂や身分詐称が横行しモラルも下がり、全ての気力を失っていきました。
↓↓↓韓国版ロミオとジュリエットとして人気の古典『春香伝』。
身分違いの男女が苦難の末に結ばれる物語ですが、ヒロインの春香は身分の低い妓生階級出身だったため、いくら愛し合っていても確か正妻にはなれなかったはず^^;。
大韓帝国(1897~1909)
1897年、日清戦争において日本が勝利した結果、下関条約により、朝鮮は日本の後押しで清の冊封体制から離脱しました。
これは日本の国防における視点から、ロシアの驚異から日本を守るためには朝鮮半島を独立させなければならない、という伊藤博史の優れた判断によるものでした。
国名を大韓帝国と改め、実に2000年の中国の影響下から抜け出し、日本の保護国となりました。
日本統治時代(1910~45)
しかし、韓国統監府初代統監・伊藤博史の安重根による暗殺をきっかけに大韓民国は日本に併合されます。
しかし朝鮮民族にとっては、今まで中国に事大してきたのと同様に、日本に事大しただけです。
李朝末期の王族や両班による理不尽な虐待やあらゆる搾取が、日本の役人によって取り締まられるようになりました。
私たち「日本人的感覚」では、民の不幸の要素のいくつかを、多少は取り除くことができたと考えます。
しかし、現実の韓国人は、全くそうは思っておりません。
連合軍管轄期(1945~48)
日本が太平洋戦争に負けたため、今度は連合国軍の管轄下に入ります。
北緯38度線以北をソビエト連邦軍が、同以南をアメリカ軍が管轄することに決定。
1948年には、朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がそれぞれ樹立しました。
もちろん北はソビエト、南はアメリカの、それぞれ傀儡政権です。
大韓民国(1948~)
1950年には、この南北両国間で生じた、朝鮮半島の主権を巡る国際紛争「朝鮮戦争」が勃発。
1953年に板門店で休戦協定が調印、38度線で軍事境界線(DMZ)確定し、現在に至ります(休戦しただけで終了したわけではないんですよね)。
その後の大韓民国については、こちらをどうぞ。かなり危なっかしいです^^;。
↓↓↓
朝鮮半島が、1948年に自国民のみで独立してやっと70年、1世紀は経過しておりません。
まとめ:強い国に従うのは、朝鮮半島の自然な処世術
こうして見ると、紀元前200年から紀元後2020年までの合計2220年間、朝鮮半島がどこの国の冊封下に入っていたかというと、
・中国…………2097年
・日本…………48年
・アメリカ+ロシア…3年
・独立…………72年
と、中国の冊封下にあった期間が、圧倒的に長いのです。
中国は、本心はずーっと昔から、朝鮮半島を自国の領土だと考えています。
現代においても朝鮮半島を自国領土と国際的に認めさせるには、北朝鮮と韓国それぞれを自国に組み入れるような強硬手段をとるよりも、北朝鮮をバックアップして半島を統一させてから朝鮮半島を吸収すれば、手間やコストは一度ですみます。
また、かなりの経済力を持った韓国を懐柔するのは、現在の中国の経済力でも少々困難ですが、北朝鮮なら懐柔するのは簡単です。
そして北朝鮮が中国と地続きというのも、中国にとっては大きな利点。
朝鮮に限らず半島というのは地形的に陸からも海からも攻めやすく、独立国家を維持するなら、陸軍と海軍をしっかり育てないとなりません。
しかし、石油でもガンガン出るのなら別ですが、半島国家が単独でそれをやるには負担が大きすぎます、大国の庇護下にあるのが一番コストがかからないのです。
特段資源が豊富な土地でもないため、朝鮮半島は長らく中国が気まぐれに収奪できるおもちゃだったのです。
それでも朝鮮半島的には中国に恭順しておくのが、いちばんコストのかからない平和の道でした。
朝鮮半島の処世術は、その地政学的な条件から、どこか力のある国の影響下にあることが一番安定します。
日本の国力は当分回復しないため、現在経済力がどんどん強くなっている中国に事大するのが、自然な成り行きではないでしょうか。
【参考】
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