皇室に閉じ込められた悲劇のスーパーレディ・雅子さまアゲアゲ祭りです。
さて、皇后雅子さまには2人の妹さんがおります。
名前を礼子さんと節子さんといい、なんと双子の姉妹です。
お母様の小和田優美子さんと娘3人の名前を並べると「優雅礼節」となり、なんと麗しい響きにあふれた家庭でしょうか。
皇室で不利な立場にあることを余儀なくされている小和田家は、雅子さまをずっと支えていました。
雅子さまの妹さんとは、どのような方々なのでしょう。
【参考】
紀子さまの弟の離婚理由と前妻や子供、川嶋舟を皇室利用したNPO法人
池田礼子さんのプロフィール
まずは、上の妹さんである池田礼子さんのプロフィールを見てみましょう。
名 前・・池田 礼子(いけだ れいこ、洗礼名:マドレーヌ(Madeleine)
生年月日・・1966年(昭和41年)7月8日(2019年で53歳)
職 業・・国際公務員。作家。翻訳家。
そ の 他・・国際連合児童基金(UNICEF)の駐日事務所副代表。
父親の小和田恆(ひさし)さんが外交官として世界各地に滞在していた時、そのうちのひとつであるスイスのジュネーヴ市で生まれました。
1973年、7歳の頃に礼子さんはキリスト教のカトリック教徒になり、「マドレーヌ」という洗礼名を授けられます。
生後しばらく同国ベルンの在スイス日本国大使館大使公邸で育てられましたが、帰国後に雅子さまと同じ田園調布雙葉学園・田園調布雙葉中学校・高等学校を卒業しています。
小和田恆氏がOECD日本政府代表部特命全権大使に就任したため、1988年(昭和63年)から一年間、両親と共にフランスに渡り、ソルボンヌ大学(パリ第4大学)に留学。
帰国後に慶應義塾大学(法学部政治学科)を卒業し、さらにスイスのジュネーヴ大学国際問題高等研究所大学院(法科大学院)を修了しています。
育った環境って大事ですね。もう人生で絶望的な差が出ていますorz。
その後、
・慶応大学在学中にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー試験(JPO)に合格し、
・1991年よりベトナムの国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務、
・1994年には中国・北京で過疎地の子供の健康・教育向上に携わり、
その後も国連の国際公務員として、「戦時児童」担当国連事務総長特別代表事務所、国際連合児童基金、及び国際連合本部などに勤めています。
ほかにも東京都港区青山・国連大学本部の国際連合ユニセフ駐日事務所副代表を務め、アメリカ合衆国・ニューヨークの国際連合事務局に勤務するなど、こちらも雅子さまに勝るとも劣らない国際的なキャリアウーマンです。
ユニセフと関わりの深い方で、2015年までは、(公財)日本ユニセフ協会の学校事業部アドバイザーとして活動されていました。
雅子さまは、外交官としてこのように働きたかったんだろうな……。
どうやら、「雅子皇后の妹」という属性を利用されてユニセフの広告塔にさせられていたらしく、現在は退職。
悪名高いユニセフなので、気づけて良かったです。
クリスマスイブは、愛子さまを連れた雅子さまとともに、池田礼子さん一家が暮らすマンションを訪れられ、クリスマスパーティーをされることが慣例になっています。
また、最近愛子さまの奥志賀高原スキー場における動画が公開されましたが、こちらにも池田礼子さん一家が同行されていたようで、雅子さまと非常に仲が良い妹さんです。
現在の活動内容
池田礼子さんの現在の活動としては「翻訳家」「作家」としての活動が主流のようです。
双子の妹である渋谷節子さんと、過去に『幸せなアウシュビッツを一人で生き抜いた少年』という翻訳に携わっていました。
それからは、あまり表の舞台には出てきていません。
過去に、皇室の宝物の品々がオークションで流出したという報道がありました。
このオークション騒動の発端には、池田礼子さんが関わっていたとも言われていたそうです。
そもそも皇室の宝物と呼ばれるものが本物だったのかはわからないですが……どちらにしろ、礼子さんがやったという証拠はありません。
雅子さまを快く思わない人々の、心無い中傷である可能性も高いです。
池田礼子さんの家族について
池田礼子さんの夫は米国ニューヨーク州弁護士の、池田祐久(いけだ まさひさ)さん。
「シャーマン&スターリング」という名前の、弁護士事務所にお勤めです。
父親は外務省に勤めている国家公務員で、ウィーン国連代表部大使などを務めた池田右二氏。
やはりええとこのお坊ちゃんで、東京都目黒区東山小学校、東京学芸大学附属竹早中学校を卒業後、アメリカのメリーランド州にあるウォルトウイットマン高校に留学。
その後は日本に帰国し、東京学芸大附属高校を経て東京大学法学部を卒業。
そして、ハーバード大学経済学部を卒業して、ハーバード大学ロースクールを卒業しています。
ニューヨークのフォーダム大学に留学し、ニューヨーク州法の弁護士を目指している小室圭さんについてのコメントをぜひいただきたいところですが、やはり宮中の騒動には関わりたくないのでしょう^^;。
もちろん学歴もすごくて、東京大学の法学部卒業で法学士を取得・ハーバード大学の経済学部を卒業して学士号を取得。
これくらいの学歴がなければアメリカの弁護士にはなれないはずなんですけどねえ……(遠い目)。
おふたりはアメリカで出会ったようで、ニューヨークで結婚式をあげられ、2000年11月に東京で披露宴を行われています。
2003年6月23日に長男が生まれ、2005年に次男が生まれたため、2児のお母さんです。
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小和田節子さんについて
次に、下の妹さんである小和田節子さんの経歴について。
名 前・・小和田 節子(おわだ せつこ、洗礼名:マリー(Mary)
生年月日・・1966年(昭和41年)7月8日
職 業・・日本の文化人類学者。翻訳家。教授。
そ の 他・・ジュネーブ現代アジア研究所客員研究員。学位はPh.D.(米国・ハーバード大学)。
1966年(昭和41年)7月8日、スイス連邦のジュネーヴ市で、当時在ソ連日本国大使館一等書記官・小和田恆の次女として生まれます。
雅子さまを姉とし、礼子さんの双子の妹さんが節子さん。
礼子さんと同じく、生後しばらくはスイスのベルンの在スイス日本国大使館大使公邸で育てられました。
やはり礼子さんと同じ時期にキリスト教のカトリック教徒になり、「マリー」という洗礼名を授けられます。
1969年(昭和44年)、父の恒が国際連合日本政府代表部就任したため一家でアメリカ合衆国・ニューヨーク州に渡り、お姉さんと同じく田園調布雙葉学園・田園調布雙葉中学校・高等学校を卒業。
1991年(平成3年)、節子さんは東京大学の文学部英語英米文学科を卒業しています。
ここで姉妹の道が別れたのですね。
本田技研工業に入社し、海外経験と語学力を買われて二輪本部北米部に所属、カナダに滞在するも、2年間勤めた後の1992年に退職。
やはり家系的にインテリの血がさわいだのか、異文化理解・文化摩擦・人種問題などに興味を持ち、東京大学教養学部教養学科に学士入学し、文化人類学を学びます。
卒業後はハーバード大学大学院社会人類学専攻博士課程に入学。
「ベトナム農村の家族と社会変容」をテーマに研究し、人類学博士号を取得します。
ジュネーブ現代アジア研究所客員研究員を経て、東京大学非常勤講師(2009年 – 2011年)、国際基督教大学非常勤講師(2011年 – 2012年)、早稲田大学非常勤講師(2013年 – 2015年)を歴任。
2017年に翻訳家として初の訳書を発売。
<福知山公立大学HPより>
雅子さまや礼子さんと比較すると、なんだかおやつれのようですが、大丈夫でしょうか。
2006年に皇太子さまご一家がオランダで静養された当時、スイスに滞在中だった渋谷健司さんと節子さんも、現地のご静養先を訪れています。
もちろん節子さんは、スイスから日本に帰国してからも、雅子さまのよき相談相手でした。
現在の活動内容
2013年から星槎大学共生科学部教授就任し、2019年現在は福知山公立大学地域経営学部教授に就任しています(多文化共生論)。
主な活動は教授職です。
家族について
節子さんは1999年の32歳の時、1歳年上のハーバード大学大学院在学中に出会った、日本人医師である渋谷健司氏と結婚しています。
<JIGHより>
渋谷健司氏は東大医学部を卒業したお医者さんで、米国ハーバード大学リサーチ・フェロー。
1999年にハーバード大学の公衆衛生学博士号取得し、帝京大学医学部産婦人科助手をつとめたあと、2000年衛生学公衆衛生学講師になります。
現在は、医療領域の国際規模の課題解決に取り組む「JIGH」という東京都南区にある一般社団法人に勤めて、ポリオ根絶の活動に従事しているというエリート。
東大とかハーバード大って、こういう世界なんですね……。
しかし2017年秋頃、節子さんと健治さんは、ひそかに離婚していました。
離婚当時、節子さん51歳、夫・渋谷健司氏52歳で、19年目で破局とのことで…けっこう熟年離婚だったことがわかります。
その後半年もたたずして、渋谷健治さんはフリーアナウンサーの舟橋明恵さんと再婚。
いろいろあったんでしょうね……節子さんはちょっと精神的に不安定らいしいですが、離婚のストレスもあったのでしょう、もともと体が弱いという噂もあります。
子について調べたところ「子供はいない」そうです。
まとめ:小和田家の姉妹はみな優秀
雅子さまの母方の高祖父の山屋他人(やまや・たにん)は佐賀藩士で、高松宮妃喜久子さまの祖父・有栖川宮様の海軍での先生でした。
で、この高祖父が創立した今の海城学園(当時は海軍予備門)の卒業式や入学式に、有栖川宮様が臨席していたというご縁があったのです。
それから、雙葉のOBの皆さんはご存知のことですが、高円宮妃喜久子さまの語学の先生が、
山屋他人(明治時代の海軍大将で、通常は海軍で最高位の将官)の従姉妹で、あの時代に女性でイギリス留学をしており、双葉会で英語を教えておられた女史。
この従姉妹の父が南部藩士で幕末の蘭学者・野辺地尚義。
この人は、日本の「英学教育の始祖」と呼ばれ、日本で最初の女学校である「新栄学院 女紅場」を京都に創設し、明治の民間外交の陰の立役者といわれる人なのです。
ほかにも、雅子さまの母の大叔父(帝大出身で工学博士)と、勢津子さまの父・松平容大(会津藩主家)が、明治時代、学校で同室でお友達だったとかで……。
もうね、こういったご先祖さまの努力や人脈が、子孫の小和田家の繁栄に繋がっているんですね。
1代や2代で形成されるものではなく、「子々孫々のために」はたらく意識が必要なんだなあと思います。
皇室や世界のロイヤルファミリーは、こういう血統をしっかりとチェックしているのです。
雅子さまは、令和の皇后として、世界のロイヤルワールドに歓迎されることでしょう。
そういえば昭和から平成に変わった折、平成になって初めて生まれた4つ子ちゃんが「平成明仁」の頭文字をとって名付けられていましたが、今どうしてるのかな。
【参考】
紀子さまの弟の離婚理由と前妻や子供、川嶋舟を皇室利用したNPO法人
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