小林麻央の乳がんの経緯や最期は?海老蔵が手放せないブログの影響力

コメントを取れば、ふた言目には「麻央」「麻央が」「麻央も」「麻央」「麻央」……。

ニュースになれば必ず「麻央」という名前に女性に触れる人が、日本には2人ほどいます。

歌舞伎役者の市川海老蔵さんと、元アナウンサーの小林麻耶さんです。

この「麻央さん」とは、小林麻耶さんの実妹であり、市川海老蔵さんの奥さんで、34歳という若さで、2017年7月にがんで亡くなってしまった女性のこと。

何かと話題の多く、キャラも濃い(笑)2人ですが、こんな彼らがいまだ忘れられない女性・麻央さんとはどのような女性だったのでしょうか。

そして、現在もまだ麻央さんの名前を、何かにつけてコメントに加える理由とは何なのでしょうか?

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小林麻央さんのプロフィール

まずは、基本的な経歴を確認。

本 名 堀越 麻央(ほりこし・まお)
出身地 新潟県小千谷市
生年月日 1982年7月21日
没年月日 2017年6月22日(34歳没)
最終学歴 上智大学文学部心理学科
所属事務所 セント・フォース(最終所属)
活動期間 2003年 – 2017年
配偶者 堀越寶世(十一代目市川海老蔵)
家族 小林麻耶(姉)
三代目市川ぼたん(義妹)堀越麗禾(長女)
堀越勸玄(長男)

姉の小林麻耶さんと比較して性格は?

清楚な雰囲気と、少し前までやんちゃな性格が見え隠れしていた海老蔵さんを支える姿に、「良妻」という言葉がぴったりな小林麻央さんですが、実際の性格はどうなのでしょうか?

もともと、小林麻耶さんが出演していたテレビ番組「恋のから騒ぎ」に、麻耶さんのすすめで出演したことが、テレビ出演のきっかけになっています。

2001年度出演時、麻耶さんは「超ぶりっ子」として女性からはちょっとひんしゅくを買っていましたが、これはこれで見事に男性の心を掴んで大人気でした。

翌年の2002年度に出演した小林麻央さんは、「上智大学在学中の賢い上に美人!」というキャラで、麻耶さんとは全く違う性格という印象が強かったです。

実際、麻耶さんは甘えん坊な性格で、麻央さんはとても落ち着いた性格という違いがあります。

昔から、麻央さんが姉だと勘違いされることが多いくらいに、大人っぽいところがあったようです。

普通なら、「自分が姉なのに!」と思ってしまうようなところを、麻耶さんは「そういう麻央が好き」と、妹を溺愛している発言をよくしていました。

ある意味、バランスのとれた姉妹なんでしょうね!

また、とても努力家で「恋のから騒ぎ」に出演後、もっといろんな人と出会いたいという夢を抱いて、アナウンサースクールに通ったり、海老蔵さんと出会った後は料理教室似通うなど、自分を高める力がある人です。

実際に、アナウンサー試験は受けませんでしたが芸能事務所に所属し、海老蔵さんとも結婚するなど、自分が目指す先をしっかりと見据えられる人だと感じます。

そんな麻央さんを、いつも姉の麻耶さんは「自慢の妹」と話していました。

市川海老蔵さんとの簡単ななれそめ、結婚生活

市川海老蔵さんとの出会いは2008年12月。

小林麻央さんがフリーアナウンサーとして出演していた「NEWS ZERO」の取材時のことでした。

海老蔵さんは、麻央さんに出会った瞬間「この人と結婚するかもしれない」と感じたようです。

結婚って、意外に本能的に感じるものもあるのかもしれませんね。

どちらかと言えば、海老蔵さんが麻央さんに一目惚れでメロメロだった印象です。


すぐに交際をスタートさせた2人は、2010年1月に婚約し、3月には結婚。

結婚してからは、しっかりと海老蔵さんを影で支え続け、派手な芸能界で暮らしてきた人とは思えない良妻賢母ぶりが、今までも高い評価を得てきました。

そんな小林麻央さんの印象をより良くしたのが、かなり世間を賑わせた海老蔵さんの暴行事件です。

昔からプライベートではやんちゃなことで有名だった海老蔵さんですが、2010年11月のまだ結婚して間もない頃、海老蔵さんが日頃から行っているバーに居合わせた男性らとトラブルになり、1人の男性に海老蔵さんが暴行されるという衝撃的な事件が起きました。

この時、小林麻央さんとの結婚生活も危ぶまれましたが、小林麻央さんは「支えていきます」と発言し、実際に静かに海老蔵さんに寄り添っていました。

この事件から、海老蔵さんはかなり改心し、さらには小林麻央さんへの感謝の気持ちが強くなったようです。

翌年の2011年7月には長女を出産、2013年3月には長男を出産するなど、結婚生活が良好なことをアピールしています。

小林麻央さんは、あまり表舞台には出てこなかったので、2ショットを見かけることはそこまで多くありませんでしたが、海老蔵さんがとても小林麻央さんを大事にしている様子はブログから伺い知ることができます。

結婚当初は、海老蔵さんの性格や女性問題から不安視されていましたが、やはり海老蔵さんの直感は当たっていたようで、小林麻央さんとの結婚生活は非常に穏やかなものだったようです。

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乳がんの経緯と病状の進行具合

長男出産後の2014年頃に、海老蔵さんの付き添いで受診した人間ドッグで乳がんの疑いがあると診断されました。

まだ、小林麻央さんが31歳の時です。

長男が生まれたばかりで、きっと不安がたくさんあったと思います。

この時、左乳房に腫瘍があり、ガンかどうかは半々、という話でした。

すぐに再検査を受けるも、触診・超音波検査・マンモグラフィーを行った後「ガンではない」という診断をされます。

小林麻央さんは「腫瘍の一部を切り取って詳細を調べなくてもいいのですか?」と聞きましたが、この時の医師は、半年後の再検査でOKだと言ったようです。

ところが、この半年後の再検査に小林麻央さんは行けなかったのです。

後々、小林麻央さんはとてもこの行動を後悔していました。

乳がんの疑いがあると言われてから8ヶ月後の2014年10月に、自分の左胸に触れた時しこりを見つけた小林麻央さんは、検査を受けます。

再検査では、生体検査も行い、乳がんであることが判明し、乳房だけではなく脇にも転移していることがわかりました。

この時、自分でしこりを見つけなければもっと遅かったのかもしれない、と思うと複雑な気持ちになります。

そこから、極秘治療が始まることになります。

小林麻耶さんも姉なので、当然知っていたと思いますが、心労からか2016年にテレビ番組撮影中に倒れ、そのまま長期療養に入りました。

ここで、マスコミにも小林麻央さんががんなのでは?という噂が広がり、海老蔵さんが記者会見を行なっています。

その際「非常に深刻な状況」と話したことが、取り沙汰されました。

海老蔵さんが記者会見後、小林麻央さんはブログを開設。

すでにがんのステージが「4:であり、肺や骨に転移していたことを公表しています。

手術で切除する等の選択肢を選ぶことはもうできない段階でしたが、外出して子供の運動会に参加するなどして、退院するまでになったことは同じ闘病している人の希望になったと思います

ですが、2017年に皮膚や腹部、顎への転移が見つかり在宅医療に切り替えました。

やっぱり、小林麻央さんとしてもずっと病院にいるより、家族との時間を少しでも増やしたかったのだろうと思います。

民間療法にすがったのは本当か

乳がんが見つかり、公表されるまでは1年以上かかっています。

その間、どのような治療をしていたのかは明確に公表されておらず、あまり知られていませんが、民間療法をとったのでは?と言われているんです。

小林麻央さんは、3人目の妊娠を強く望んでいて、標準治療と呼ばれる手術や抗がん剤治療、放射線治療などがん治療と言えばとイメージされるような治療に抵抗があったと噂がありました。

実際、2016年までは手術も行わなかったようなので、妊娠を望んでいたのは本当かもしれません。

噂では、温熱療法や酵素風呂、ジュースクレンズなどの通常医療に代わるような療法を行っていたのでは、と考えられています。

できたら、乳房を切らずに……と思って、民間治療をしたとしても不思議な話ではありません。

公表されていないので、憶測でしかありませんがこの期間がなければ、5年生存率は90%を超えていたのでは?と言われています。

ただ、小林麻央さんのがんは非常に進行が早いものだったようなので、確実とは言い切れません。

それくらい、がん治療の方針を決めるのは難しいということです。

小林麻央さんの最期

2017年5月に病院での治療から、在宅医療に切り替え、鎖骨下にポートを埋め込む手術を行った小林麻央さんは、自宅で家族との時間をゆっくりと過ごしていました。

この間も、発熱や倦怠感などに見舞われていますが家族と一緒だからこそ耐えられたのかもしれません。

2017年6月に容態が急変し、両親・麻耶さん・お子さん・海老蔵さんに看取られ息を引き取りました。

最期の言葉は「愛してる」だったと海老蔵さんは話しており、美談だ嘘だと言われていますが、鎮静剤を使用せずに息を引き取った方の多くが最期の言葉を残しているという話もよく聞くので、嘘とは言い切れないと思います。

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小林麻央さんのブログ「kokoro」の英訳とMVB認定

小林麻央さんは、闘病生活をリアルに公式ブログ「Kokoro」にアップしており、同じ境遇のブログ読者を勇気づけました。

やせ細った姿の写真も掲載されており、真央さんもブログを更新することが、生きる支えだったのでしょうか。

訃報が伝わった6月23日からの10日間で、1000万人もの人々が麻央さんのブログを訪れました。

しかし。

麻央さんが亡くなったのは6月22日ですが、その約1週間後の6月30日、海老蔵さんは麻央さんのブログを英訳し、海外に発信する意向を発表。

そしてアメブロを運営しているサイバーエージェントは、麻央さんのブログをMVBに認定。

これは麻央さんの夫・市川海老蔵に続き2人目となる措置です。

MVBになるということは、広告単価が優遇され、同じアクセス数でも収入の額が違ってくるので、また金儲け?という批判も多かったです。

しかし、これが残された二人の子のこれからの教育資金に使われるのなら、いいのではないでしょうか。

愛した妻の存在を無かったことにしたくなくて、ずっと誰かに知っていてほしいのでしょうね。

海老蔵さんなりのやり方があるのでしょうから、もうそっとしておきましょう。

まあ確かに、せめて49日まで待てなかったのかなとは思いましたが……。

まとめ:秘すれば花はどこ行った

「なんかやっぱり海老蔵」という感じで、麻央さんのことは好きでも嫌いでもありませんでしたが、どうしてもビジネスの匂いがして、なんともいえない気持ちになります。

アメブロの広告収入が重要な収入の柱になっているであろうことは、借金を背負っている海老蔵さんも、ブロガーを目指して一時期芸能界を引退した姉の小林麻耶さんも同じ。

麻央さんの闘病時期は、ふたりのブログのアクセスは跳ね上がり、海老蔵さんのブログ収入の月収は300万円に達したとはよく言われることです。

この時のおいしさが忘れられないのも無理はなく、海老蔵さんと麻耶さんが現在も麻央麻央言っているのは、麻央さんの名前を出せば同情も引けるし、ブログ収入がまだ多少上がるからという一面はあると思います。

海老蔵さんは現在は、多少は心を入れ替えて再スタートを切りました。

奥さんを病気で亡くし、遺児2人を抱える悲劇の歌舞伎役者として、観客の感情をゆさぶる最高のストーリーを手に入れたわけです。

外野からいろいろ言われつつも、このように稀有なドラマティックな演出を最大限に利用して、海老蔵さんはたくましく次のステージへとステップアップしつつあります。

一方、姉の小林麻耶さんは、海老蔵+麻央ルートで話題を引っ張り続けることでゆうゆうブロガー生活を夢想していたようですが、結果的には芸能界に復帰しています。

なんの努力もしておらず中身スカスカな上に、海老蔵さんが小林麻耶さんのことなど自分のブログで一言も触れておらず、飽きられてブログ順位が下がりまくって生活に困ったようです。

小林麻耶さんにはそもそも戦略というものがありませんでしたね。

奥さんや妹を亡くしてまだ小さい子供2人いて、想像出来ないくらい辛いし寂しいことでしょう。

ただ、ここまで故人をいつまでもダシにされていると、なぜかあんまり応援できません。

【参考】

心屋仁之助とは宗教か モラルハザード商法の特効薬はほどほどに

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