2014年10月に、高円宮家の次女典子さま(当時26)と出雲大社(島根県出雲市)権宮司(ごんぐうじ)の千家国麿さん(当時41)との結婚式が、出雲大社で行われました。
年の差結婚もさることながら(笑)、私が注目したのはお二人のお家柄。
この結婚が、それまでたまーにニュースが流れた時しか目を向けなかった皇室に、本格的に興味を持つきっかけになりました。
だって神話の時代から敵対していた天津神系と国津神系の連合ですよ、ぐいぐい惹きつけられます。
【参考】
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千家典子さんのプロフィール
何はともあれ、まずは経歴を確認。
名 前:千家 典子(せんげ のりこ)
生年月日:1988年7月22日(2019年で31歳)
出 身:高円宮家
所 属:出雲大社権宮司・千家国麿の妻
両 親:高円宮憲仁親王と同妃久子の次女
姉 妹:承子女王、守谷絢子
千家典子さんは日本の元皇族で、縁結びで有名な出雲大社権宮司・千家国麿(せんげ・くにまろ)さんと結婚しました。
皇籍離脱前の名と身位は「典子女王(のりこじょおう)」で、お印は蘭(らん)でしたね。
承子女王を姉にもち、守谷絢子さんを妹にもつ3姉妹の真ん中で、姉妹の中では一番先に結婚されました。
姉妹の中では、いちばんキリリとして、凛々しいお姫様で、第126代天皇・徳仁のはとこにあたる血筋の方です。
学歴としては、
松濤幼稚園に通い、
学習院初等科、
学習院女子中等科を経て、
学習院女子高等科を卒業、
学習院大学文学部心理学科に入学して、臨床心理学等を専攻。
皇族らしく、幼稚園を除いてオール学習院。
2011年3月に学習院大学卒業後、宝冠牡丹章を受章されています。
ご公務の実績はほとんどなかったのですが、2014年5月に婚約内定が発表され、同年10月に結婚された時期とを考えると、もう大学在学中からは、水面下で出雲国造家との婚約の話が進められていたのでしょうね。
高円宮典子 皇族妃 高円宮久子さま次女と出雲大社禰宜(ねぎ)の千家国麿さんが婚約 https://t.co/r11Ehs6NDU pic.twitter.com/rHy3refN1l
— 不動 明 (@maki1975) May 15, 2019
皇籍離脱にあたっては皇室経済法に基づき、1億675万円が千家典子さんに支給。
2014年(平成26年)10月2日、結婚を前に皇居の宮中三殿にて、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(かしこどころこうれいでんしんでんにえっするのぎ)が執り行われました。
典子女王は、小袿と袴におすべらかしの姿で、皇室の先祖と神々に対し結婚と皇籍を離れる旨を報告。
2014年(平成26年)10月5日
次姉典子女王が出雲大社の千家国麿氏と結婚、皇籍を離れる pic.twitter.com/hNu8hITQL9— みずのみこ (@bluemoonstone17) October 27, 2018
2014年10月5日午前7時半ごろに、宿泊先の典子女王を、千家国麿の叔父が使者として迎えに行く入第の儀(じゅだいのぎ)が行われ、出雲大社にて結婚式が行われました。
このときの衣装は、
・典子女王…黄色地に紅の向鸚鵡丸文と、萌黄の植物文を散らした袿に紫色の袴
(その後、赤い小袿と紫色の長袴に着替えました。この小袿は、典子女王の祖母である崇仁親王妃百合子が貞明皇后から受け継いだもので、長袴は貞明皇后から受け継いだ生地で新たに作られたもの。たぶん2018年に守谷絢子さんが着用したものと同じ。)
・千家国麿…黒の衣冠
・その他…黒留袖の久子妃、振袖の承子女王と絢子女王
儀式は同日正午までに終了(早っ)。
儀式終了後、婚姻届が代理人によって出雲市役所大社支所に提出・受理され、皇族の身分を離れることになります。
これ以後、典子女王は「千家典子」となります。
披露宴は翌6日に松江市の「ホテル一畑」で地元関係者向けに行われました。
翌々日の8日に、東京のホテルにおいて、皇太子同妃(当時)や、三権の長らを招いて開催。
ちなみに典子女王は、出雲大社宮司の妻は「姫君様」と呼ぶ習慣があることから、千家国麿さんの妻として、大社職員たちからは「若姫君様」と呼ばれます(なんか素敵ー(*´∀`*))。
新居は、出雲大社のそばにある「出雲国造館」で、天穂日命(アメノホヒノミコト)以来、代々出雲大社に奉仕される出雲國造が住む建物。
ここで旦那さんと、義理の両親と暮らすことになります。
現在の千家典子さんは、出雲大社の祭祀や、行事の準備などの指示を学ぶ日々が続いています。
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千家典子さんの近況は?子供はまだ?
嫁ぎ先が出雲大社権宮司の千家国麿さんですので、典子さんの現在のお仕事は、この大社のお手伝いが主なお仕事。
典子様の旦那は出雲大社の権宮司で、正式には2005年から出雲大社で神職を務めていらっしゃいます。
おふたりのなれそめは?
国まろさんの趣味は意外にも「バードウォッチング」や「カメラ」で、フェイスブックも解説しています(更新頻度は非常に遅いですが^^;)。
もともと高円宮家の久子様が「国際環境NGOのバードライフ・インターナショナル」の名誉総裁であったこと、そして国麿さんの実父も同じ団体の特別顧問でした。
このことから、バードウォッチングを通しての両家の交流があったのです。
ほんと、久子さまの人脈の広さがパネェです。
千家国麿さんてどんな人?
最近、国麿さんが「鬱」になっているとの噂がありました。
どうやらこれは国麿さんの実父・尊祐さんの影響もあるとか。
かなり厳しい父親であることで有名だそうで、おとなしい国麿さんはかなりその影響から身体を壊したりと、病気を患うことも多かったようです。
寝込んでいるという話も一部の情報であります。
そのせいか、現段階では妊娠もされていません。
そもそもこのお二人の結婚はどちらかというと、親同士の交流から生まれた結婚のようですね。
現在の典子様ですが、妊娠はされていないのですが、この4年という期間の間に、いろいろと生活に変化はあったようです。
夫婦仲はいいの?悪いの?
実は2017年11月の週刊誌では「典子様が頻繁に皇室に戻られているとのことで、離婚危機や別居中だ!」という内容が出ました。
今まで東京都内で便利な環境で暮らしていた場所から一転して、出雲大社という地方での生活環境が変わったことが挙げられるのは、仕方ないことでしょう。
しかし実際は、おふたりとも仲が悪いというわけではなさそうです。
旦那の国麿さんは、毎月、全国の出雲大社の分院などの出張で飛び回って忙しいので、典子さんがひとりで家を任されていることも多いです。
逆に典子さんが東京に帰るときは、国麿さんがひとりで家にいるということもあります。
お二人とも特別な立場ですから、どうしてもすれ違いが多いのでしょう。
典子さん自体、あまり出雲大社の地域の方との交流は少ないようですが、嫁ぎ先に尽くしながら、並行してご実家を助けるスタイルは、降嫁したかつての女性皇族方にも共通しています。
現在は、出雲で祭事にいそしむ旦那を、きちんとサポートしているそうです。
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天皇家と出雲国造家の神話的政略結婚
今回の千家家(出雲国造家・国津神)と典子さん(天皇家・天津神)との結婚は、天皇系があきらかに、国つ神との協働を願っているように見えます。
千家家は、天穂日(アメノホヒ)神の子孫です。
天穂日神というのは、もと天津神ですが、出雲に同化して国津神にクラスチェンジした神。
古事記の時代、高御産巣日神と天照大御神が、「出雲を統一すべし」として、最初に出雲へ派遣したのがこの天穂日神。
ところがこの天穂日神、大国主に寝返って、なんと3年もなんの返信もよこしません。
つまり、天つ神=高天原を無視して、出雲へ同化してしまった神が、千家国麿さんのご先祖なのです。
これは、小国・天津神系が、大国・出雲系と同盟を結びたかったのに、使いの者がかかえこまれてしまったことを意味しています(現在では力関係は逆転していますが)。
その後、2番目の使者の天若日子(アメノワカヒコ)も同様に失敗し、3番目に軍神・建御雷(タケミカヅチ)を遣わし、やっと大国主の国譲りまでもっていきます。
しかしその後も、垂仁天皇時代の沙穂姫伝説のときには国津神側についた沙穂姫の子・ホムチワケ皇子が出雲の祟りで声が出ないため、出雲大神を拝み祀ってやっと声がでるようになったり、
また、そのホムチワケ皇子は肥長媛と共寝するが、正体が蛇であるのに驚いて大和へ逃げ帰ったり……。
さらに垂仁天皇の次の景行天皇の子がヤマトタケルですが、彼は軍事的征服へ西へ東へかりだされていることから、国津神の統一支配はまだまだ完了はしていなかったことがわかります。
国津神は、そう簡単に天津神に同化はしないということです。
皇孫系はつねに出雲をたてまつりながら存続をはかっているし、出雲は天皇家に謙譲しながらもやはり同化せずに、自らの存続をはかっています。
それが今回、天皇家の方から姫をさしだしました。
2000年の対立が解消したというより、天津神系と国津神系が、新たなステージに向けて協力体制を組んだというのが、今回の結婚の意味だと考えています。
上皇陛下が現役時代、国民の目線に合わせてひざまずき、国民と対話している姿は、国津神(ようするに『地方』のこと)をあらためて尊重しはじめているあらわれと見ていましたが、何だかとうとう出雲の助けを借りるというところまで、皇室側は危機感が募っているようです。
晩餐会に天皇陛下(当時は皇太子)は出席されましたが、上皇(当時は天皇)は出席されませんでした。
天津神は国津神に対して、まだなんとか上位を確保しています。
まとめ:天皇家と出雲国造家は本来は対等
私はざっくりと「天皇家=天津神=中央」「出雲国造家=国津神=地方」という見方をしていますが、まあ地方をないがしろにして天皇家ばかりでやってきた弊害が、いよいよどーしよーもない水準まできてしまったんじゃないかなーと考えてます。
日本経済は衰退の一途をたどっているし、平成の時代は災害も多かったですし、天皇家だけの力では、何かが限界にきたのでしょうね。
特に秋篠宮家なんて言いませんけど、あんな体たらくだし。
天津神と国津神の力は、本来は対等です。
今まで目を向けていなかった国津神=地方をあらためて大事にし、再興しないことには、天津神・天皇家との健全な共存はできず、歪みが是正されません。
両家の間に生まれる子供は、どんな存在になるのでしょうね。
【参考】
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